高齢就労者の黄昏

わたしは、「若者の三歩下がってその先を照らす」思いで、三年程、就労してみました。

結果は、疲労・倦怠感が色濃く残ったのです。なにせ、若い人は私の当てた光より、自身が見出したずっと先にある光を頼りに素早く歩くのですから。その後についていくだけでも、息が上がり、いままで感じたことのない動悸の速さに目を白黒させました。

世の中、「少子高齢化だから高齢就労者が元気よく働いてお金を廻さねば!」的、論調が増えています。わたしも、その論の推進者であったのです。過去形でお話するのは、「どうも、高齢就労者は足手まといでしかない」という実感があるからです。

自身が70歳になるのは、2032年。その時代、私は本当にお金を廻せる経済の末端要員となっているのか。その前の60歳代で世間からお役御免と通知され、自身でその現実を認知できずに、ただただ、各方面に無理筋のお願い事をして歩いているのではないか。

世間の建前は「高齢者就労は正しいこと」として道を照らし出しているのだろうと思いますが、「やっぱ、わかいひとやね」的価値観との陰影が、自身の生きる道を狭めていくのではないか。

もう、「・・・若い人の三歩下がって・・・」的、尊大で高慢ちきな態度を改めるつもりです。なにがなんでも、もっと、視線を上げて遠くの灯りを見抜ける力をつけねばと思うのです。「老眼(遠視)なんだから、見えるはず」と思っていても、それがヒカリなのはヒトダマなのかイサリビなのか、はたまた、キツネビなのか、まったく分類できない認知力では、どうにもならない。

2000万円を60歳代で貯蓄して、そのお金で人工知能やら新しいデバイスなどの ”鎧” で身を固めて時代に追いつけるようにしなければと思っています。ですが、その重さで ”ヨロヨロ” 歩く様では、就労など覚束ない・・・。だから、目標額なんか貯蓄できっこない。それより、当座の暮らしの借金が積み重なるばかり。どうすれば、よいのやら・・・。老いた頭では、なにも結論が出ない。胸中に去来するのは、「長生きしてごめんなさい、・・・」。


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