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「日常的な恐怖」は女性だけが感じるもの?

これだけは「男性の全員」に知ってほしい1つのこと
「日常的な恐怖」の存在を知ってほしい

私はミソジニスト・マスキュリストとして、ここであえて疑問を投げかけたい。

「それって女性だけにある感覚なのか?」

と。

近年、女性専用車両など女性限定でなされている商業サービスの問題は、男性差別論というよりもLGBT・クィア理論のほうで語られることが多くなりました(もちろんそれを是とするか非とするか双方の論点で)。そこで、今一度「男性差別論」・「マスキュリズム」としての理論の原点に立ち返ろうと思います。

この記事の著者はおそらく「女性だけにある」とは考えていない

実は、この記事を読み進めていくと、このような記述があります。

これは子どもにも同様のことが言える。子どもたちがなぜ虐待されるのか。小さくて力が弱いから、子どもを虐待する大人のほうが力が強くて卑怯だからだ。
もし幼いほど体が大きくて力が強かったら?
女性が男性より背が高くて筋肉質だったら?
それでも子どもを殴ってしつけ、女性を簡単に犯罪の対象として見るだろうか。
女性だからではなく、弱者だから、動物の世界のように、ジャングルに生きるかのように、周囲をうかがって上手に隠れないといけないのだ。

弱者男性の皆さんにも、思い当たる節があるのではないですか。

特に幼少期や思春期に女からいじめ・虐待を受けていた人とか。女から冤罪を吹っ掛けられてさんざんな目にあった人とか。そういう人々は、明らかに性暴力を受けた女たちと同じ「日常的な恐怖」を女に対して感じているはずです。そしてそこに起因するミソジニーは、強者男性が持っている蔑視的要素を含むものと明確に区別されます。

そしてこれはトランスジェンダーでも同じです。私もとあるセミナーでトランスジェンダー当事者から、シス男性からは性的対象(ロマンティックなものでなく単なるセクハラとしての)、シス女性(今でいうTERF)からは排除対象という「二重の差別」に置かれているという話を聞いたことがあります。

君たちは我々の「理論」を理解しているか?

で、女性専用が男性差別またはトランス差別であるとか男性専用も作れとかいうのは、ここまで議論して初めて言えることなんですね。そのケアをシス女性だけが受けられることへの異議申し立てなのです。

日本では2017年まで「男から女への暴力」以外の性犯罪は犯罪として扱われてきませんでした多くの女性専用サービスはそれ以前から運営されてきており、こうしたものが無視されながら構築されてきた文化であるといえます。「男女を逆にして当てはめただけ」とか「禁止エリアが一つできただけ」とかそんな単純なことでは断じてありません。

逆にこの理論を理解せずにただ「サベツダー!」とは言って欲しくないです。「法律上は男性も利用できる」とか、「トランスが利用しようとしたら追い出された、差別だ」とか言ってあえて利用する人たちは明らかにこの理論を理解していないと思われます。