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りゅうちぇるの死と、ILLUSIONの死…これらが共通して示していること

7月13日、前日にタレントのりゅうちぇる氏が自宅で死亡したという報道があり、リベラル(ここでは「元リベラル」を含む)界隈で大きく物議を醸しています。

そして翌14日、こうした三次元エンタメとはほぼ完全に無縁なオタク界隈でも、大きな騒動がありました。アダルトゲームメーカー「ILLUSION」の活動終了発表です。

この2つの事象は一見、話題にする層も完全に対極的ですが、実は共通した事柄を示している所があります。そしてその事柄は、私の活動とも密接に関わっているものです。

「性的自由主義」の終わり

りゅうちぇる氏は、私から見ても確かに「伝統的性観念からの自由を手にした男」でした。上の記事は彼が事実上の妻であるぺこ氏と法的離婚をした時のもので、それが「旧来の結婚観や家族観への彼なりの違和感」によるものであることを踏まえて書かれたものです。

さて、この一件だが、りゅうちぇる氏が散々メディアで世の父親(男性)に偉そうに説教していたのは何だったのか?と思う方もいるだろう。
言いたい事はもちろん分かる。
だが、氏自身が「メディアで自分のこれまでの生き方や、“夫”としての生き方についてお話しさせていただく機会が増えていく中で、“本当の自分”と、“本当の自分を隠すryuchell”との間に、少しずつ溝ができてしまいました」と語っている以上、そこを責めるのはいささか酷にも感じる。
氏の言動が本心なら、むしろ「良い父親像」を求めるメディアや女性が加害者であり、氏に非はないのではないか?
事実や背景が何であれ、もし貴方が真に多様性や男女平等を信仰する"リベラリスト"ならば彼を称えてあげてほしい。
少なくとも私は今回のりゅうちぇる氏の決断を100%尊重しているし、それを受け入れたペコ氏を称えるつもりだ。

しかし彼は離婚後も、結局その「父親として振舞わなければならないこと」に耐え切れずに死んでしまった。誹謗中傷がどうこうとか言われますけど、やはり大きな背景はそこにあるでしょう。

その誹謗中傷についても、語られるときは加害者がすべて「伝統的性観念を支持する保守的なミソジニーインセルオタク男」であると想定されていますが、本当にそうなのでしょうか。NeroReport氏が指摘するように、彼を批判する女性草の根フェミニストも少なからずいたはずです。

実はこの件についてだけではあまり記事にする気も無かったのですが、すぐ「ILLUSION」の活動終了という報道がゲーム系メディアでなされたこともあり、やはりこの2つには、我々が立ち向かわなければならない大きな流れないし動きが共通して窺えることを訴えなければなりません。

その共通した事柄とは、「性的自由主義の終わり」です。いわゆる「性表現の自由」も、「性的自由主義」なしには成り立つものではありません。もし性(ここではセクシャリティ・ジェンダー両方の意味を持たせる)の在り方がある面で画一的であるべきならば、それを逸脱するような「性表現」は徹底的に排除されなければなりません。そしてそのように考える人々は、フェミニスト・アンチフェミニストを問わず多くいます。

ILLUSIONと『レイプレイ』とその後

実はこの「ILLUSION」、国内外の表現規制派フェミニストから大いに攻撃されていたゲームブランドでもあります。あえて例示はしませんが、発表を受けて不謹慎スラング的ご冥福を投稿するフェミ側のアカウントもかなりいたようです。

その原因となった作品が、2006年にリリースされた、プレイヤーが強姦魔となって行動するシミュレーションゲーム『レイプレイ』です。これは英語圏のマスメディアでも大々的に報じられ、国内でも販売・流通停止を求める大々的な運動が展開されました。

この作品は、「フェミニズム」を抜きにしても、倫理的に決して許されるものではないでしょう。アダルトゲーム愛好家(この後紹介する作品にも大いにハマったらしい)の知人ですら、このゲームは作るべきじゃなかったという話を何度もしていました。

ただ、今回私は「その後の作品」についての話もしていきたい。このゲームブランドが本当に評価されるようになるのは、明らかに「その後の作品」による功績であるからです。

特に2011年から2014年の間にリリースされた『ジンコウガクエン』シリーズ。この作品では、登場キャラクターは自分で作成する必要があり、ゲームの大まかなストーリーやシナリオも全く存在しなかったといいます。このコンセプトはさらに『VRカノジョ』シリーズや『コイカツ!』シリーズにも引き継がれたそうです。

つまり、こうしたシリーズではゲームの展開そのものを、ある程度プレイヤーの自由に委ねたといえます(もっとも本物の「性的自由主義」の観点では、まだまだ不十分なところもあったと思いますが)。このコンセプトが大きなヒットをもたらし、英語圏からもプレイヤーやファンを再び集めるようになり、アダルトゲームのゲームメーカーの中でも独自の地位を得ました。

そして、それ故にこそ、刑法改正以後の性表現のゆくえを占うものとして、実は私はこのゲームブランドの動向を注視していたのです。しかし、これはあまりにも早すぎる!!もうそのように言うしかありません。

今、動くしかない

ともあれ、この2つの「死」は、「性的自由主義」の社会的失敗と解体が、我々の予想を上回るスピードで進んでいることを意味しています。そして相対的に「伝統的性観念及びそれに大枠で則っているフェミニズム」の復古も加速するでしょう。

この「性的自由主義」は、「性的平等主義(ジェンダー平等)」とは(その一部として含まれるという解釈はあるにはあるものの)本来異なるものです。上記事で示したように「異質平等論」の理屈を利用すれば、伝統的性観念が女性に都合いいように運用されることも「平等」であるといえるのです。そしてこんにちのフェミニズムにおいて、そのような意味合いで「ジェンダー平等」を掲げるフェミニストが増えていることは、言うまでもありません。

この流れを止めるためには、今、動くしかありません。もう少し具体的に言えば、今まさに、多様な方向からのオピニオンをどんどん投下していかなくてはならないのです。

敵…すなわち「伝統的性観念及びそれに大枠で則っているフェミニズム」は、手強い存在です。この記事で指摘したように、「反フェミニズム」としてもその性観念の復古は、「次世代再生産」を至上とする価値観においては、「現状最も正しい戦略」になってしまっています。ここで「現状」と言うのは、女性の妊娠を介さずに次世代再生産できる技術が確立されれば変わるかもしれないという意味です。

ILLUSION活動終了のお知らせのページ名は、「see-you-next-time」となっているようですが、このままでは、その「next-time」は、永遠にやって来ることはないのです。

私にも「多様な方向からのオピニオン」のために長い間書き溜めている記事がいくつもあります。それらをなるべく早く書き上げ、公開することを目指して奮闘しているところです。