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マスキュリズムの思想まとめ

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この思想は、これまでの反フェミニズムと何が違うか。 okoo20さんのマガジンも参考になるかもしれません。 https://note.com/okoo20/m/ma99f1ce9… もっと読む
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記事一覧

家父長制は、双方の知らない所で「女に都合のいい形」にアップデートされている

※ここで「双方」とは、(第4波フェミニズムが台頭する直前までの期間に)政治的に力を発揮したフェミニスト・アンチフェミ双方のことを指します。 「お小遣い制」という経済DV大谷翔平選手の専属通訳であった、水原一平氏の賭博問題は、思わぬ方向の界隈にも飛び火したようです。 この「お小遣い制(広義には、家庭の財産管理権が一方的に妻にある状態を指す)」の問題は、「主流言説」に登ることはなかなかなかったものの、草の根の反フェミニズム・マスキュリズムではかねてから活発な議論が存在し、様々

皆婚社会よりも自由恋愛社会のほうが、「普通の男性」が「女子供」に支払わなければならない費用は安くなる

まあお察しの方も多いと思いますが、実は書き始めた時系列は今回記事→前回記事→前々回記事の順です。本当はあともう1連載あるのですがそれは今回記事よりもさらに前に書き始めたものだったりします。 ど、ど、ど、どうした小山狂人!? 小山晃弘狂人といえば、反フェミニズムオピニオンリーダーの中でも特にマスキュリズムの問題に特化した主張をしている代表的な論客ですが、「女をあてがえ論(皆婚社会待望論)」を支持する第一人者という側面もありました。しかし最近では「日本型皆婚社会」を批判する側

私の主張を支持する皆さんへのお願い

おかげさまで、私のnoteもフォロワーが100人を突破しました。今回はそれを機に、特に私の主張を支持・共感する方々に向けて、申し上げたいことがあります。 先に私はこのような記事を書きましたが、本当にこの言論の世界は、一人いなくなるだけでも大きな損失です。茂澄氏に何があったかは分かりませんが、(凍結ではなく自主削除ということから)以下の見立てもあるようです。 先人の言葉を語り継ぎ、絶やさないようにする。その重要性は頭では分かっていても、実践するとしたら全く簡単なことではあり

最近noteでも記事をよく投稿されているNikkohさんは、かつてメンズリブ・マスキュリズムの総合的なリンクページを作られた方です。私も数年前、この思想体系を調べるのに大いに参考にさせていただきました。 http://blog.goo.ne.jp/nikkoh-gn/e/551a2c2a68b43fc0b4c57fd2dfde8cbb

https://note.com/0814stakurou/n/n968261323578 茂澄さんはnoteやってないので彼について取り上げるチャンスがほとんどなかったのだが、noteでもちゃんと紹介してくれたのはありがたい。

https://note.com/hyodoshinji/n/n3b344772b4bf この「青と白」を含め、反フェミ論客は常にフェミ側から「伝統保守・復古主義」と同一視されるが、逆に本物の「伝統保守・復古主義」にとって彼らは(勿論我々も含むが)「フェミの傍流」でしかない。以下コメント参照

すもも氏はいい時期に頭角を現した

すもも氏の芯の強さはどこから来ているのでしょうか。それは彼がTwitter/noteで頭角を現した時期のフェミニズム・反フェミニズムの勢力関係に見いだせます。 すもも氏がnoteに最初の記事を公開したのは2019年5月6日のことです。それ以降彼の注目は急激に高まっていくわけですが、その頃のアンチフェミニズム界隈はどのような状況だったのでしょうか。私は一度当時を振り返る記事を出しているので、それをおさらいしてみましょう。 そう、当時の(平等主義ないし自由主義的)アンチフェミ

「ふたつの潮流」モデル。それは、日本のフェミニズムに内在するふたつの思想的方向性。

さて、前回の記事で予告したとおり、「ふたつの『フェミニズム』の潮流」というモデルについて語っていきたいと思います。これは、日本におけるフェミニズム思想には2種類の思想的方向性、あるいは言い換えれば2種類の異なるゴールがあるということです。すなわち ・女性の地位向上と社会進出を徹底的に進めることによって、「イエ制度」ないし「家父長制的家族観」を完全に解体する ・「イエ制度」ないし「家父長制的家族観」を形式的には維持しつつも、それがすべての女性にとって望ましい(批判的に言い換え

次にフェミニズムについて男性側はどのような対応をとってきたか。これを知らずして反フェミニズムは語れない。 私がアンチフェミニストに対して「何のために反対しているのか立場を明確にせよ」と訴えている背景もここにある。

第何波って言うけど、エリートと草の根というふたつの潮流があるってことも重要。 なんで日本における第4波の草の根が第2波っぽいのかを考えるうえでも。 ちなみにいわゆる「リベラルフェミニズム(穏健派)」「ラディカルフェミニズム(過激派)」はどちらの潮流にもいる。

ガイノセントリズム論序説:なぜ我々は女性の「お気持ち」に対して何ら抵抗できないのか?

近年様々な論客が「フェミニズムに対する敗北宣言」のような記事を書いており、その多くには「フェミニズムは『政治的にただしい』から我々は抵抗のしようがない、フェミニズムが蔓延した社会でどう生き残るかを考えたほうがいい」という論調が見られます。 ただ、我々はフェミニズムを「政治的にただしい」とも、「リベラリズムに連なる」とも思っていません(もちろんこれらに則ったフェミニズムもあることは私も理解していますが、内実としてそうではないという意味です)。抵抗のしようがないのは、他にも大き

続・我々から見た「非モテ」について:弱者男性論は非モテに乗っ取られた

彼らは「皆婚社会」のおぞましさを知らない私にとって「非モテ」は、憎くて憎くてしょうがない存在です。「女をあてがえ」!?「皆婚社会の復活」!?なんとおぞましいことを彼らは言うのでしょうか。 もし皆婚社会が復活すれば、中の下の階層の男性であれば女を得やすくなるかもしれませんが、それでも女を得られなかった男性は今以上に社会的排除が強まるでしょう。まして普通の女性に性欲を抱けない男性たちはどうなるのでしょうか。 非モテ男性の生きづらさというのは、女に愛されないことではなく、ちゃん

我々から見た「非モテ」について

先を越された…。 前回の記事では「非モテ男性はマスキュリズム運動にお呼びでない」という言葉で締めましたが、やはり弱者男性の間で「非モテ男性の問題」が中心的な話題になっていることは、否定のしようのない事実です。 しかしこうした「非モテ男性」の口から、「女に惨々な目に遭わされた」というような話は、めったに聞くことがありません。すなわち彼らの多くは、女から愛された経験がない代わりに、女に暴力など酷いことをされた経験もないのです。その意味で言えば、「女からの暴力の被害者」という立

私の言う「フェミニズム以前」とはいつのことか

我々はフェミニズムに反発しつつも、性意識をフェミニズム以前の時代に戻すことは全く望んでいません。 いやむしろ、フェミニズム以前の性意識のほうが、女にとって安全かつ幸福に生きられると彼らが考えていたからこそ、彼らは一部のフェミニズム政策にのみ反対していたわけです。 ただ彼は、だからと言ってフェミニズム以前の(すなわち皆婚社会だったころの)家族観を復活させてはいけないとも述べています。これは私も当然のことだと思います。 このように、私は何度も「フェミニズム以前」という言葉を