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韓国マスオさん日記 〜光州(クァンジュ)で暮らすことになりました〜


光州(クァンジュ)という街について

「韓国に移住します」と言うと、ほとんどの人がソウルで暮らすものだと思うようです。そりゃ韓国は人口のおよそ半分が首都圏に集中する国なので、「韓国=ソウル」とイメージするのも無理はありません。
「いや、ソウルではなくて、光州(クァンジュュ)というところで暮らします」というと、そもそもほとんどの日本人は「光州」という街そのものを知りません。
「ソウルからKTX(高速鉄道、日本でいう新幹線)に乗って2時間くらいかかります」と言うと、「ああ、よくわからないけど、とにかく遠いんだなあ」という表情になります。東京から盛岡まで、はやぶさで約2時間ですからね。そう考えると確かに光州は遠いかも知れません。

でも、光州という街は日本人にとって馴染みの薄いところかというと、そうでもないような気がします。大学受験の時に世界史を選択していれば、「光州事件」について必ず学びます。
※ 韓国では「光州事件」という言い方はしません。そのことについてはまた別のところで触れようと思います
また、ソン・ガンホ主演の映画「タクシー運転手」の舞台になったのも光州です。少し韓国に関心を持っている人ならば、この街の名前を耳にしたことは絶対にあるはずです。

ちなみに統計によると2023年12月現在、光州の人口は1,419,237 人で、京都市とさいたま市の間に入る感じです。そう考えると、それなりに大きな街ということがわかると思います。
また別の機会に触れるつもりですが、韓国近現代史において光州はとても重要な出来事が起きた街でもあります(それを扱ったのが映画「タクシー運転手」です)。そういう意味では広島市と同じようなポジションにあると言えるかも知れません(実際に日本語版のウィキペディアにも同様の記述があります)。

光州で暮らすことになった理由

さて、そんな光州になぜわたしは住むことになったのか。答えは簡単、連合いの実家が光州にあるからです。
韓国出身の連れ合いは、いつかは韓国に戻りたいと常々言っていましたし、そのことについてはわたしも同意していました。ただ、そのためにはわたしが職場を辞め、韓国で新しい仕事を始めるしかありません。そうなると当面は義父母に子育てを手伝ってもらう必要がある。という理由から、わたしたち親子3人は光州で生活することになりました。
ラッキーだったのは、義父母がアパートを経営していて、その1室を借りられたことです。間取りは3LDKで、家賃は日本円にしておよそ3万円ほど。いくら地方都市とはいえ市内ですから、かなり安い物件だといえます。ただ、娘夫婦だからといって特別に安くしてもらったわけではありません。義父母は他の入居者にも同等の家賃で部屋を貸しており、これは相場を考えると相当安いはずです。特にこの一帯は地下鉄工事が進行中で、地価が上昇しているとか。それでも家賃をいっさいあげないというのだから、店子としては嬉しい限りです。

光州までの道のり

光州までの道中は、正直しんどかったです。日本を離れる当日は、まずJR中央線に乗って東京駅まで行き、そこからさらに成田エクスプレスで空港へ。大型のキャリーケースふたつにパソコン、それに子どもを乗せたベビーカーを引っ張っての移動なので、相当ハードでした。しかも飛行機の出発時刻の1時間50分前に空港に到着したのに、搭乗手続きや手荷物検査、出国審査にやたらと手間取りました。1歳半の子どもがあっちこっちと歩き回るので、なにをするにしても時間がかかります。わたしたちは「とにかく仁川空港にさえつけばなんとかなる…」と自分達に言い聞かせながらその場を凌ぎました。
そもそもハードな移動になることは予想していたので、わたしたちはこの日のうちに光州へ移動することを諦め、仁川空港の近くのホテルに泊まることにしました。そして翌日の朝に仁川から金浦空港に移動し、さらに飛行機の国内線に乗ってやっと光州につきました。ただ、光州空港への到着は30分ほど遅延しました。理由は、韓国軍と米軍との合同演習が長引いているからとのこと。光州空港は軍民両用なので、このようなことがたまに起こるようです。国内線の機内では動画サービスを利用できないので、子どもぐずついて大変でしたが、それでも無事に到着することができました。
光州空港には義父と義姉が迎えに来てくれたので、新居までは楽に移動できました。
ドタバタの引越し作業と移動を経て、やっと辿り着いた光州。これからわたしの人生は新しいステージを入っていきます。


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