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電話で話したいと思う人

電話は、かけるのもかかってくるのも苦手。
“不意”なものだからだ。
と思っていた。

かかってくる場合は私にとって不意で、
かける場合でも相手にとって不意になる。
電話は、あなたや私のおかれている状況を考慮せず、時間や集中を奪ってしまう。
だから苦手だと。

仕事でもプライベートでも、
その“不意”に相手を邪魔せぬよう
「今お電話5分ほど大丈夫でしょうか?」と
事前にメッセージを送るようにしている。
が、これも苦手だ。

仮に私がそれを送った後、数時間返信がなく
別件に取り掛かってしまった時に、相手が電話をかけてきてくれたら取れないことがある。

「お前が要件あったんちゃうんかいっ!」
と、お相手の気分を害してしまわないか…と
心配になってしまう。

そうすると「今お電話大丈夫でしょうか?」もろくに送れなくなり、なるべくメッセージで要件を済ませるようになる。


文面のみで齟齬が生まれないよう、
丁寧に書こうと努める。

あらゆる勘違いを防ぐために、
文章が長くなる。


「こんな長い文章、だれが読むの…」
と感じる駄文完成。


再考し、無駄な部分を削ぎ落とす。

「文面だけでは不明瞭な点があるかと思います。もしご不明な点がございましら、ご都合の良い時にお電話でもご説明させていただければ大変幸いです」と結局、最後に一文添える。
(この一文も長いなぁ…)



「いや、もう電話しーや」
自分で自分に何度もこの言葉を投げかけた。

「パッと電話してササっと説明したら終わりやんか」
そうそう。その通り。

でもそれができない。


電話口で相手が自分の説明を聞いていると思うと「うまく、わかりやすく説明せねば…」と、途端に言葉が出なくなる。

相手の時間を奪ってはならない。と思えば思うほど、焦ってしまってうまく話せなくなる。

結果、いまいちわかりづらい説明で時間をうばってしまう。最悪。

人に伝えることがどんどん苦手になっていく。


こんなに電話が苦手だったか?



いや、学生時代は違った。
友人や恋人との長電話ほど楽しいものはなかった。

たとえそれが深刻な相談でも、答えが出ないまま話していれば数時間後に笑い合っていた。

温かい言葉を投げかけあって、電話口の声がいつのまにか鼻声になっているなんてこともあった。

自分の言いたいことなんかよりも、
“相手の気持ち”をもっともっと聞いていたい。そう思えた。


どうか次に話が途切れた時、
どちらかから違う話題が出ますように
そう願いながら、とるにたらない話を朝まで続けることはざらだった。


そしてなによりも、
また“不意に”連絡が来ることを待ち侘びていた。


社会人になった今ではどうだろうか?



電話で話す内容の多くは、
GOODなことよりBADなことが多くなり、
「聞いて欲しい!」ことよりも、文書に残すのははばかれる「聞かれたくない…」内緒話が多くなり、“相手のリアクション”よりも、“自分の要件”を伝えることが多くなった。



ああ。だから電話がイヤなんだ。


待ち侘びていた、あの時のような電話はもうめったに鳴らない。


だから私は、
かかってくる電話をほぼ取らなくなり、
かけることも極限まで減らすようになった。

伝えなければいけないことを伝えようとする“作業”ほど退屈なものはない。

伝わればいいなと思いながらただただしゃべる“遊び”とは到底訳が違う。


自戒もこめて。

電話をかける時は、
相手に伝えたい“気持ち”があるか?
この意識の確認を忘れてはならない。

伝えたい”要件”があるだけならば、
面倒でもメッセージに切り替えよう。
そうすると、電話をかける必要がいかに少ないかに気がつく。


相手に伝えたい気持ちというのは、

“あなたが”いてくれたおかげで

”あなたは”喜んでくれると思って

”あなたに”いち早くこの吉報を伝えたかった

”あなたに”しかこんな相談はできないから

という、何にも代え難い“あなた”が
主語や目的語に来るもの。

そういう相手が本来、電話をかけたい相手だと思う。

「電話をかけよう」と思う気持ちは、
大切な“あなた”をあぶりだしてくれると思う。

私の場合、
そういう気持ちを伝えたい“あなた”は
片手で数えられる範囲に収まる。

そういう“あなた”とは、
「朝が起きられなくて悩んでるが、起きてたまるかと思ってる節もある」とか
「掃除したばかりの床の上でストレッチしてる時に、もう毛が落ちてるのを何?」とか
本当にどうでもよい話しかしていない気がする。

そんな人からの電話は、
“不意”でも”要件”がなくても最高の時間だろう。そんな電話はぜひ朝まで繋げていたいと思う。


やはり私は電話が好きだ。
ただし、どうでもよい話題を話せる相手のみに限る。


とるにたらない不毛な話をできる人は、
あなたにとってとるにたらない不毛な関係の人ではない


そういう“あなた”に奇跡的に出会った場合、
ぜひとも大切にしたい。
すでに立派な社会人の場合、
そんな“あなた”と出会うことは今後もうそう多くはないということを私もあなたも知っている。

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