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「またご飯行きましょう」

この言葉が好きだ。

出会って、すこし打ち解けた時、
その別れ際によく聞こえてくる言葉。

言われるの大好きだし、
もちろん言うのも大好き。


「またご飯行きましょう」

一度も食事に行ったことない人にも
なぜか「また」と言う。

そして、この言葉を送っても送られても、
本当に食事に行く人はごくまれだ。

「またご飯行きましょう」と言って行かない。

「だったらそんな期待を持たせるなよ!」
なんていうSNSの投稿を見かけたり、
「実現させる気のない約束はするな!」
と、力強い言葉を上司に言われたこともある。


が、私は今後もこの言葉を送られたいし、
送り続ける。
たとえ“その後の食事がなかったとしても”だ。

私は「またご飯行きましょう」が好きなんだ。


この言葉を聞くと単純にワクワクする。
言われる時は、
「えー!!ご飯いっちゃうー!?
うれしー!行きましょー!」と胸が高鳴る。

他の人が会議終わりで
そんな話をしてるのを見かけても、
「えー!!二人ご飯いっちゃうのー!?
どうなんのー!?熱い話しちゃうの!?!?」と、関係ないのに胸が高鳴る。

何かが動くかもしれない未来に心が高揚する。


声をかけてくれた人と今以上に打ち解けられるかもしれない。

この人のもっと素敵な部分を垣間見れるかもしれない。

そうワクワクできるから、この言葉が好き。


かと言って、本当にご飯の日程調整に至る人はほとんどいない。
それが仕事相手だと食事に行かないまま、
次の会議で会って、楽しく談笑し、
また「またごはん行きましょう」と言って別れる。それを繰り返すことの方が圧倒的に多い。


でもそれでいい。
本当にどうしてもご飯に行きたいなんて思っていない。行けたら嬉しいんだけど、“ご飯を一緒に食べたい”なんて思ってない。

聞いただけでたまらなくワクワクできるから
この言葉が好きなんだ。

なぜ好きのか?

この言葉は
「私はあなたのことをとても良く思っています」に変換できるからだと思う。


もっと知ってみたい。
だけど「あなたの印象がとても良いです」なんて直接的に伝えるのはなんだか恥ずかしいし、いちいち言葉に出すことではない。


今日話してみて、なんだかとても気になる人だったなぁ。


この人を、もっともっと知ってみたいなぁ。


一度食事でもできれば、
もっとこの人の想いに触れられるのかなぁ。


「またご飯行きましょう」


と、言葉が口をついてでる。私の場合はそう。

一度も食事を共にしたことがない、
出会ったばかりの人に「また」とつけるのは、
もうすでに一度目の会話で
「この人は素敵だ」と確信したから。
もうすでにあなたの魅力に触れたから
「また」と言う。

みんながみな、そういう思考ではないともちろん承知している。
ビジネスマン達は“つながれば実利があるから” ただ言ってるだけの人もいると思う。

ただ、少なくとも私はそうではない。
感性が素敵で、異質で、奇妙で、
“もっとあなたを知りたい”と思った人にしか「またご飯に行きましょう」は言わない。

だから自分が言われた時、
相手の心理はさておき勘違いでも単純に心が高鳴るのだ。


そこから先は、
「本当にこの人を知ってみたい!と強く願えば、いつかご飯に行くことになるだろう」とご縁に任せる。自分からはっきり誘うことは滅多にない。縁を待つ。

何度もこの言葉を送りあってると
「ちょっとホンマに一回日程あわせて行きますか?」とお互いに気持ちが近づくことがある。そういう気の流れを待つ。

そんな考え方でいるから、
ご飯は滅多に実現しない。笑

でもこれまで仲良くなった大好きな人たち
(何度も一緒に食事にいく人たち)は、
もれなくそのご縁に任せたことで仲を深めてきた。




「ご飯行きましょう」は「あなたのことが好きだ」とほぼ同義だ。


だから日々の生活の中で、
この人素敵だなと感じた人には
「またご飯行きましょう」と声をかける。
本当にご飯には行かないかもしれないけど、
「私はあなたが好きだ」と伝えたい。


言葉を言葉どおり受け取るのも素敵だが、
その言葉の奥にある言葉を感じ取って欲しい。
私たちは「あなたが好き」という言葉をずっと送っているし、送られている。


こんな性格だから、
友達と呼べる人はとても少ないし
”人脈”なんてものとは本当に縁遠い。
が、心から大切な人は数人いる。それでいい。

これからも
「またご飯行きましょう」で縁を待つ。

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