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女はつらいよ

私の仕事は林業の現場作業員である。この4月から2年目に投入した。
私が入社した当時は、林業のことなどズブの素人だったため、初めは「間伐」と「皆伐」の違いを知らなかったし、現場は大きな山一つにとことん通い詰めるのであって、いろいろな場所に現場があり、一通り終わらせては次の場所、と点々と回っていくなんて考えたこともなかった。
全国的に見て、女の作業員が少ないことなんてもちろん知る由もなかった。


男社会で働くってどうなんですか、とたまに脳内小人こと内なる私が聞いてくる。
「みんな優しいよ」と私は虚ろな目で答える。
けして嘘ではない。
うちの会社にはドローンがあるから、重いものを持たなければならない機会はグンと減るし、資材を背負わなければならない時も「なるべく軽い方を」と考慮してもらえるし、無理をしないようにも言ってもらえる。

「女性だから軽い方を持ってって言ってるんじゃなくて、身体の大きさとか力の強さのことを考えたら、俺が持ったほうがいいやろ」
と班の人に言われたことがあった。
それは誰が聞いても、何語に翻訳してもやさしい言葉であるはずだった。

のにも関わらず、その瞬間私はその軽い荷物(いや、十分重いわ!!!!)を放り投げたくなった。

私は怒っていた。

この仕事を始めて女である自分の身体が憎らしいと思うことが何回もあった。
しなきゃいけないのは同じ仕事、同じ作業。
力があるキャラとないキャラ、どっちで仕事を進めたいですか。
体力があるキャラとないキャラ、どっちの肉体を操作するのが、効率がいいと思いますか。

男女平等なんてうそだ。そんなことになるはずがない。スポーツだって男女分けるだろ。なぜならそれが公平だから。
私が人間的に特別無力非力なんじゃない。なのに男と同じことをさせたら相対的に劣って見えるんだ。

く、悔しい、悔しい!!!!!!(地団駄)

誰も悪いわけではなかった。私の生き方が、私のコンプレックスが、私の感受性が問題なのだ。
周りの男たち(しかも優しい)を責めるのはあまりにも極悪非道だし、かといって女の赤ちゃんに産まれた私のせいでも断じてない。

こうして「女であることの苦しさ」を私は24歳にして再びぶり返した。
最初に「なんで私は女なんかに生まれてきたんだ」と思ったのは、18歳で居酒屋のバイトを始めたとき酔っ払いたちにセクハラされたからだ。
高校生までは自分のものだった身体が、いきなり性的消費されるエロい肉体という存在に変わって気持ちが悪かった。
なので私はできる限り男たちから経済的にむしり取ってやろうと思った。
風俗でも働いたし(2日で辞めた)、えろい私と喋るのはうれしかろう、と飯も酒も全部奢らせ、「ほぉーら! 女って得でしょう!」と自分に示した。
ちっぽけな抵抗だが、女を使った。
「女を使う」のが悪いことだと思えなかった。「おじさん」はおじさんを使い。「若いにーちゃん」は若いにーちゃんを使ってんだろ。
なんでいつも女だけが責められてんだよ。


とはいえ、悔しさを職場の男どもに知られるのは尺だったので、仕事では女ぶらないように、「きゃぁ!」などと言わない、仕事の時はなるたけローテンションで、「重い」「疲れた」などの体力弱者を連想させる言葉を口にしない、などを徹底した。

しかし、その反面仕事以外の場面では化粧をし、可愛い服も着た。
まるで「女であることをエンジョイしている」ことを証明するかのように。「女であることに何の迷いも苦しさも感じていませんよ」とでも言いたいように。
一体誰に? 他でもない、自分にだ。
自分に言い聞かせてるんだ。
しかし、それはやればやるほど逆効果であった。
仕事を続けるほど、もっと続けたいと思うほど、私は苦しくなった。
職場の人に優しくされたらされるほど、惨めな気持ちになった。
職場の人たちを好きになればなるほど、自分のことは嫌いになった。

男に負けまいと踏ん張りながら、「どうだ! 私は可愛いだろう!」ということでしかマウントを取ろうとしない私。

脳内小人よ、もう一度返答させておくれ、
つらい原因は男社会なことじゃない。女であることがつらい。
そして、髙山唯として生きるのはもっともっとつらいよ。


なんと私は、今日の今日までこのことを自覚してはいなかった。たぶん気持ちに蓋をしていた。
なんなら今日は別の内容のnoteを上げようとしていた。
自分の中から出す予定がなかった言葉たちは、班のお姉さんの一言がきっかけで2000字分どばどば生まれた。

このお姉さんにだけは、しんどい時に「しんどい」と言えて、身体がだるくて重いときは素直に話せて、山の中でさんさんと太陽が照りつける中愚痴を言い合い、時には寒さに震えながら一緒に帰りたがったりした。
あまりにも大声で笑い続ける私たちを、同じ班の人に「何をそんなおもしろいことがあるねん」とツッコまれたりしてきた。

男女二元論に捉われすぎている私は相当バカだ。
けど、女を救うのは女の存在なのである、と私は心底思う。

しかし、私が自分自身を「林業女子」と名乗ることに抵抗があり、繋がりたいとも思っていない理由はここにある。
彼女たちが林業を「景色も良いし、空気も綺麗でいい仕事だ」などと一言で片付け出したら私は惨めな気分だけじゃ済まされなくなる。
ねぇ、世の林業女子たちよ、私を少数派にしないでおくれ。


最後に私へ
可愛いことに胡座かいて楽しようとするのはやめなさい。
あんた、人を唸らせる文章書けんだから、そんくらい知的であることをいい加減誇りなさいよ。
文章が書けるあんたの知性は一体いつになったら自尊心に加算されるわけっ?!

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