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本当のこと

「我慢してるんだね」と言われたが、私ははたして我慢してたのかと考える。

炊事棟の蛇口からでる水の音があまりにも優しくて手に触れただけでなんだか泣きそうになる。

日は暮れかけててそろそろ焚き火しようかと思いながら、自分のキャンプサイトまでとぼとぼ歩いた。


暗くなるのを待つ



いいたいことをいわないと、我慢してるとされる。我慢は良くないことだ。身体に悪いから。
でも私はいいたいことを思い付いた言葉でいうやつが嫌いだ。
頭に浮かんだ言葉をそのまま口にするのは、絶対にしたくないことの中の一つだ。
いいたいことをそのままいうのなら、今まで私が勉強してきた意味はなくなると思う。

いいたいことをいわないとき、それは「言えない」んじゃなくて「言わない」だけにすぎない。



昔付き合ってた男に私の好きなところを聞いたら、「一緒にいて楽なところ」とほざいた。
いや、間髪入れずに可愛いとこっていえや。
私と一緒にいて楽なのは、私が気を遣ってやってるから当然の話なのだが、
私の好きなところを聞かれて「一緒にいて(俺が)楽なところ」と答えるのは解答として間違っている。

イラッときたが、私は「ふぅん」と呟き注意しなかった。
どこから指摘していいのかわからなかったし、いい大人を私が教育し直さねばならない義理がないし、それはちゃんと本音なんだろうと思った。お前の本音は解答として間違っていますが。

私は本音を丸ごというのはやっぱり間違っていると思う。
これはオブラートに包めという意味ではない。
思ってることとは相違ない、けれど相手を傷付けたり怒らせたりしないギリギリのスレスレを狙うべきだ、できないのなら不勉強を認めろといっている。不勉強を自覚することは、それだけでめちゃくちゃ立派なことだ。

私は恋人に対して、直してほしいところが直してほしいとなかなかいえないタイプだった。
そして直してほしいところがいつまで経っても直らないことより、
「いえない」という状況こそ自分はまともな人間関係を築くことをめんどくさがっているんじゃないかという疑い絶望し、相手に誠実じゃないなと罪悪感があり、それでストレスを溜めてその度にもういい! 別れる! という選択肢を選んだ。

私は何年経っても変わらなかった。つまり、いわなかった。
けれど、そのことに対してごめんなさいと思わなくなった。

これだけは理解してもらわないとさすがに関係性を続けられないなと思うことはいうが、些細なことで直してほしい、とはこれからも言わないんじゃないかと思う。
(私の都合いいように)直す必要は、ない。


すれ違うのが当たり前だと思う。別の個体だから。
合わないのが当たり前だと思う。この世で合う人間を見つけられたことがないから。
違うから一緒にいるんでしょう。同じだと意味ないのよ。
私みたいなのが二人いても意味、ないのよ。
通じる言葉を探しだすのが、私にできる精一杯の愛なんだと思うことにした。

いいたいことをいう勇気より、いいたいことを伝える知恵のほうが私は大事だと思う。


焚き火の音を聞いていると今日も無事に夜を迎えれたことに安心する。



炎の明るさに、火の暖かさに安心する。

このために生きているのだ、
これからも生きるのだ、私は世間の言葉じゃなくて、自分が見つけた言葉で生きていくのだ、とぼんやりと思うと、なんだか心にも小さな灯りが灯った気がした。

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