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産婦人科で自分を学ぶ

 
幼稚園のリス組さんからキリン組さんになる時に、私は「自分が他でもなく自分である」ことに気がついた。
園で揉め事が起こると、先生は決まって何があったか私に尋ねた。
私は人間が集まるとそこに関係性が生まれてなんだかややこしいことになる、ということがちいちゃいときからわかっていた。目が覚めたついでに人のことをよく見ていた。

園で過ごした日々はどれもこれも些細でつまらなかったが、
一つだけ、ものすごくいい経験をした。

 
園に竹本茜(仮名)という女がいた。
色素が薄く、身体の線が細く、写真を撮る時はアイドルのようなポーズを瞬時に取り、可愛いらしい表情で微笑んだ。
機嫌のいい時と悪い時が両極端で、嫌な時は泣き喚いてわがままを貫き通せる子どもだった。

私はその頃幼稚園児にしては力が強く、大きな石やら布団やら荷物やらを進んで持ちあげ、両親や先生から「ゆいちゃんは力持ちだね〜」と言われるのが好きだった。

茜と一緒にいたある日、ふと茜くらいなら持ち上げられるんじゃないかとひらめいた。
茜になんと言ったか定かではないが、私は茜を持ち上げよう、お姫様抱っこをしようと試みた。
持ち上がるかどうかの確信などなかった。
手に汗握りながら腰と太もも辺りに適当に手をかけると茜の足はふわっと宙に浮いた。


びっくりするほど、軽かった。

その時だった。


ぶぁぁぁああああ!
と自分の中でものすごい勢いで湧き上がってくる何かを感じた。
全身の血が沸騰したかのような、血管が全て爆発したような、脳みそが弾け出したかのような、とにかくものすごく、ものすごく、気持ちがよかった。

私は生まれて初めて自分と同じくらいの大きさの人間を持ち上げたのだが、女の子の身体の軽さ、骨の細さ、腰の薄さにははっきりと興奮を覚えたし、人を軽々持ち上げることのできる自分の力強さにはなんとも言えない誇らしさがあった。

あれは、勃起だった。

私の心はこの時初めて勃起をしたのだ。


 
そんなことも遥か彼方に忘れ、私は大学生になった。
無駄に周囲の空気を読もうとして全くうまく出来ず、勝手に疲弊するような、どこにでもいるしょうもない学生だった。

大学生活では、女に生まれた恩恵を全身で浴びた。ご飯、お酒、ホテル、旅行、自分のバイト代だけではありつけない数の体験の費用は、男たちの財布が頼りだった。セクハラされることもあった。悔しい思いもした。
しかし、傷付くことを加味しても「女」で生きることは、女を保つ努力以上にひどくメリットがあることのように当時は思えた。

 
大学を卒業して、仕事を始めた。
林業という肉体労働は山に行き、足元が安定しない斜面に立ち、自然という人知がコントロールできないものを相手に作業をする仕事だ。
命の危険が伴う仕事で「女性らしく振る舞う」、「しとやかな仕草」、「優美な身のこなし」などは誰も期待しない。
求められるのは安全第一で作業を進めることである。

するとこれまでの生活とは違い、私の元来の運動神経がそのまま身体の動きに出てきてとても心地良く、過ごしやすかった。「活き活きする」とはこれか。これなのだなと実感した。

自分が中学生時代からスポーツが好きな理由がやっとわかった。
スポーツは自分のポテンシャルをどれだけ上げられるかを楽しみ、試合では一体それが外の世界でどれほど通用するかを試すことが肝心なので、「可愛いかどうか」「どれだけ女できてるかどうか」ということは全く問題にならないからだ。

 
25歳になった私は、もう「女」でいることにほとほと疲れ、飽き始めていることに気がついた。

 
ついこの間、生理不順で婦人科にいったら「多能胞性卵巣症候群です」と言われた。

多嚢胞性卵巣症候群(PCOS)とは、卵巣で男性ホルモンがたくさん作られてしまうせいで、排卵しにくくなる疾患らしい。
今後妊娠を考えているなら難しい場合もあると医者は口を重くしたが、どうでもよかった。

男性ホルモンが多いという話になんだか納得しすぎてちょっと笑ってしまった。
そうか、私の雌の生殖器は男性ホルモンをたくさん作っていたのか。
身体の一番女の部分であるはずの生殖器が作り出していたものが男性ホルモンだったのか(笑)

幼少期の貴重な勃起体験から考えても、どうやら私の中身は男性性が色濃いようである。
であるのに、一番外側の女の見てくれだけで随分楽しいことも苦しいことを経験したものである。

あーーー、全部無駄だったね!!!!
ほんと、10代も20代前半もくそみたいだった!!


と未練なくこう叫べるのは今の自分を少し、ちょっと、うっすら、肯定しているからだ。

これは長年私が出来なかったことであった。
いちいちチマチマ理由を捻り出して(まぁそれも時に大事だけどさ)「意味があった風」を装わなきゃいけなかったのは、そうでもしなきゃあ浮かばれない、今の自分が惨めすぎると思い込んでいたから。

今の私は全然惨めじゃない。
前より自分のことを知ってるもの。自分のことをたくさん考えたもの。
だから自分の過去をムダだと一蹴しても、人から昔のことを否定されたってこわくない。

これからはもっと男性性が色濃い、そんな自分も見てみたい。そしてあわよくば再び勃起してみたい。


最近キャンプを始めた。
ずっとやりたかったことの一つである。

女だから危ないし、一人でいろんなところに赴いてナンパでもされたら不愉快な気分になると今世では諦めていたことが一つまた一つと湧き出てくる。
やりたいことがたくさんある。

なんだか寿命が延びた気がする。


夜寝る前に「一生目が覚めませんように」と願うのが私の日課だったが、最近はもうちょい生きてみよかなと思う、そんな今日この頃である。
 

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