見出し画像

HARI PAHLAWAN NASIONAL(インドネシアの英雄の日)

はじめに
今日は、インドネシアの祝日の日を書いていきたいと思います。

インドネシアでHARI PAHLAWAN NASIONAL(英雄の日)という日があります。祖国の独立のために、1945年10月27日~11月20日スラバヤ町でイギリス軍人と戦っていた英雄を讃えて、感謝する日です。

その日は、今月もう過ぎていましたが、1959年の第316番目の大統領法制により、1959年12月16日に、『英雄の日』は11月10日と定められました。

1.インドネシアの「ハリ・パハラワン・ナショナル」(国家英雄の日)

インドネシアの「ハリ・パハラワン・ナショナル」(国家英雄の日)は、インドネシアの国民的な記念日であり、毎年11月10日に祝われます。

この日は、インドネシアの独立戦争中の重要な出来事、特に1945年のスラバヤの戦いを記念しています。

この戦いは、インドネシアの独立を求める人々とオランダ植民地政府及びその同盟国との間で行われました。

ハリ・パハラワン・ナショナルは、インドネシアの独立と主権を守るために戦ったすべての英雄に敬意を表する日です。

この日には、様々な式典やイベントが国全体で行われ、特に首都ジャカルタでは、国家英雄の墓地で公式な追悼式が開催されます。

インドネシアの人々はこの日を通じて、自由と独立のために犠牲になった人々を称え、国の歴史を振り返ります。

2.1945年11月10日のスラバヤ戦い

1945年11月10日のスラバヤ戦いは、インドネシア独立戦争の初期における重要な戦闘の一つで、インドネシアの独立を求める戦いの象徴とされています。この戦いは、インドネシアの第二の都市スラバヤで発生しました。

①背景

インドネシアの独立宣言
1945年8月17日、スカルノとハッタによってインドネシアの独立が宣言されました。これは、第二次世界大戦後の日本の降伏に続くものでした。

連合国の介入
独立宣言後、連合国は日本軍の武装解除と欧州列強の植民地支配への復帰を目指してインドネシアに介入しました。特に、オランダは、インドネシアを、再植民地化しようと試みました。

②スラバヤ戦いの経緯

緊張の高まり
スラバヤでは、インドネシア独立支持者と連合国軍(主に英国軍とオランダ軍)との間で緊張が、高まっていました。

戦闘の開始
1945年11月10日、スラバヤで、インドネシア独立支持者と連合国軍との間で大規模な戦闘が勃発しました。

激しい戦闘
戦闘は、数週間にわたり、市街地での激しい戦闘が行われました。
インドネシア側は、装備や訓練で劣っていましたが、強い抵抗を見せました。

③戦いの影響

多数の犠牲者
両側に多数の犠牲者が出ました。特にインドネシア側の死傷者数は非常に高かったです。

独立運動への影響
この戦いは、インドネシア全土に独立運動の火をつけるきっかけとなりました。インドネシア人にとって、抵抗の象徴となり、独立への決意を新たにしました。

国際的な注目
スラバヤ戦いは国際的な注目を集め、インドネシアの独立運動に対する国際的な支持を高めることに貢献しました。

この戦いは、インドネシアの独立戦争の中でも特に重要な意味を持つ出来事であり、インドネシアの国家英雄の日(ハリ・パハラワン・ナショナル)の由来となっています。

3. 1945年11月10日のスラバヤ戦いの7名の英雄

①   BUNG TOMO(トモさん)

BUNG TOMO(トモさん)と呼ばれていたSUTOMO(ストモ)という方。1920年10月3日スラバヤに生まれました。

”MERDEKA ATAU MATI” (独立か死)というス決断ピードを通して、英雄方々の心の炎を燃やし、鼓舞して、祖国のために、命をかけてでも戦いました。

インドネシア人が、ファイト!や、がんばろうという意味で、炎の絵文字をよく、若い人たちがSNSで使っているのです。

私は、最初は、私にケンカを売っているのか?!と勘違いしていました(笑)。

よく炎の絵文字を使うのは、このトモさんの影響かもしれないです。

②  GUBERNUR SURYO(スリョ・総督)


RADEN MAS TUMENGGUNG ARIO SOERJO(ラデン・マス・トゥムングン・アリオ・スリョ)は東ジャワの総督であり、1895年7月9日マゲタン町に生まれました。

“KOMANDO KERAMAT”(神聖な命令)というスピーチを通して、国民に呼びかけ、敵と戦うように鼓舞したといいます。


③ SOENGKONO(スンコノ)


スンコノは、BADAN KEAMANAN RAKYAT (BKR)(国民保安団体)のリーダーで、町中の保安に対して、責任を持っていました。戦場で戦う方々のラジオの対面でも、指揮、命令を与えました。

 

④KYAI HAJI HASYIM ASY’ARI(キヤイ・ハジ・ハシム・アシャリ)


ハシム・アシャリは 、NAHDLATUL ULAMA(ナードラトゥル・ウラマ)というイスラム的な団体のリーダーで、1945年10月22日RESOLUSI JIHAD(ジハドの解決)というイスラム教のために、命をかけて戦う作戦を立てていて、この作戦は、トモさんのスピーチに影響を与えました。



⑤ ABDUL WAHAB SALEH(アブドゥル・ワハブ・ソレー)



アブドゥル・ワハブ・ソレーは、英雄と共に、写真家でありました。
戦場や色々な大事なことを、たくさんの写真を撮りました。

そのひとつが、オーランドの旗を破った出来事です。



⑥ MOESTOPO(ムストポ)


英雄であると同時に、歯医者をやっていました。
戦争で、日本の軍人の武器を奪うための作戦を立てて導きました。



⑦ MOHAMMAD MANGOENDIPRODJO(モハッマド・マグンディプロジョ)

イギリスの軍人とやり取り、交渉するための、インドネシアの代表でした。イギリスの攻撃を阻止するために、INTERNATIO銀行を封鎖しました。

4.2023年インドネシアの英雄の日のスローガンマークについて


このスローガンは、「英雄の心で国民の将来を貧乏と愚かなことを守るために戦う」という意味のマーク象徴です。

このスローガンの象徴マークにも、哲学があります。

①日

光を表します。
英雄のように、世界を照らし、希望を与えてあげること。

②抱き合う

抱き合い、抱擁を表します。
英雄というのは、自分のことだけ考えずに、思いやりがあり、目標を目指すために、皆で、抱き合う象徴です。

③竹編み

竹編みを表します。
竹編みは、インドネシアの伝統的な文化であり、よく国民のビジネスの伝統工芸の代表として、作られています。

国民の伝統工芸や技術力などの経済活発さが、どれだけ、国家を成長させているのか?
というインドネシア国家の成長を象徴しています。



今日は、インドネシアを知ることのひとつだと、感じて頂けると嬉しいです。

インドネシアが国家としての統一性を、大切に掲げていることを学びました。

最後まで、お読みいただいて、本当にありがとうございます。


#インドネシア
#英雄の日
#スキしてみて
#最近の学び
#少数民族
#共生社会
#アイアジア
#Aasia
#毎日note
#外国人就労者
#海外労働
#外国人採用
#技能実習生度見直し
#特定技能
#技能実習
#安全
#安心
#感動
#北海道


この記事が参加している募集

スキしてみて

最近の学び

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?