見出し画像

『異端の鳥』を鑑賞するために

 私は昨年映画『異端の鳥』を観て非常に衝撃を受け、少しでも理解しようと監督ヴァーツラフ・マルホウルのインタビューを読み漁りました。その中からもっとも内容が充実していると感じたロジャー・エバート.comのインタビューを翻訳します。ネタバレはありませんので観る前に読んでも観た後に読んでもいいと思います。

これまでの3本の長編映画はすべて小説や戯曲の映画化ですが、『異端の鳥』はどのような点に着目して作られたのでしょうか? また、既存の有名な小説に自分らしさを吹き込むことはできたのでしょうか?

 ジャン=クロード・カリエール(『存在の耐えられない軽さ』『ブリキの太鼓』などの脚本家)はかつてこう言いました。原作を読んだら窓を開けて本を通りに投げ捨てなさい。その後あなたの中に残っているものがあなたにとってのキーであり、他者にとって重要ではないことがあなたにとっては重要かもしれない、と。小説を映画化するというのはその本を通して自分の人生や経験を映画化することですし、この脚本にも私自身の人生が反映されています。

 私は15歳でチェコの映画学校に通い始めましたが、全寮制で生徒は皆一緒に暮らしていました。そこでは年上の生徒が私たち年下の生徒を残酷にいじめていました。身体的な暴力でした。その時初めて人間の悪を知り、人は人に何をすることができるのかを学びました。年下の人や弱い人をいじめる人がいて、彼らは心の底から喜んでやっている。悪であることを楽しんでいるのです。

 私は今でもチェコ軍の予備兵として兵役に就いていますが、近年はコソボ、イラク、アフガニスタンでの任務に就いています。そこで多くの人が苦しんでいるのを目の当たりにしました。戦争は世界で一番恐ろしいものです。私の祖父は第二次世界大戦でナチスと戦っていますが、悪に直面したらそれに戦わなければいけないと確信しています。制服や軍隊が好きなわけではありませんが、誰かが何かをしなければならないと信じています。

 私は恐ろしいものを目にしてきました。12人の少年がバレーボールをして遊んでいたという理由でタリバンに殺されたような事件です。そのようなことが起きている間、私はただ家にいて誰かが解決してくれることを期待するようなことはできませんでした。もうひとつ、私は長年ユニセフで働いていますが、昨年ルワンダの難民キャンプに10日間滞在して栄養プログラムを企画しました。彼らは犯罪組織から逃げているために国を脱出している人たちです。この数年の経験、私の人生、私の感性がすべて脚本に反映されています。

他の人はこの本を映画化しようとして失敗したのでしょうか? そのような試みを知っていますか?

 私より先に『ペインテッド・バード』の撮影権を得ようと多くの人が挑んでいました。例えば『レッズ』でアカデミー賞を受賞したウォーレン・ビーティがトライしていたと、本作に出演する俳優のジュリアン・サンズが教えてくれました。ビーティは原作者のイェジ―・コシンスキと親しい友人だったので、コシンスキに映画化の権利を譲ってくれと頼んだのですが、コシンスキは認めませんでした。シカゴにあるSpertus Institute for Jewish Learning and Leadershipから権利を得たのは私が初めてでした。

(※注1:コシンスキは『レッズ』に俳優として出演している)
(※注2:コシンスキは生前『ペインテッド・バード』を監督するならブニュエルかフェリーニがいいと言っていた)

『異端の鳥』の映画化の許可が下りた後、この本にある残虐性にどう対処するかを気にしていましたか?

 私にとってのテーマは暴力や残虐性ではなく、私たちの生活の中で最も重要な3つのこと、愛、善、希望についてでした。私がこう言うと「あなたは気が狂っているに違いない」と言われますが、私は「この小説には愛、善、希望が不在だからだ」と答えます。私たちは病気になって初めて健康であることの重要性に気づくのです。私たちは戦争の中で生きているときだけ平和がどれほど重要かに気付きます。愛、善、希望がないこと、それが私にとっての「キー」でした。物語の中の暴力や残虐性はある種の枠に過ぎません。大切なのは画であって枠ではないのです。私にとって暴力の存在は重要ではなく論理的帰結でした。

実際に画面に映し出されていることよりも観客がどう思っているのかということの方が重要な映画だと感じています。それでも、耐えられないと感じる人もいるかもしれません。それは確かに人の反応を引き起こします。好きでも嫌いでも無関心ではいられません。

 映画を見ればわかると思いますが、実際に暴力は見せていません。暴力は良識を持って撮影しています。カメラは常に暴力的なアクションの背後にあります。衝撃的な映画を作ろうとはしませんでした。私の目的は真実味のある映画を作ることでした。たとえ絶対的な真実を撮ることができなくても、どんなフィクションでも真実であることを試みるべきです。芸術作品が真実であれば人は感情を感じます。音楽でも文学でも映画でも、どんな芸術作品にも感情がある。もしあなたが音楽を聴いていて震えていたらあなたは何かを感じていることになります。であればそれは良い音楽です。もし何も感じていなければそれは無意味な音楽です。

 私の目的は、疑問を抱かせるが答えのないような真実味のある映画を作ることでした。「なぜ神は人間を創造したのか? その理由は何なのか?」「本当に神を信じているのと教会に行ってクリスチャンのふりをしているだけの違いは何なのか?」「なぜ悪は善に比べて強く見えるのか?」。私は答えを提案しているわけではありません。感傷的になりたくなかったし、ロマンチックになりたくありませんでした。この映画を見るのが困難な人もいると思いますが、それは実際に暴力を見るからではなく、何が起こっているのかを感じているからであり、その方がよりパワフルなのです。

映画祭の上映中に映画館から出て行った人がいたのはそのせいだと思いますか? それらの話はどれくらい真実なのでしょうか?

 2019年ヴェネツィア国際映画祭のワールドプレミア上映の際、ポーランド人のジャーナリストが「観客が集団で退出した」という話を記事にしました。YouTubeに上映終了時の10分間のスタンディングオベーションの映像がアップされているように、上映会場は完全に満席でした。おそらく5人くらいしか退出しなかったと思います。イギリスのサン紙は上映中に退出する人を妨げるために私がドアを押さえて逃げられないようにした!とまで書いていました。『ジョーカー』は『異端の鳥』よりはるかに暴力的ですが、審査員や観客の間ではこのような話は出ませんでした。この映画での私の最大の成功は、アカデミー賞のショートリストやヴェネツィアに選出されたこと以上に、ある映画館で上映が終わるまで誰もポップコーンを食べなかったというエピソードです。これはこの映画の最大の成果の一つだと思います。

『ジョーカー』で描かれるような暴力の種類を人々が平気だと思うのはなぜでしょうか? 

 その説明は非常に簡単です。『ジョーカー』はフィクションで、コミックのキャラクターを元にしたおとぎ話であり、それがもっと暴力的なものであっても、人々はそれを楽しむことができるのです。『異端の鳥』は真実味のある映画なので観客の心の痛みをはるかに上回るものをもたらします。

『シンドラーのリスト』のようなホロコーストに関するアメリカの映画は、観客がより受け入れやすいようにホロコーストをロマンティックに描いていると思いますか?

 私はホロコーストに関する映画をたくさん見てきました。『シンドラーのリスト』は良い映画だと思います。しかし私にとって『異端の鳥』はホロコースト映画ではないし、第二次世界大戦を扱った映画でもありません。確かに主人公はユダヤ人の少年ですが、私にとって『異端の鳥』は時代を超越した原理原則の映画です。『異端の鳥』には1羽の鳥に色を塗って空に戻すとその鳥の群れに殺されるという象徴的なシーンがあります。それは肌の色だけではなくどんな理由であれ少数派は多数派に攻撃されるという暗喩です。ホロコースト映画でも戦時中のドラマでもなく、火星に捨てられた地球人の子供を描いたSFとして撮影しても通用するかもしれません。戦時中の東欧で起きたことはどこでも起きていますし、今も続いています。私たちが話をしている今この瞬間にも世界中で死にかけている子供たちがいます。

 「なぜ映画を作るのですか」と聞かれることがありますが、私の同僚の監督の多くは「観客のために映画を作っている」と言います。しかし私は率直に「自分のために作っている」と言います。もちろん観客が楽しんでくれれば嬉しいし、それは素晴らしいことだと思います。

 私がいつも言っているのは、映画製作者にとって、そしておそらくすべての芸術家にとって、進むべき道は2つしかないということです。1つ目はセックスの道で、2つ目は愛の道です。前者は年間50本のCMを撮り、それにテレビシリーズを2本、長編映画を1本監督することを意味します。お金のためにそういったことをしているという意味でそれはセックスです。愛というのは、たった一人の恋人がいて、一つのプロジェクトがあって、恋に落ちて、それをやらなければならないということです。私はすべて愛の道を歩んできましたが、セックスの道を歩みたいとは思いません。

少年役のペトル・コラールはほぼ無言の演技で様々な感情を表現しています。彼をキャスティングするのは大変だったのでしょうか、それともこのプロジェクトを始める前に誰かが決まっていたのでしょうか?

 偶然です。彼とはスポーツスタジアムで知り合いました。私はチェコ南部の町で脚本を書いています。私の脚本はすべて同じホテルで、同じ部屋で、同じテーブルで、同じ椅子で書かれました。そのホテルの角を曲がったところに公園があり、毎日仕事が終わるとそこにワインを飲みに行っていました。ペトルの祖父母はこの公園を管理しており、ある日彼らに誘われてスポーツスタジアムに行き、そこでペトルと出会いました。その時彼はまだ6歳で、最初の撮影が始まる3年前でした。他にもっといい少年を見つけようとしたわけではなく、ただ彼だと感じたのです。彼はカメラの前に立ったことがありませんでしたが、私には確信がありました。心の中で彼だと思ったのです。

主演のペトルはまだ小さく、非常に過酷なシーンも含まれていますが、彼のキャラクターが直面する状況をどのように認識していたのでしょうか?

 彼は物語の内容は知っていましたが、何が起こっているのかの詳細は知りませんでした。私は彼と一緒にとても慎重に仕事をしました。あるシーンでは残虐なシーンと彼のシーンをを別に撮影し、あとで編集者がそれをまとめています。この方法は制作中何度も使っています。また時には犬を使って彼の感情を和らげようとしました。彼は動物が大好きな男の子で犬をとても愛しています。彼の顔や目に感情を植え付けたいときは「犬の散歩をしていたら、突然犬がいなくなってしまった。悪い奴が犬を盗んだんじゃないの?」と問いかけると、彼はとても繊細な子なので、たとえ泣いていなくても彼の顔には私が必要としている感情が反映されていました。

 それでもときどき私は彼に真実を伝えなければなりませんでした。私には4人の子供がいますが、子供は年齢なりにいろいろなことを理解しています。私はいつも彼に、これは映画であって現実の世界ではないと言い聞かせていました。その都度チェコの児童心理学者のテストを受けて彼の感情の安全性を確認しました。彼は今後演技のキャリアを望んでいません。これが彼のためだったのです。

ペトルは完成した映画を見ましたか?

 彼の両親はプラハのプレミア上映で彼に見せることを決めました。私はこのアイデアには賛成できませんでしたが、彼は私の息子ではないので最終的には同意しました。多くの俳優は自分が出演している映画を見ても映画を見ているのではなくスクリーンの中の自分を見ているだけです。ペトルも同じ過ちを犯すと思っていましたが、まさにその通りになってしまいました。彼はスクリーンを指差して「僕を見て!」と言うので周りに座っていた人たちに迷惑をかけていました。彼は大声でシーンについてコメントしていました(笑)。

映画を見ていくうちに彼のキャラクターであるペトルが、肉体的にも感情的にも変化していくのがわかります。

 主な撮影は1年半かかりました。ウクライナ、スロバキア、チェコ、ポーランドの47か所で104本の撮影を行いました。そして時系列順に撮影しました。もし私がプロデューサーに「時系列順に撮影したい」と言ったら「気が狂っている」「節約しなければならない」と言われていたでしょう。しかしありがたいことに私には素晴らしいプロデューサーがいました。この映画のプロデューサーは私だったからです。私自身がプロデュースしたからこそ時系列的に撮影することができたのです。

 この決断は、季節の移り変わりを見せる必要があったのはもちろんですが、ペトルの成長をリアルに追いかけようとしたからです。私は彼が老けて見えるようにメイクをしたくなかったのです。そのための唯一の方法がこれだと信じていました。ペトルが肉体的にだけでなく精神的にも変化していくことは映画の制作中に明らかでした。彼を追いかけ、観察し、目の前で彼がどのように成長していくのかを理解することはとても重要でした。撮影が始まったときには9歳だった彼は、撮影が終わったときには11歳になっていました。この2年間には大きな違いがありました。この映画は彼に多くの経験を与えてくれたので、撮影が終わる頃には彼はもっと大人になっていました。

『コーリャ 愛のプラハ』(1996)で知られる撮影監督ウラジミール・スムットニー氏と再び仕事をしたことと、白黒で物語を語ることにしたことについて教えてください。

 『異端の鳥』は彼との3作目の作品でした。他の人と一緒にやるなんて想像できません。彼のカメラは常に物語のために機能し、その本質を見つけようとします。だからこそ彼の撮影は映画ごとに違ったものになるのです。『異端の鳥』はとてもチャレンジングなプロジェクトでした。撮影中1年半も一緒に過ごしました。毎日、話をして、探して、私たちは双子のようでした。私は今日のデジタル撮影の驚くべき可能性にもかかわらず、フィルム撮影はかけがえのないものだと確信している映画制作者の一人です。フィルムはすべての映画に魔法を与えてくれます。私の野望は物語の真正性を最大限に引き出すことであり、それは白黒でなければできないことでした。

※注:撮影監督ウラジミール・スムットニーのインタビューがKODAKのホームページに掲載されています。

世界中の有名な国際的な俳優が出演していますね。このような性質のプロジェクトのために彼らを全員参加させるのは、どれほど大変な作業だったのでしょうか?

 彼らは常にオファーのある人材なので最初はかなり大変でした。彼らには世界中からたくさんの脚本が送られてきますが、問題は誰もそんなにたくさんの脚本を読む時間がないということです。しかし私に有利に働くことが2つありました。一つは私がキャスティングした海外の俳優たちが全員『異端の鳥』を小説として知っていたことです。彼らは全員小説を読んだことがあり、人生に大きな影響を与えたことを覚えていました。また、多くの人がこの本は映画化できないと思っていたので、どうやって私が脚本を書けたのか興味津々だったことも救いでした。

 もう一つは最初にステラン・スカルスガルドがOKしてくれたことです。彼とは数十年前からの知り合いです。彼はこのプロジェクトに参加する上でとても重要な存在でした。彼は私にこう言ったんです。「脚本が本当に良いものであればあなたの映画に出演することを約束する」と。バリー・ペッパーの代理人が「他に誰が出演しているのか」と聞いてきたとき、ステラン・スカルスガルドやハーヴェイ・カイテルの名前を言ったらすぐにOKが出ました。大物俳優を選んだときは純粋に監督として考えていました。有名だからキャスティングしたわけではありません。「この人たちが一番いい」と思っただけなんです。

インタースラブ語を使うことにしたのは、この国際的なキャストに共通の言葉を話させる必要があったからでしょうか、それとも他にも実用的な理由やテーマ的な理由があったのでしょうか?

 インタースラブ語を選んだ理由は2つあります。1つ目の理由はコシンスキ自身が本の中で物語がどこで起こっているのかを書かなかったからです。ポーランド、ウクライナ、ベラルーシ、特定の国については一切触れていませんでした。2つ目の理由は私にとってもっと重要なことでした。物語の中で人々がすることはどこでも起こっていることです。もしウクライナ語を使っていたらウクライナの人たちの話になっていたかもしれません。それはどの国にとっても不公平です。Googleで「スラブ語 エスペラント」と入力したときにインタースラブ語の存在を発見しました。実際にそれを話すのは40人だけです。ロシア語を除くすべてのスラヴ語の混合語です。

 ジュリアン・サンズ、ウド・キアー、ハーヴェイ・カイテルの3人はインタースラブ語を話さなければならなかったので、彼らにとってはとても難しいことでした。カイテルのようなアメリカ人俳優にとってインタースラブ語に必要な音を出すことは不可能だったからです。それならば演技の一部としてリップシンクを正しくするしかありません。たとえ単語を正しく発音できなかったとしてもリップシンクは正確でなければなりません。もしリップシンクに力を入れず英語で喋ってもらっていたら、発音における唇の位置が全然違うので、ダビングしてもインタースラヴ語を喋っていないことに気づかれていたかもしれません。皆インタースラヴ語にはかなり苦労しました。特にハーヴェイ・カイテルはセリフが他の人より多いので大変でした。

物語の中で少年の名前を知らないということは、ある意味で彼の人間性に影響を与えています。彼の名前を知ることには何の意味があるのでしょうか?

 主人公の少年は同じ運命をたどった何千何万もの名前のない子供たちの苦境を表しています。彼の名前は、彼が再び自分の居場所を見つけ、人間性を取り戻し、傷ついた魂の闇から光に戻ることができるのではないかという希望を象徴的に表現しています。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?