『「世間」とは何か』感想|それは日本人にとって個人や社会よりも大切な存在
「世間をお騒がせして申し訳ありません」
改まって考えてみると、まっこと不思議な言葉に感じる。企業の不祥事や芸能人の身内の失態など、主に記者会見の場などでよく耳にするこの文句。
特に後者は、謝罪している人自身にはまったく非がないにも関わらず、身近な人間のあやまちについて頭を下げている。たしかに、感覚的にはそこで謝るのもわかるような気もするが、理屈で考えると、途端に違和感がわきあがる。
あやまちを犯した人間が身内である――ただそれだけの理由で、無関係の人が謝罪をする。そこには、いったい何の意味が、何の謝るべき「罪」があるのだろう。
この行為を読み解くにあたって浮かび上がってくるのが、「世間」の存在だ。上記のような例で「お騒がせして申し訳ない」と頭を下げる相手、それこそが「世間」だと言えるだろう。
ただし、それは決して「社会」に対して謝罪しているわけではでない、ということはおさえておきたい。1億2千万人を数える日本社会ではなく、特定の地域社会でもない。謝罪のために対面しているのは、限られた範疇の人間関係を指し示す「世間」に過ぎない。
しかし実際のところ、「世間」とはいったいどのような集団なのだろうか。
そんな「世間」の在り処について、歴史を遡りながら丁寧に紐解いているのが、今回読んだ『「世間」とは何か』です。
本書に書かれているのは、古来より日本人の人間関係のなかで育まれてきた「世間」と、西欧の個人を前提とした集団としての「社会」の対比。そして、日本にあって「世間」に迎合しきらなかった複数の“隠者”の視点から、「世間」の正体を解き明かしていきます。
そこで登場するのが、吉田兼好、井原西鶴、夏目漱石など。彼らを詳細に取り上げた文化史的な要素も強い本書は、学校で学んだ日本史とは異なる部分でのつながりを感じられる、知的好奇心をくすぐられる1冊となっています。
「世間」という言葉の曖昧さ
まず筆者によれば、「世間」とは、日本に古くから存在する関係性を指す表現であり、西欧で言う「社会」とは明確に異なるのだそう。
「そんなことでは世間には通用しない」「渡る世間に鬼はなし」「世間の口に戸は立てられぬ」などとは言うが、たしかに同様のニュアンスで「社会では〜」と話すことはあまりない(「社会人として通用しない」くらいは言うかも)。
そもそも西欧が発明した概念としての「社会(society)」は、その前提として「個人(individual)」の存在なくしては成り立たない。曰く、「個人」は他者に“譲り渡すことのできない尊厳をもって”おり、各々の“意思に基づいてその社会のあり方も決まる”。社会を作る単位を細分化した果てにあるのが、「個人」である。
しかし、「世間」はそうではない。「個人」によって形作られる「社会」に対して、日本では「個人」の意思の前に「世間」が存在する。それは他から与えられた所与のものであり、なんとなく周りに漂う“空気”のようなものとして、個々人が自然と適応してしまっている枠組みであると、筆者は説明している。
本書では仮説として、このように「世間」の定義を示している。
広義の「社会」はそこになく、あるのは自身と縁ある身近な関係性だけだ。ゆえに筆者は、周囲を顧みず列車内で騒ぐ小さな「世間」としての集団を指して、それは時に排他的・差別的なものにもなるとも例示している。
そのように考えると、冒頭の「世間をお騒がせして〜」が持つ意味も見えてくる。たとえ自身は無罪で無関係だろうが、自分が加わっている人間関係の環にいる他者が失態を犯せば、自身の属する「世間」に何か迷惑や嫌疑をかけてしまうかもしれない。それを恐れて謝罪するのだ。
もしも世間から排除されてしまえば、それは死んだも同然だ。昨今は加害者家族の悲惨な実態に焦点が当てられることも増えたが、解決への展望はいまだ見えない。「メディアの過剰報道が悪い」と叫ばれる一方で、その背景に「世間」のつながりの影響があることは間違いないだろう。
以上のように、序章では現代日本における「世間」の意味を西欧の「社会」と対比しつつ、その曖昧さと問題点を再確認する内容となっている。
残念ながらその問題の解決方法は示されないが、一方で書名にある「世間とは」の答えに関しては、その半分ほどは序章で明らかになっているようにも感じられた。それは個人個人をつなぐ狭い関係性を指すものであるが、それゆえ人によって「世間」の意味する範疇は異なり、当然「社会」を指すものでもない。
ところがどっこい。そんな曖昧模糊とした「世間」のルーツを探るのが本書のもうひとつのメイントピックであり、その経緯を辿っていく流れが、思いのほかおもしろかったのです。
『万葉集』『古今和歌集』で詠われた「世間」に始まり、『源氏物語』『今昔物語』『大鏡』『愚管抄』『徒然草』などを経て、井原西鶴の浮世草子、そして夏目漱石『坊っちゃん』と、永井荷風・金子光晴が見た欧米との比較によって観察された「世間」を論じ、幕を閉じる格好。
名作古典文学が描き出してきた「世間」とは、どのようなものだったのだろうか。
「世間」に縛られ不自由な我が身を「無常」と表現する
「世間」のルーツは、『万葉集』にしばしば登場する「世間(よのなか)」 「うつせみ」といった言葉に見られると、筆者は最初に書いている。
そこでは、「現世」や「世人」といった意味合いで使われているものもあるが、他方では「無常」を示した歌も多いという話だ。
「一切の物は生滅・変化して常住でないこと」という無常観は、現代の自分たちにも理解でき、かつ強く共感できる感情でもある。それは広く「世の中」を詠ったものでありながら、特に自身に身近な「世間」を想起させるものとして、大きく意味は変わっていないように思える。
しかし、そんな至極当然のことをなぜわざわざ言葉にするのかと言えば、筆者はそこにある種の感情があるからだと説いている。そこには“変化を求めない感情”があり、“現在の事態がいつまでも続くことを望んでいる”のだと。日本人はとりわけ、その感情が強いのではなかろうか。
畢竟、それは「世間」の存在があるからだ。個人としての意識が希薄であり、他者との関係性のなかにこそ基準を置いている日本人は、世間の変化にもまた敏感である。自分の属する世間を構成する人間が消えることは、自身の存在の揺らぎにもつながりかねない大事となる。変化は怖い。
しかし他方では、同様にこのような「無常」をも抱えている。
結びつきが強いがために、自分なりの生き方をするのが難しい。だからこそ日本人は、歌を詠み、物語を描き出し、「無常」を表現してきたのではないだろうか。そこには、日本では数少ない「個人」の姿が見受けられる。
そんな「個人」の具体的な実像として筆者が主に取り上げているのが、吉田兼好、井原西鶴、夏目漱石の3人だ。
彼らの共通点として、作品を通して表現活動を行いつつ、世間を対象化し俯瞰する「隠者」であったということを挙げている点も興味深い。彼らの書作品からは、世間にありながら、世間から逃れ、世間を誰よりも強く意識して観察していた視座が感じられる、というのだ。
「世間」の背後には「無常」がある。
日本ではこうした「世間」が育まれてきたからこそ、のちに輸入された大きな集団の概念である「社会」が成り立っているとも考えられるし、その関係性に根ざした想いがあるからこそ、「無常」の表現が日本人を惹きつけ、魅了してきたこともまた間違いないように感じる。
しかし、筆者も冒頭で書いていたように、「社会」と「世間」が混じりあったことで機能不全を起こし、それによる諸問題もまた、今なお継続してあり続けていることも事実であるように思う。世間なくしては生きられない。けれど、世間によって死に追いやられる人があってはならない。そうも思う。
「世間」が狭い関係性であると捉えること知ってしまえば、対処法も思い浮かんでくる。生きづらい世間のなか、後ろ指を指されながら生きていくくらいなら、生きる場所を、小さな集団としての「世間」を変えてしまえばいい。人の数だけ、人の組み合わせだけ、「世間」はあるのだから。
特に最近は、インターネットを使っていくらでも新たな「世間」を見つけることができる。もちろん、新しくたどり着いた場所で問題が発生する可能性もあるが、別にそこに居着く必要だってない。世間を渡り歩くのも選択肢のひとつだし、決して悪いことではないはずだ。
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