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朝ドラ『虎に翼』・・・

録画してたNHKの朝ドラ『虎に翼』をみた。
結婚した女性は「無能力者」という、旧民法が気になって仕方ない。

鎌倉時代に出された「御成敗式目」には、男と同じ権利が書かれてあり、男と同じ相続権があり、女性の城主も存在していた。明治に入り、諸外国の司法制度を学び、確かドイツの法律を取り入れたと聞いたことがある。

富国強兵のためか、男子優先の法律になり、他家に嫁した女性は男に守られて生きる「無能力者」とされたのだろう。幕末の頃までは、ここまで男女差別は無かったと思うのだが。


父方の家に一部破損した家系図があって、正式な家系図を纏めるための参考ではと言われ、前半部が欠けていたので菩提寺に収めたと聞いた。それによると、ちょうど討ち入りで有名になった元禄年間から幕末まで、本家当主は14代の名前が並び、14人中4人が女当主だった。

近くには傍系血族の家もあり、じっさい自分が生まれた頃に母は父の代理で忙しいときには、傍系の家に預けて乳を飲まされたと聞いた。母にとっては乳房が腫れて、乳が自然と出て困ったと話していた。

傍系親族が近くに居ても、後を継ぐ男がいないときには、女でも一族の当主として本家の家長として、当たり前のようにその任に付いていたそうだ。しかも男子は長生きではなく50歳以下、女当主の時は長寿で長く家を仕切っていたそうだ。

20代の頃に、何代か前の50年遠忌法要が行われた。父の運転手で行っただけなのに、長男なのに家を出た父は下座になった。費用のかなりの部分を出したのが父であったので、その功績ということなのか、礼服でもなかった自分が本来父の位置である上座に座らされ、各地の分家の代表から挨拶を受けた。そこで感じたのは、たしかに分家の中でも上下関係があったようだが、何人か女性の家長が居て、女だからと下座には座らなかった。

今頃の法事では、お清めの席順は男が優先になり、女性はひとかたまりに纏まっている。50年くらい前、まだ昭和の時代であったが、少なくとも我が親族においては、先祖を祀る行事や法事の関係で、席順において男尊女卑はなかった。一族の集まりの中で幅を利かせていた叔父達でさえ、行事の時には女でも年下でも、家長の席順を守っていたと思う。

田舎でいつまでも古いしきたりが残っていたので、新政府の発布した旧民法も通用しなかったのだろう。

祖父も様々なことを教えてくれたが、その中でも、特に女性を守れと何度も言われた。女性は一族の家系を守り繋ぐ役目もあり、守らなければならない、というようなことを言っていた。父もかなり夜遊びが好きなようだったが、母には頭が上がらなかった。母が47歳で亡くなった後は、何も出来なくなりすぐに後を継がされてしまった。

昔の大叔父達は、みな大酒飲みでうるさかったが、誰一人自分の女房に対して声を荒げる者は居なかった。最も苦手な大叔父がいて、法事の時には必ず酒の弱かった自分の横になり、随分と絡まれた。困ったときには叔母に目配せをすると、すぐに来て耳元で何か一言二言いうと、突然おとなしくなったものだ。


女は「無能力者」というのは、生まれ育った田舎では無かったようだ。田舎の農業や林業、それらの恵みを与える守り神は女性神で、我が家は古い形の神道を守ってきたので、女性に弱いのかもしれない。

遠い親戚をみても、皆が女性に対して暴力や暴言は無いようだ。それぞれの奥さん達は、それだけが唯一の良いところだと言うが、かなり良いところだと思う。女性に弱い男って本当に良いことなのか解らないが。


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