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さとなおさん「日本の本当の下り坂」にデータで反論したので、何らかコメントを頂ければ幸いです

このnoteは、さとなおさんの「来年の9月7日から、日本の本当の下り坂が始まる」をデータという棍棒で殴ります。

あまりにバズって情緒的な反応をしている方が多かったので、こういう見方もありますよ、という記録を残そうと思います。

主な反論点は以下5点、目次の通りです。4点は参照されている国立社会保障・人口問題研究所や家計調査など1次データを確認して、さとなおさんの主張に対して反論しています。1点は個人の暴論です。お許しください。


反論1:日本の人口は毎年100万人ずつ減っていく

さとなおさんは週刊現代の記事からグラフを引用して「日本の人口は、40年で4000万人減る」と結論付けられています。

まず、このデータは本当か調べてみました。

その結果、国立社会保障・人口問題研究所の将来推計人口データから作成したようです。生データは以下のページを参照ください。

よく見ると、週刊現代の記事は、このモデルの5年前に公開された平成24年分将来人口推計データを参照しています。平成26年版少子化社会対策白書にままのグラフが載っていたので間違いないでしょう。

最新の結果はどうなっているでしょうか。参照元のPDFをご覧ください。全てを見る必要は無く、P.13に週刊現代が参照した平成24年モデルと、今回アップデートされた平成29年モデルの違いが掲載されています。

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(参照)http://www.ipss.go.jp/pp-zenkoku/j/zenkoku2017/pp29_gaiyou.pdf

詳細の説明は省きますが、死亡・出生は共に高中低の可能性を考慮したモデルを作成します。「中」を前提として、併せて高低も作成されます。

平成24年モデルの場合、代表例は死亡中・出生中で2060年時点8674万人だと言えます。政権の陰謀でも無い限り数字は改善されて、5年後の代表例は2060年時点9284万人、2015年時点比較でマイナス3426万人となります。

さとなおさんの言葉を借りれば、「45年で3426万人減るということは、平均で言えば、日本の人口は毎年76万人ずつ減っていく、ということになる。」となるでしょう

では、2015年以降の死亡中・出生中だった場合の予想人口推移をグラフで表してみましょう。

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当たり前ですが、平均はあくまで平均に過ぎず毎年76万人ずつ減るわけではありません。2015年から2016年は約25.7万人、2016年から2017年は30.6万人と少しずつ減っていきます。

平均値である76万人を超えて人口が減るのは、今から13年後の2032年以降になりそうです。以下の図は人口の前年比推移です。カーブを描くようにどんどん減少し、2040年代にはほぼ横ばいで90万人減るようです。

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データで語る際、平均を使って良い議論と、使ってはいけない議論があると思います。

定番ですが、世帯所得の平均と中央値のズレ。高額所得の世帯に引きずられてしまい、平均が肌感覚より高くなってしまう現象です。こうした経緯もあり、平均は使わないに越したことは無いと常に私は考えます。

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(参照)https://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/k-tyosa/k-tyosa18/dl/03.pdf

「100万人都市である千葉市や仙台市がたった1年でまるごと消滅する」のではなく、「2015年から2018年の4年間かけて100万人都市である千葉市や仙台市分の人口が消滅する」あるいは「2060年代には100万人都市である千葉市や仙台市分の人口がたった1年で消滅する」と表現すれば、もう少し事実に即した議論が出来るのに、と感じています。

大した差では無い…ことはない、と思うのは私だけでしょうか。数字で語るってそういうことですし、数字で語らないと現実は直視できないですよね。人口減少ってそんなアバウトに語っても良い話なんでしたっけ。

ましてや「千葉市や仙台市がたった1年でまるごと消滅する」と煽るなら「いや、もう少し正確に!」と脊髄反射するのは当然ではないかと思っています。

ちなみに、人口減少は2020年から一気に始まった減少でもなく、2007年から現在進行で進んでいます。2009年から2014年の6年間かけて、すでに100万人都市である千葉市や仙台市分の人口が消滅しているのです。

これは、「数字」をどう認識し、「数字」でどう議論するかという話だと考えています。


反論2:ウルトラ高齢社会は、税金を払う人が減る社会

さとなおさんは「世界でも類を見ないウルトラ高齢社会は、税金を払う人が減る社会でもある」「とはいえ、シニア世代はお金をもっているからマーケットとしては期待できると言われてきた」と表現されます。

そうなんです、実際に家計調査の家計調査報告(貯蓄・負債編)を読むと、60歳以上でに1世帯当たり約2000万あるようです。

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(参照)https://www.stat.go.jp/data/sav/sokuhou/nen/pdf/2018_gai4.pdf

この数字も所詮は平均なので、世帯の貯蓄現在高分布を確認しましょう。高齢社会白書に「貯蓄現在高階級別世帯分布」が掲載されています。

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(参照)https://www8.cao.go.jp/kourei/whitepaper/w-2019/zenbun/pdf/1s2s_01.pdf

高齢者は「所得は無いけど貯蓄はある」というのが実際ではあります。もしも「財布の紐を締め始めている」というのが本当なら、消費税が減ってしまいかねません。

世帯の家計をもっとも評価していると言われている(以前にお会いした千野雅人総務省元統計局長が言っていたんで間違いないんでしょう)家計調査をもとに、2002年〜2018年の年代別1世帯当たり1か月間の支出を調べてみました。

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この17年間で、各年代は1万〜2万支出が減ったかなぁ〜と思いますが、高齢者だと思われる60代以上にあまり変化は無いように思います。

ライフシフトが刊行されたのは2016年の秋、人生100年と言われ始めたのは2017年からなので、まだ反映されていないのでしょうか?

ともあれ「財布の紐を締め始めている」のが、どこの誰が、どれくらい、締めているのかが分からなければ、私どもは検証のしようがありません。それなのに「総員、衝撃に備えよ」と煽られても困るのです。

それは「人口が増えると言われている東京でも、「人口は増えるけど、税金を払う人が減るので、水道や下水などのインフラがもたなくなる」と言われている。」という発言も同様です。

誰が、どういう理由で言っているのか。真実なのか。感想なのか。それで「総員、衝撃に備えよ」と煽られても、とても困るのです。

NRIから2008年に「人口減少が社会資本に与える影響に関する基礎自治体アンケート調査」が発刊されており、最近であれば「人口減少とインフラの課題から環境リスクを考える」論文にてこのデータが引用されています。なるほど確かに各地方自治体がインフラ投資を控えているなと分かります。

ただ、様々な論文を読んでも「人口から減る、利用者が減るから、維持しようがない」という論調ではあるものの「人口は増えるけど税金を払う人が減るから」では無いのです。

そもそも水道や下水などのインフラは大半が都道府県か市区町村が管理しており、地方消費税と市府民税、或いは地方債、交付税などが充てられるはずで、人が増えても税金を納める人が減る…はて、と思うのです。新しい説ですし、だからこそ、この論の根拠を知りたいと思う次第です。


反論3:結婚や子育てというライフステージの変化による新しい需要がなくなる

さとなおさんは週刊現代の記事からグラフを引用して「2035年に人口の半分が独身になる」「結婚や子育てというライフステージの変化による新しい需要がなくなる」と結論付けられています。

まず、このデータは本当か調べてみました。

グラフには「国立社会保障・人口問題研究所「日本の将来推計人口」(平成24年1月推計)」とありますが、実際は「日本の世帯数の将来推計(全国推計)」だと思われます。最新の結果があるので、こちらの数字を参考にしてみましょう。

PDFの中に「男女年齢5歳階級別配偶関係別人口」について記載があり、15歳以降5歳区切りで「未婚」「有配偶」「死離別」の想定人口が記載されていました。

棒グラフで表現すると、以下の通りです。

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独身者のうち、橙色が未婚で、青色が死別です。なるほど、確かに人口の半分は独身になりそうです。では、このグラフを100%積み上げ棒グラフで表現してみましょう。

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そんなに変わんないですね。2015年には独身者が43.15%で、2035年には46.25%で、2040年には46.82%です。人口の半分は独身になりそうが、元からほぼそうだったとも言えます。

「今年の阪神は弱い」「いや毎年弱くない?」みたいな90年代の大阪の掛け合い漫才を思い浮かべます。

もちろん5%は大きな変化ではありますが、「結婚や子育てというライフステージの変化による新しい需要がなくなる」と断言できるほどでしょうか?

そもそも、5年単位でどれくらいの人数が未婚から有配偶者・死離別にスライドするでしょうか? 2015年と2020年の結果の差分、2020年と2025年の結果の差分…とデータのスライドさせてみました。

話の焦点が「結婚や子育てというライフステージの変化」なので、失礼かもしれませんが、比較元(例:2015年)は15〜39歳まで、比較先(例:2020年)は20〜44歳までとしました。

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2016年から2020年にかけて独身者が5年のうちに約400万減って、有配偶者と死離別が400万増えているようです。カップル200組ですか。相対的にそれぞれ減少しているのは、そもそも人口が減っているからですね。

有配偶者、すなわち結婚したであろう人数は年々減少していますが、この数字を持って「結婚や子育てというライフステージの変化による新しい需要がなくなる」と断言はできないのではないでしょうか。

むしろ、それは人口減少に伴うやむを得ない部分であり、10年後、20年後に少しずつ起こるであろう変化に対応できない経営者はちょっとヤバいんじゃないの?とも思う次第です。

人口減少社会という揺るぎない事実を否定するつもりは全くありません。その事実を前に、どのような対策を行うべきか考えるべきだと私も思っています。だからこそ数字で語るべきはないでしょうか? だからこそ、アバウトで良いはずがないと私は思うのです。

ちなみに日本がソロ大国になっていくというのは、荒川和久さんもおっしゃられていますね。

このコンテンツでも触れられていますが、ソロ大国になると貯金も所得も少ないからやばい…みたいな話が本当は欲しいところではあります。

以下、参照までに。


反論4:東京オリンピック閉会式の翌日から「祭りのあと」がやってくる

さとなおさんは「閉会式の翌日から、文字通り「祭りのあと」がやってくる。」と言います。

それは、本当に日本全国なんでしょうか? いや、そもそも東京オリンピックって日本全国で盛り上がっていますか?

以下の図は、Googleトレンドを使って、過去12ヶ月(2018年9月15日〜2019年9月14日)の期間で「東京オリンピック」と調べた結果です。データは小区域別のインタレストを採用しています。

このデータは人口比ではなく「すべての検索クエリに対する割合」を指しています。いかに「東京含む関東圏を中心に人気か」がわかります。大阪なんて東京の3分の1の反響です。

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「なんとなく浮かれている」と言われても「それは東京含む関東圏だけでしょ?」と感じてしまうのです。

いや、そりゃ盛り上がるのは盛り上がるでしょう。地元の選手がどれくらい活躍したかは気になるところです。それでも大阪では、スポーツの最初は阪神タイガースの話題です。福岡だったらソフトバンクホークスでしょう。

だって"東京"のオリンピックなのですから。東京≠日本なんです。東京が夢から冷めたから日本が冷めるという理屈が「東京中心主義」ではないでしょうか? なんか「中華思想」とほぼ一緒ですよね。

もうとっくに地方は冷めて、少子化、高齢化に直面しているのです。逆に東京オリンピックが終わらなければ、東京の人々は地方の惨状に目を向けられないのでしょうか。

「閉会式の翌日から、文字通り「祭りのあと」がやってくる。」という言葉に、東京に反発する上方の血が騒いだのがキッカケで反論noteを書こうと思いました。


反論5:「下り坂をおりるのはもう避けられない」→知らんがな。勝手に下りてくれ

最後の反論だけ、データを全く使わず、個人の感情による"反発"を述べさせて下さい。

下り坂をおりるのはもう避けられない。今の日本をこのように表現される方は大勢います。さとなおさんも参照した平田オリザさんしかり、内田樹さんしかり。

「坂の上の雲」精神というか、高度経済成長を経て日本は坂を上り切って後は下るだけ…という論評は、はっきり言って若い世代(ギリギリ私も入れてくれ!)は「知らんがな」と思うのです。

そもそも、日本が登った坂って何でしょう。GDPでしょうか? 経済成長でしょうか?

これからも1人あたりGDPの規模を追うのは簡単です。今すぐメールを止めて手紙にすべきだし(その方が1回あたりGDPに+70円嵩上げされる)、何でもシェアするのは消費量が減るから反対すべきだし、世界のサステイナブルなトレンドに逆行してどんどん消費したら良いと思います。

経済を基準にするってそういうことですよね。

或いは、ここまで膨張した課題先進国だから坂を下りざるを得ないのでしょうか? その理屈がよく分かんないのですが、課題を抱えていない時代の日本ってありましたっけ。

第二次世界大戦後、独立を果たして日本は「もう復興需要は終わったから経済成長は戦前止まりだ」と悲観して「もはや戦後ではない」と述べました。

第二次世界大戦前、膨張する人口に対して耕作地も雇用先も無い日本は「需要を作らなきゃ」と焦りました。

幕末にはペリーが来て開国を迫るし、江戸は何度も火事になるし、富士山は噴火するし…いや、もうどの時代遡ったって「課題」しかないでしょ。

課題が解けた場合も解けなかった場合も、それでも時代は確実に刻まれる。その時代を生きる人々が懸命になり、下村治のような経済学者が活躍する時代もあれば、満州軍が暴走して戦争になった時代もありました。

それを、どういう尺度を持って「下りる」と言ってるのかは知りませんが、何十年と生きてきた人生の先輩が課題を解決せずに「上がった」つもりになって「下りよう」と表現するとは一体、どういう考え方なんだ。と私は思うのです。

お粗末様でした。以上お手数ですがよろしくお願いします。

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松本健太郎
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