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handball徒然

さて、前回は1.5ディフェンスについて少し述べましたが
今回は1.2.3ディフェンスについて少し掘り下げてみましょう。

実の所1.2.3についてはあまり使用回数が多くなかった為
どちらにせよ個人的な解釈になりますが、その辺りは
各個人毎にご意見があるかと思いますのでご容赦下さい。
1.2.3については海外などで使われている場面をちょこちょこ見受けますが、上から見るとピラミッド状のディフェンスになります。
全体的にバランスが取れており、個人的解釈では外側へと
ボールを誘導し、サイドとキーパーで勝負させる流れになるかと思います。
且つ、1トップがCBに中盤の2枚は両バックスにそれぞれ
牽制が出来る状態の為相手の攻撃リズムを崩しつつ、
中盤に浮いてくるピボットへの対処も可能かと思います。
その代わり最終ラインを基本3人で回している為サイドのスペースを大きく空けてしまう可能性がありますので
相手サイドの決定率が高い、あるいはキーパーとの相性が悪い場合悪手となる可能性があります。
高めにトップを設置することで速攻への移行をスムーズにし、且つフォローに出れる人間もいる為カウンターの引き出しも多くなるでしょう。
デメリットとして先ほどのサイドに関する所や、
相手チームのhandball IQが高い場合崩せないわけではない為相応の運動量とこちらもディフェンスに対する高い
理解度が求められます。
他に3.3という変形型もありこちらはより攻撃的な
意識が見受けられますが、相応のリスクも伴います。
上に3枚上げる事でよりボール奪取をしやすくなり、
速攻へも移行しやすく、点取り合戦になります。
攻撃力に自信がある場合やチームの人間個々の
パーソナリティに戦術が合致している場合爆発的な攻撃力を誇ります。
同時に中盤の空いたスペースへボールを配球されると
前回述べた2.4の時と同じく即ピンチになりますので
その点について非常にリスキーと言えます。
豊富な運動量と戦術理解、お互いにフォローをし続ける意識がないと実現は難しいでしょう。

稀に試合終盤フルコートでそれぞれに全員マンマークでつくという事がありますが、それほどありませんのでここでは割愛致します。

ディフェンスの在り方というものは各チームにあり、
攻撃も同じ事が言えます。
特に集団競技では個の能力が直結で勝ち負けに繋がる事は
稀で競技に対する IQと同時にEQ(心の知能指数)も重要になってきます。
要はチーム内もしくは相手チーム内の人間に対する心情を察する能力です。
これはスポーツに限らず人間という一生物に生まれた時点でついて回ってくる問題で他者の心情を推察し行動を出来るならば、チームという大きな母体はよりスムーズで円滑な活動を可能とするからです。
大前提として私達はアリであり、ライオンではありません。
大昔から集団で狩猟をしてきた様に組織だった動きを
祖としてきてますのでEQが低いとチームで浮いてしまう可能性がありますし、そこにシステムエラーが生じれば
相手に隙を見せる事になるでしょう。
この辺りの能力は後天的に身に付ける事が出来、
一般的にフィジカルが重要となってくるスポーツではありますが、その差を埋める重要なピースとなってきます。
かと言ってフィジカルを軽視するかと言われれば絶対にそんな事はありません。
年代によってかけるべき負荷はそれぞれありますが、早い段階から摂るべき食事、スポーツによって何を鍛えるべきかを考え競技者としての意識を持つ事が重要と言えます。
若いうちは準備運動やダウンをおざなりにしてしまいがち
な側面が人によってはあるかもしれませんが、身体は確実に疲弊しますし、これから動く為の準備をしなければ
ある日突然取り返しのつかない怪我をしてしまいます。
これらを入念に行い健全で楽しいスポーツをすることが
人生を豊かにするものと考えます。

私は学生の頃色々と学びを得ましたが、一旦ここでスポーツから離れる事にしました。
何故かと、問われればこれ以上先を想像出来なかったというのが一つの要因になってくるかと思います。
上には上がおり、自分がこれで飯を食えるとは思えなかった為です。
それは表面に出さずとも苦渋の決断ではありました。
何故なら私はスポーツが好きだったからです
そこで得られる充足感、一体感、感動や喜怒哀楽。
それらをコートの上では感じる事が出来た為です。
刻一刻と変わる状況が好きでしたし、極端に言えば
スポーツは遊びの延長線にあり、身体を動かす喜びは
人間に生まれ、人生を生きる上で極上の幸せの
一つに他ならないと思っていたからです。
期間は限られており、人生で自分の思う通りに身体を動かせる時間はメンテナンスの仕方によりますが短いです。
それでもどこかで諦めるしかないのが多くかもしれません。
しかし、不完全燃焼で終わらせてしまうとスポーツに限らずその後の人生に常に付き纏う影を落としてしまうことになるでしょうから精一杯やり切ることが大事かもしれません。

よく過去のスポーツを精神論という言葉で括りますが、
実はこれはあながち間違いではない様にも思います。
現代の合理的なスポーツの在り方、そこに適切な
精神がついてきて初めてスポーツ選手と呼べるものだと思います。
どちらかだけだと×ではなく△で、その二つが混じり合って初めて良い状態で戦うことが可能となります。
どれだけ鍛え上げられた肉体でも戦えるメンタルを持っていなければ勝つ事は出来ないでしょう。
特に同じ力量の相手との接戦ではそういった観測が難しいものが些細な分かれ目を生みます。
集団スポーツにおいて学べるものはそのまま実社会にも役立ちます。
もしサラリーマンとして生きるなら
そこでの生活は実社会の様相の最小単位とも呼べる生活を体験出来る場かもしれません。
自分以外の他者が居ないと基本的に人間は何も出来ません。
自己を主張しつつ他者の考えを尊重し、感じ、寄り添う。
そういった生活に役立つものの為それがなんであれスポーツは良いものだと思います。

さて情けない話ではありますが社会人となった私は自分のしたい事がわからなくなっていました。
何故なら友人達と共に居た空間や得難い時間こそが
今となっては人生の軸となってしまっていた為です。
それが突然無くなり放り出された時
私は何になりたいんだと迷ってしまったのです。
ここまでスポーツについて多くを語ってきましたが、
同時に勉学に励む事も忘れてはなりません。
多くの人間はそれらで食べていく事は出来ません。
その時自分の可能性を広げるのは勉強です。
例え何をする事になろうとも文武両道を目指すべきだと私は考えます。
また人によっては無理に独り立ちしようと躍起になり、
人に流されない生き方をしようとしてしまうかもしれませんが、時に周りに同調し流される事はそう悪いことではありません。

室内での業務にほとほと嫌気がさしていた私は次に
自衛官であった時期がありました。

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