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韓国映画「君の誕生日」と「KCIA 南山の部長たち」をめぐって(Ⅱ)

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「君の誕生日」
のエンドロール。テーマ曲が流れるなか、追悼の字幕が映しだされる。

韓国人のすべてが心に傷を負ったセウォル号事故

(↑)週末にはキャンプを楽しむ仲の良い一家を海難事故が一瞬のうちに破壊してしまうが、母は息子の死を受け入れられず、部屋を整理せず生前のままにしておく。(「君の誕生日」より)

「君の誕生日」は、「シークレット・サンシャイン」名匠イ・チャンドン監督のもとで研鑽を積んだイ・ジョンオン監督が、当初はセウォル号事故の遺族たちの精神的なケアを担うボランティアとして関わり、遺された親たちの苦しみや悩みを聞くうち、葛藤と苦悩のすえに、セウォル号事故(内実は事件と呼ぶべきですが)を映画化しようと思いたちます。

(↑)映画のハイライトである<誕生会>の撮影前に、およそ50人の出演者に語りかけるイ・ジョンオン監督。(桑畑優香さんのレポート=後述より)

――イ・ジョンオン監督は、こう語っています。

『君の誕生日』は、私が遺族に出会い、一緒に誕生会を準備する間に経験したことを映画にしました。心に傷を負った人たちが集まって語り合い、笑ったり泣いたりするうちに、少しずつ癒されるようになる。ごく小さな瞬間かもしれませんが、特別な経験です。セウォル号の事故で韓国人のほぼすべてが同じように心に傷を負ったと思います。本作が、みんなが「誕生会」を少しでもともに経験できる時間になればと考えました。
☞記事アドレス☛ https://news.yahoo.co.jp/byline/kuwahatayuka/20201201-00210426

翻訳家・ライターの桑畑優香さん《遺族の痛みに向き合う セウォル号事故描いた『君の誕生日』監督が伝えたかったこと》より

ただ、映画では触れられていない重要な問題があります。

イ・ジョンオン監督自身が語るメッセージ映像(下記アドレス)では、「事故当時の状況や原因に焦点を当てるのではなく、事故の後に残された人々が懸命に生きる姿を描いています」と述べています。
YouTubeアドレス https://www.youtube.com/watch?v=0k6KRJDhz8g&t=48s

作品を観るかぎり、それはそのとおりだと思います。

おそらく、イ・ジョンオン監督は、ある遺族の姿を克明に描ききりたかったのでしょうし、「事故当時の状況や原因に焦点を当てる」と、作品がどうしても政治色を帯び、遺族どうしの離反へのさらなる刺激を避けたのだろうと思われます。

だからなのか、朴槿恵(パク・クネ)大統領(当時)の“空白の8時間”によって、セウォル号遭難者の救助が遅れたのではないか、という当時指摘された疑惑は、作品の中にワンカットも登場しませんでした。

朴大統領の“空白の8時間”

わたしは韓国に行ったこともなければ、新聞やテレビのニュース、雑誌や書籍、ネット情報、それに韓国ドラマで韓国社会の現状を知るくらいで、分かったようなことを言う資格はありません。

ただ、国家とか政府とか権力者には常に懐疑的な性分なので、朴大統領の“空白の8時間”が1分1秒を争う海難救助をどれほど阻害したか、そのため、まだ冷たい春の海で、どれだけの命が失われたか、そのことには今もって強い関心があります。

(↑)苦境に立たされたころの朴槿恵大統領と青瓦台。(2017年、聯合ニュースより)

韓国政治の全権を掌握する<青瓦台>の主であった朴大統領は、セウォル号遭難の第一報を事故直後に受けたはずなのに、“災害対策本部”の召集すらかけず、大統領本人との連絡はとだえたままだったといいます。 

おかかえの美容師に髪を整えてもらっていたとか(8時間も!?)、美容整形の施術中だったとか、ある人物と密会していたとか(密会報道の日本のS新聞社の記者は国外追放された)、諸説ふんぷんでしたが、いずれにしても<青瓦台>の主とは直接連絡がとれず、朴大統領本人が行動を起こすまでの“空白の8時間”は、当然のことながら、国民の顰蹙(ひんしゅく)を通り越し、怒りすら買ったのです。 

(↑)セウォル号事故の檀園高校犠牲者の合同葬儀で遺族たち。(2014年、西日本新聞より)

そのころ、フェリー発着場に駆け付けたセウォル号遭難者のおもに女性親族たちが、両手をすり合わせ、口々に「アイゴー」と海に向かって叫ぶ様子が、まだ目に焼き付いています。

セウォル号事件の原因や疑惑などについては、《何も解決していないセウォル号事件~映画「君の誕生日」の奥にある現実/2020/12/13共同通信社発信》にくわしい。
記事アドレスは https://nordot.app/709631065250349056?c=39546741839462401  

 朴氏は、のちに(友人経由の)財閥などから賄賂を受け取った汚職容疑で大統領職を罷免されますが、財閥に対する反感、すなわち恨(ハン)の国民感情が一気に噴き出した結果とも言われ、国の富をほぼ占有する財閥への怨みつらみ、それとは裏腹に就活生にとっては憧れの対象である財閥グループ企業――このことは韓国民の複雑な共通認識のようにこちらの目には映りますし、だからこそ韓国ドラマにとって欠かせないテーマとなっているように思えます。

さらに推察すれば、朴氏の失墜は、日本では忘れられ、韓国社会には今も根付いている儒教精神をないがしろにするようなセウォル号海難事故に際しての<国を統治する者の責任放棄>、それが国民には到底許されないことだったのではないでしょうか。

まして、“人災”による被害者が修学旅行中の高校生であり、彼らの多くは命が絶えるまでスマホで必死に肉親に向けて直接の救助を求めた、というところに、悲劇の生々しさがあります。

水産高校実習船「えひめ丸」事故を忘れまじ

(↑)愛媛県立宇和島水産高校の実習船「えひめ丸」(当時)

TBS系の人気テレビ番組「プレバト!!」で俳句コーナーを担当する俳人・夏井いつきさんが、次の句を詠んでいます。

春寒の海声錨祈りそして

寺田実穂子さんの記事(*)によれば、
<「春寒(しゅんかん)」は「瞬間」、「錨(いかり)」は「怒り」に通じる。「9人のあの瞬間の声、家族の皆さんの悲痛の声、世界中の人々の祈りの声がやがて昇華されていくさまを、『そして』という終わりのない永遠の言葉に象徴させた」>
というものだそうです。

(*)「えひめ丸事故20年 プレバト夏井さんが詠む祈りと怒り」(朝日新聞デジタル2021年2月10日発信より)

 “忘れやすい国民”と言われるニッポン人が、ぜったいに忘れてはいけないと警鐘を鳴らした夏井さんの一句は、20年前の高校生の海難事故を詠んだものでした。

 ――2001年2月9日、ハワイ沖で愛媛県立宇和島水産高校の実習船「えひめ丸」が、ハワイ・オアフ島沖で浮上してきたアメリカの原子力潜水艦「グリーンビル」に激突されて沈没し、乗船していた35人のうち、実習生4人を含む9人が死亡しました。

 アメリカ海軍は「ソナーによる確認作業がおろそかになっていた」と過失を全面的に認め、異例の謝罪をしたわけですが、「事故当時、休暇でゴルフ場にいた森喜朗首相は、事故の連絡後もプレーを続けたことが問題視され、支持率を下げた」という問題が残りました。(時事通信社の記事を引用)

ある老害政治家の“空白のゴルフタイム”

森喜朗元首相は、過去に“日本は天皇をいただく神の国”だとか、東京五輪を目前に女性に対する暴言を吐いて五輪委員長職を辞任させられるなど、2012年に政界を引退したとはいえ隠然たる影響力をもつという意味合いから“老害政治家”の筆頭格と呼んでも差し支えはないだろうと思いますが、「えひめ丸」事故では、多数の高校生が米軍の潜水艦により遭難した重要案件を知りながら、首相官邸に駆けつけるどころか、そのままゴルフを続けていたという、若い命をなんとも思わない姿勢に、国民の怒りを買ったのでした。

 ところが、森氏は首相を辞任してから10年後に、「えひめ丸」事故に対して、とんでもない“回想”をしているのです。(記事の一部を引用)

 ──えひめ丸事件のときに、ゴルフをしてたことで叩かれてましたけど。:もう思い出したくもないけど、あれもテレビのいい加減な報道で。あれはちょうど6番か7番(ホール)のときで、そこで秘書官から電話が来たんですよ、「詳しいことはわかりませんが、どうもハワイでこういう事故があったみたいです」って。「じゃあ、すぐ帰ったほうがいいのか?」って聞いたら、「いや、もうちょっと様子を見るからそっちにいてください」と。でも、ゴルフ場で座っているわけにいかないじゃない。後ろの組がどんどん来るんだから。そうじゃなくても嫌がられてるんだよ、SPが周りにいるから。だから、早くホールアウトしようとしたら、「事故の報告を聞いてるのにゴルフやってた」とか叩かれて。そのあとも「着替えてから(官邸に)行ったほうがいいか?」と聞くと、「そうしてください」って言うんで途中で着替えて行ったら、今度は「すぐ飛んで行かないで、シャワー浴びてから行った」と書かれた。でも、ゴルフウエアのままで官邸に入ったら、今度はなんて書かれたことか!
――絶対に叩かれますよ!
:そういうバカな話なのよ。とくにひどいのは、冬なのに私のゴルフ映像は真夏の格好で、麦わらの帽子に半袖のシャツ。それをNHKも含む全テレビ局が扱うんだから。

(NEWポストセブン 2012.12.02発信より抜粋)

どっちがバカかと言いたくもなりますが、ことほどさように、ニッポンの政治家の多くは子ども以下、他人のせいにするばかりで、自分の意思や判断力を欠落させた愚か者としか言いようがありません。

 えひめ丸事故は「2003年1月に米軍と全遺族との和解が成立した」そうですが、そこに至るまでには葛藤や障壁がきっとあったでしょうし、遺族にとって本当に納得がいくものだったのかどうか。

そのことを、「君の誕生日」は、思い起こさせます。

 (つづく)


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