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【忘れえぬ人 #1】若造の窮地を救ってくれた雪村いづみさん

国木田独歩の小説に『忘れえぬ人々』がある。江戸の風情が残る明治の市井(しせい)の人々を描いた作品(1898年)だが、文豪のタイトルをお借りするのはためらわれた。
中村稔さん(詩人・弁護士)の連載(詩誌「ユリイカ」)には「忘れられぬ人々」というこれまた魅力的な題名がついていた。
いろいろ迷ったあげく、通しタイトルは『忘れえぬ人』とした。

▲(トップ画像)「雪村いづみ 思い出のワルツ tribute三人娘/わが心のひばり、チエミ」のジャケット写真(2024/03/02フジテレビ放送「太田光のテレビの向こうで 佐野元春編」より)

雪村いづみさんは、今も「女神」(ミューズ)である

学生くささの抜けない駆け出し社会人であった、わたしの窮地を救ってくれた「女神」(ミューズ)のお話から始めたいと思う。
 
雪村いづみさんである。
 
雪村いづみさんは、1970年代の中頃に、たしか<日生劇場>だったと思うが、リサイタル公演をおこなっていた。
 
そのさなか、ある人と別れるのなんだのというスキャンダルが勃発し、女性週刊誌の各誌は雪村さんからコメントを取ろうとやっきになっていた。
 
激しい取材合戦を知った上司は、<反論ジャーナリズム>をぶち上げる絶好の機会と、「朝日ジャーナル」まがいの<正義>を思いつき、雪村さんの<反論>を取るため、新人のわたしを公演の劇場に張りつかせることにした。
 
しかし、急派されたわたしにとってみれば、ファンと同じように、<入り待ち><出待ち>では、らちがあかないことくらい取材のイロハも分かっていないシロウトでも分かっていた。
 
そこで、雪村さんの楽屋に届け物があると言って、劇場内に入らせてもらうことにした。
(今なら、ぜったいに許されないだろう)
 
しばらくの間、楽屋の前で待ったが、ご本人はおろか関係者すらも警戒して姿を現さない。
 
ついにしびれを切らして、楽屋のドアの下から、質問のメモを差し入れた。
 
(そんなことをしてもムダだと思った)
(追い返されるのが関の山だと思った)
 
ところが、どれくらい待っただろう、楽屋の扉が少し開き、小さなメモを事務所の人が返してくれたのだった。
 
そこに、スキャンダルに対する<反論>が書かれていたわけではなかったが、こちらを長時間待たせたお詫びとロングラン公演を終えたら記者会見をする旨が記されていた。
 
そして、メモの最後に、<雪村いづみ>とサインされていたことにわたしは小躍りした。
 
たとえメモの小片であったとしても、そしてスキャンダルに対する<反論ジャーナリズム>の体をなしてはいなかったとしても、嬉しかったし、心から感謝した。
 
その<自筆の返信>のおかげで、メモをそのまま誌上に掲載し、小さな特ダネとなった。
 
わたしは、顔も会わさぬ一介の人間に対して、相手を思いやる雪村いづみさんの優しさを思い、仕事をいつクビになるかの瀬戸際に立っていた自分を救ってくれた<女神>のように思った。

雪村いづみさんと佐野元春さんのコラボをNHKで観た

2024/03/02フジテレビ放送「太田光のテレビの向こうで 佐野元春編」より

それから、半世紀ほどをへて、佐野元春さんが雪村いづみさんを語るというフジテレビの深夜番組を観た。(2024/03/02フジテレビ「太田光のテレビの向こうで 佐野元春編」)
 
佐野元春さんは雪村いづみさんとアルバムを製作し、雪村さんの人柄とプロ意識を褒めたたえていた。
 
“昭和の三人娘”として絶大な人気を誇った、雪村いづみさん、江利チエミさん、美空ひばりさん――いずれも、人柄のよい人ばかりというのが世間の評判だった。
 
流行歌手にして俳優だった江利チエミさんは高倉健さんの妻として亡きあともその人柄が偲ばれ、小林旭さんの妻となっても“昭和の歌姫”美空ひばりさん(そのひたむきな半生は竹中労著『完本 美空ひばり』ちくま文庫に詳しい)は数々の名曲を残し、亡くなってしまった。
 
今は“昭和の一人娘”となってしまったが、雪村いづみさんには、自分の歌いたい歌を歌って、もっともっと活躍してほしいと切に思う。
(番組を見たら、雪村さんの声量に衰えはまったく感じられなかった)


2024/03/02フジテレビ放送「太田光のテレビの向こうで 佐野元春編」より

――50年も前の吹けば飛ぶような出来事を、大歌手が覚えておられるはずもないが、どこの馬の骨かも分からない若造に、誠実に対応してくださった雪村いづみさん、本当にありがとうございました。


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