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仏教との関係4

孔雀は悪食であり、いやな声でなく密林では気味の悪い鳥であり、体が大きく、毒蜘蛛、毒蛇、サソリなど容赦なく食いついてしまうことにドラビタ人達は仰天したが、この鳥の美しさと悪食のギャップの中に超能力を持った怪鳥としての存在に偉大なものを感じとったからである。人間は弱い、毒に当たれば死ぬ。しかしながら孔雀は悪食しても死なず、解毒し咀嚼する。古代インドの一部の思想にあっては孔雀の解毒能力をうらやむよりは、毒に当たった人間が孔雀になれば命が助かると思った。毒に当たればすぐ孔雀の咒(じゅ=まじない)を用い、自分の内臓を孔雀の内臓に変じさせることで命を助けようとした。

孔雀についての密教的修法の情景は・・・

まず、孔雀明王の絵像をかかげる。孔雀明王の体は白い肉色に塗られ、金色の孔雀に乗っている。準備として必要な密具を置く。大壇上には、羯磨杵(かつましょ=密教法具の一つ、羯磨とはカルマ(業)のこと)、孔雀の尾を入れた梵筐(ぼんきょう)並びに中瓶には三五茎の孔雀尾を差し入れる、別に護摩壇、聖天壇、十二天壇に構えなければならない。護摩は一日に三度行う。別に聖天壇にあっては、後夜と日中にそれぞれ一座ずつ行い、十二天壇においては初座に一座行う。術者は孔雀明王と合一しなければならない。ために手をもって孔雀明王の印を結び、孔雀明王の真言(マントラ)を唱える。

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