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アイドルとの向き合い方

バラエティ番組として「日向坂で会いましょう」のファンになったのがおととしの9月。それから日向坂46をアイドルとして意識し始め、追いかけるようになってから、そろそろ丸一年が経つ。コロナ禍で思うように外出できず、ずっとおうちに篭っていたこの灰色の期間をたのしく過ごせたのは、まちがいなく日向坂46のメンバーのおかげだったと思う。ハマった当初は地上波番組に出演が決まっただけで大騒ぎだった彼女たちも、いまでは毎週のようにバラエティ番組にゲストとして呼ばれるようになり、着々と先達の歩んだ道を突き進んでいるようだ。全力で坂道を駆け上がっていく日向坂46を見ていると、自分の人生の前進のなさが際立って悲しくなるが、そうやってうじうじしていても仕方ないので、年初のnoteで宣言したとおり、最近の僕は次なるキャリアに向けて動いている。彼女たちに背中を押されたのか、それとも、その輝きに抱いた劣等感の反動なのかはわからない。しかし、日向坂のメンバーの発する圧倒的な陽のエネルギーを浴びていると、家でじっとしているだけでは損だと思わされるのはたしかである。

一方で、なんとなく日向坂46への熱が徐々に落ち着きつつある自分もいる。最近、そのことに気づいてちょっぴり寂しくなった。テレビや雑誌をすべてチェックするのはやめたし、一時期は毎週楽しみにしていたレコメンも聴いていない。なんなら欠かさずリアルタイムで聴いていた『日向坂46の「ひ」』も、年が明けてからはタイムフリーで聴き流す程度になってしまった。メッセージアプリも追いかけるのが面倒になって、期限が近いものから更新を止めている。ずっと楽しみにしていたシングルは半年待っても出ないし、現地でのライブ参戦もまだまだ難しそうだ。一般的なファンと比べればまだまだ熱心に追いかけている方だという自覚はあるけど、正直、惰性になりつつある感は否めない。いろいろと待ちくたびれてモチベーションが下がってしまったのかもしれない。

要するに、ハマりたての頃のワクワクが足りないのだ。新しい世界の扉を開け、自分にもこんな気持ちが湧くのだと興奮した、出会いの感動の賞味期限は切れつつある。カップルで例えるなら倦怠期。野球選手でいえば2年目のジンクスに突入したのだ。デビュー当初からつねに右肩上がりだったグループの動きも、ここにきて一旦の成熟を見せたような気配もある。僕が日向坂46に惹かれたのは「これから流行る」という予感だった。一時期乃木坂四期生に目移していたのも、その将来性と未完成さゆえだったと思う。4月のテレビやラジオの改編情報はまだまだ続報がありそうなので、日向坂46関連の嬉しいニュースはあるかもしれない。だが、それも現状の延長線上にあるのは事実だ。いち新参者としては、そろそろ次の「あたらしい体験」がほしい。この一年間がたのしかった分、徐々に見ていている景色が色を失っていくのが、とてつもなく寂しい。そういえば、時を同じくしてジャニーズWESTにどハマリしていた高校の友だちは、彼氏ができてアイドルへの完全に興味をなくしていた。僕にも「卒業」の時期が近づいているのだろうか。

そんなことを、この数週間考えていた。そして、最終的にたどりついたのは「べつに自分のペースで推せばいいじゃないか」という当たり前の答えだった。日向坂46にのめりこむ初速があまりのも早かった分、熱が落ち着いたときの温度差に自分自身が戸惑ってしまっていたのだ。アイドルにハマったこの一年は時間の無駄だったのか、もっとほかにエネルギーを注げたのではないか、とも考えたのだけど、いまさら言っても仕方ない。それに、せっかく見つけた新しくて楽しい世界を、わざわざ否定したり卑下する必要もない。緊急事態宣言下の5月、人気のない渋谷スクランブル交差点の中継画面と感染者の増減グラフを祈るような気持ちで眺めていた僕の不安や寂しさに寄り添ってくれたのは、テレビやラジオの向こう側にいる日向坂46のメンバーだった。たしかにあのときの僕はアイドルの笑顔とがんばっている姿に救われた。いまの僕はキャリアについて悩んでいる。この精神状態にたいする処方箋が日向坂46やそのほかの趣味への没頭ではない、というだけのことなのだ。だから、いまのこの悩みが落ち着いたら、そして、現地でのライブ鑑賞が可能になったら、前みたいに思いっきり沼に足を突っ込みたい。とりあえずいまはそういう気持ちでいいのだと思っている(とか言って、あっさり数週間で日向坂46の熱が復活したりして。それはそれでいいのかな)。

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