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Go To Cinema

近所の映画館が約2ヶ月ぶりに再開するらしい。やっとか、と思った。ほかの映画館はすでに営業を始めていたのに、最寄りの映画館はしばらく再開の兆しがなかったから、正直言って僕はすこし焦っていたし苛ついてもいたのだ。だから再開の報を聞くと僕は急いで映画館のホームページを開いた。なるほど、当然のことながら通常通りの営業とはいかず、いくつかの制限やルールが設けられるらしい。シアターの入り口には検温器を設置、座席は1つずつ間隔を開けて販売され、鑑賞時にはマスクの着用が求められる。なかなかの物々しさである。これもニュー・ノーマルのひとつのあり方なのだなと思った。

気になるのはラインナップだ。新作映画はほとんど公開されていない。ひと足先に再開した地方の映画館が名画座状態になっているのは聞いていたが、ご多分に漏れず近所の映画館のラインナップも本屋の廉価版DVDの棚のような並びだった。アベンジャーズ、ブレードランナー、俺たちに明日はない、男はつらいよ、君の名は。、シン・ゴジラ…。この時期にしか見られない贅沢な作品たちである。どれを選んでも絶対に面白い。しかし、せっかくの再開1本目なので新作映画が見たいと思った。ひとつぐらいあるんじゃないのと上映作品一覧を吟味していると、「ルース・エドガー」という見慣れない作品名がまぎれている。マイナーなクラシックもやっているのだなと思ったのだけど、調べてみたられっきとした新作映画だった。よくわからないけど、とりあえずこれにしよう。

待ちに待った再開の日。家から最寄りの映画館まではそこそこの距離がある。余裕を持って着きたくて仕事を早々に切り上げ、「いざ映画館!」と自転車にまたがり走り出した時、僕は気づいてしまった。この2ヶ月間、家から半径500メートル範囲内の空気しか吸っていなかったことに。映画館は駅前の繁華街を突っ切った先にあるのだけど、高校、大学、社会人と毎日のように歩いていた駅までの道を、僕はこの期間一度も通らなかった。しばらくご無沙汰のあいだに、更地だった場所にはきれいなアパートが建てられ、駅チカの弁当屋は潰れている。毎日通り過ぎていたら気にも留めなかったであろう変化がいたるところにあふれていた。

自転車を飛ばし街の中心部へ近づくと、徐々に人混みも増えていった。重たそうにビニール袋を提げる主婦、仕事を終えたサラリーマン、無邪気にサッカーボールを蹴って走り回る子ども、あてもなく散歩をする老人。あのうっとうしい居酒屋の客引きも律儀にマスクを着けて呼び込みを行っている。家族ではない他人がたくさんうごめいている光景が新鮮だった。みんな僕よりずっと先に日常に戻っていたようである。生まれてから25年間住み続けた街のはずなのに、オドオドしている自分だけ部外者のような気分になって、少々居心地が悪かった。

この日は梅雨をすっ飛ばしてひと足先に夏が割り込んできたような晴れだった。2ヶ月前にここに来たときに比べるとずいぶん日も長くなったと思う。18時を過ぎてもまだ明るい。ほんのり涼しい夕風をあびて自転車を漕ぐ。これが最高に気持ちいい。そうそう、これだよこれ。正直目的地にたどり着く頃には映画なんてどうでも良くなるぐらい満足してしまったのだけど、なにもしないで帰るのも勿体ないからと、予定通り「ルース・エドガー」を見ることにした。

いつもは映画館の入っている建物の入り口からまっすぐエレベーターに乗って上がるところを、きょうは遠回りしてエスカレーターを使う。ワンフロアずつ懐かしの光景を眺めてみたいと思った。ひさびさに映画館に来たぐらいでなにを感傷的にと言われてしまうかもしれないけど、とにかくその時の僕は興奮していたのだ。2ヶ月ぶりのエントランスに、2ヶ月ぶりの券売機。それから2ヶ月ぶりのチケットもぎりのアナウンス、2ヶ月ぶりのトイレ、2ヶ月ぶりの映画泥棒…目にするものすべてが2ヶ月ぶりだ。なんとなく落ち着かない。しばらく距離を置いていたひとにうっかり出会ってしまったような気まずさを感じた。

いよいよ上映開始。僕以外には後ろの方に二人ほどおじさんが座っていた。僕と同じ中毒患者なのだろう。親近感を覚える。ガラガラのシアターで僕は映画館で作品を見られる幸せを噛み締めた。大きなスクリーンに立体的な音響、背もたれのついたふかふかのシート。すべてが映画を最高の環境で楽しむためだけに調えられている。ここのところリビングのテレビで家族の目を気にながら鑑賞するのが常だったから、その感動はひとしおだった。やっぱり映画は映画館で見るのがいちばんだと思う。

お目当ての「ルース・エドガー」はリハビリにちょうどいい良質な小品だった。映画館を出て、駐輪場でしばし余韻に浸る。夢のような時間を過ごし、興奮でからだが火照っているのが自分でもわかった。そんな時は風を浴びながら自転車で夜の繁華街を抜けるのがいちばんだ。スクリーンの中の非現実から現実の世界まで帰ってくるにはしばらく時間がかかる。だから映画を見た後の〈帰り道〉が絶対に必要なのである。自宅での映画鑑賞はテレビを消せば即現実だ。それじゃ味気ない。もはやこの帰宅の儀式を済ませないと映画を見た気にならなくなった。校長先生のありがたいお話ではないけれど「家に帰るまでが映画鑑賞」なのだと僕は信じている。どれだけ便利になっても替えの効かない特別な体験が、映画館にはあるのだ。

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