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アイ・ラブ・ユー。できるか、青年。

「男はつらいよ」シリーズは名言の宝庫である。中でも「男はつらいよ 寅次郎頑張れ!」で寅さんが恋に悩む青年にかけたことばは随一の力を持っている。

「アイ・ラブ・ユー。できるか、青年。」

帝釈天で産湯を浸かった生粋の江戸っ子がつかう「アイ・ラブ・ユー」のことば。あえて横文字である。そこに含まれるキザっぽさと照れ隠し、あまりにストレートでこっ恥ずかしいその響き。カッコつけてあえてその〈ダサい〉フレーズを選ぶセンス。惚れては傷つき、振られては旅に出て…を繰り返す男の精一杯のアドバイスである。彼自身がその「アイ・ラブ・ユー」を伝えられないがゆえに数々の失恋を経験していることを知っていればこそ、そのことばの重みはずしんと見る者の心に響くのだ。

僕がこのことばに出会ったのは大学生の頃。キャリア教育の一環でキャンパスに松竹の社員が講演会にやってきたとき、自社のコンテンツ展開のひとつとして「男はつらいよ」キャンペーンを紹介した際に取り上げられたのだ。

当時、僕はサークルの同期で好きな子がいて、もう一歩踏み出すか、友だちのままでいるかどうかで非常に悩んでいた。そんなタイミングで僕は彼女をこの松竹社員の講演会に誘ったのだ。君も映画好きだよねとかなんとか理由をつけて。幸い彼女は快く話に乗ってくれて、僕はドキドキしながら講演会に参加した。正直、話の中身は覚えていない。たぶん映画会社の仕事内容を紹介していたのだと思う。その中で出会ったのがこのことばだ。誇張なしで脳みそに電撃が走った気がした。

なにこれ、めちゃくちゃカッコいいじゃん。セリフの文脈はわからなかったけど、寅さんが恋する若者に向けて放ったことばであろうことは理解できた。当時「男はつらいよ」のことはまったく知らなかったから、こんなことばを若者に伝える寅さんはさぞ磨かれた大人なのだろうと思った。その直感はある意味で間違っていて、ある意味で正しかった。とにかく、心にもやもやとした想いを抱えていた僕の背中を、寅さんがトンと押してくれている気がした。

その後ほどなくして僕は彼女に想いを伝え、めでたく付き合うことができた。1年間の遠距離恋愛期間を挟んだりしたけど、なんとか波を乗り越えて付き合い続けた。でも、恋人どうしになってから3年半の月日が経ったことしの3月半ば、けっきょく僕は彼女に振られてしまった。しかもその半年後、彼女は僕の大学の仲のいい友だちと付き合い、8月に結婚を決めた。別れて半年。結婚相手はおなじコミュニティの人間である。正直、最初にこの話を聞いたときは飲み込みきれなかった。本当にこれって僕に降り掛かった話?いまでも完全には受け止めきれてはいない。あまりに突飛な出来事だったので、どこか他人事のようにすら受け止めていた。この複雑な感情はいまでも変わっていない。


寅さんはいつも「男は振られたら女の前から黙って去るものよ」と語っている。たとえ女性に想いを寄せても自分の気持ちを押しつけたりせず、本人にその気がないことを知ればすっと静かに身を引く。ときに彼女の前には車寅次郎という男など存在しなかったかのように振る舞う。その一歩踏み出せなさに寅さんの未熟さ、大人になれない理由を知ると同時に、「男はつらいよ」という古臭い印象のタイトルからはかけ離れた普遍的な恋の悩みを読み取ることもできる。親族の心配をよそに根無し草のヤクザな生活を続ける寅さん。その浮世離れした生き様に、現実の僕たちには決してたどり着くことのできない自由を、ああなれたらどれだけ楽だろうかというあこがれの感を抱くのである。

しかし、一方で寅さんは最初から「潔く身を引く」ことを知っていたのだろうか、とも思う。少なくとも僕だったら無理だ。そんなに簡単に割り切れない。たくさん振られて、たくさん傷ついて、最後にたどり着いた境地が、みんなの憧れる寅さんの「哲学」なのではないだろうか。心の痛みを知ればこそ、他人に優しくなることができる。いつもは自己中で甘えん坊の寅さんだけど、どうにもならない事情に振り回される人間や、傷ついて失意に沈む仲間にたいしてはとことん優しい。だから疲れたときに「男はつらいよ』を見ると、寅さんがそっと僕のそばに寄り添ってくれるような気分になる。正直、彼に色気はない。だけど、心にたくさん傷を抱えて、それでも前向いて生きる寅さんに大人の魅力を感じずには居られない。僕もいつか寅さんような「男」になれるだろうか。

「悲しみよ ありがとう」ではないけれど、僕の経験がこれから先の人生の「哲学」の糧になっていくのだとしたら、多少の苦難も悪くはないのかもしれない。それならもっともっといろんなことをやってみたい。知らない土地に行ったり、新しい友人を作って、この広くて退屈な世界のことをたくさん知りたい。おうちでじっとしているだけでは行けない気がしてきた。寅さんには「そんなに焦るな、青年よ。」と優しくたしなめられるかもしれないけれど。

「お前もいずれ、恋をするんだろうな。あぁ、可哀想に。」
ー「男はつらいよ 寅次郎あじさいの恋」

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