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散歩道の桜を追って

朝起きてすぐスマホを開いたら、見たいと思っていた映画のチケットが完売だった。すっぽり空いてしまった午前中の予定を、どう埋めようか。ほかの映画でも見ようかとしばらく悩んだ末、せっかく天気もいいし、お気に入りの散歩コースでひとり花見をしようと思い立った。

近所の公園は、僕と同じようにこの雲ひとつない空に誘われてやってきたであろう花見客で溢れていた。といっても、それなりに大きい公園だし、人手が多いとはいえ、あまり密集している感じはない。広めの芝生では子どもたちがサッカーの試合をしている。満開の桜の樹の下には、家族連れがテントを立てて、持ち込んだ弁当でささやかなピクニックを楽しんでいる。そのわきに目をやると、小学校の卒業式終わりらしい、小綺麗な格好をしたお父さんとお母さんが、落ち着きなく歩きまわる我が子の晴れ姿を写真に収めようと戦っていたり、レジャーシートを敷いた男女が、身を寄せ合って昼寝をしたりしていた。僕のようにひとりでふらふらと散歩をしている人間は少数派らしい。それぞれが好きなように桜を楽しんでいるが、みんなこの世界に悲しいことなんて一つもないみたいな顔をして、ただひたすらに春の訪れをよろこんでいる。なんて素敵な空間なんだろう。みんなが毎日花見のときの和やかな気持ちを忘れずに暮らせたら、もっと世の中平和になるのにと、柄にもなくピュアなことを考えた。

ふだんはイヤホンをして好きなラジオを聴きながら歩くこの散歩道を、きょうはなにも聴かずに行こうと思った。特に理由はない。まわりの人の話を盗み聞きしたいわけでもない。ただなんとなく、もったいない気がしたのだ。じっさい、外の音を拾いながら歩いてみると、景色の見え方も変わってくる。普段だったら単なるラジオ番組の背景でしかない人たちが、ちゃんとそこに「存在」している。そして、自分もまた同じ時を共有しているのだと思えてくる。いつもの僕はとてももったいないことをしているのだと気づいた。ラジオを聴きながら散歩をするのも大好きだけど、たまには、しっかり散歩そのものを楽しんでもいいのにねって。

そんな事を考えながら歩いていると、ふと、マスクを外したい衝動にかられた。僕は散歩をしているとき、マスクを着けて、イヤホンをしている。五感のうち、耳と鼻から得られる情報をシャットアウトしているのだ。そもそも人がたくさんいる場所でノーマスクはご法度なのだが、どうしても春の匂いをかぎたくなって、まわりに人が居なくなったタイミングを狙い、こっそりマスクを外してみた。すると、甘い花の香りや、少し湿った地面の土と青々とした芝生の混じった匂いが体中を駆け巡って、ぐっと目の前の景色の彩度が変わった。嗅覚は、ときに視覚以上に敏感に世界を捉えてくれる。この一年、外を出歩くときはかならずマスクをしてきたけれど、やっぱり、本当は匂いも必要なのだと思った。拾わなくてもいい雑音や、特に嗅ぎたくもない悪臭もまとめて受け止めてはじめて分かってくることや感じられることがあるのだと、あらためて気付かされた。

特に考えなしに歩いていると、いつもは通らない、公園の端っこまでやってきた。そういえばこの先には、子どもの頃によく通っていたリサイクルショップがあったっけ。歩きまわって疲れていたので引き返してもよかったのだけど、もう10年は行っていないそのお店に、ひさびさに行ってみたくなった。感覚を頼りに、慣れない住宅街を突き進む。インフルエンザで学級閉鎖になったとき、友だちと遊ぶ約束もできず、家に引きこもっていても暇だからとニンテンドーDSのゲームを探しに行ったり、シムシティのソフトが欲しくて店員さんに「PCのゲームのコーナーどこですか?」と聞いたら、こっそりエロゲのコーナーに案内されて困惑したり。歩きながらリサイクルショップの思い出に浸っていると、気づいたときには迷子になっていた。ああ、絶対にこっちの方面ではないな。急いでGoogleマップを開こうとしたが、これじゃつまらないなと思ってスマホをポケットにしまった。帰り道はわかるし、このまま本能に身を任せて進んでみよう。近所にはあるはずだから、そのうち着くかもしれない。これは長い旅になるぞと思ったが、10分も歩くと大きな通りに出た。見覚えのある店も見える。どうやら僕は完全に反対方向に歩いていたらしい。「地図のない冒険」というと大げさだが、単に僕が方向音痴なだけだった。

軌道修正して、さらに10分も歩くと、お目当てのリサイクルショップに着いた。あの頃と同じ外観。相変わらずゴテゴテと看板やステッカーが貼ってある。入り口にはガチャガチャコーナー。扉をくぐるとクレーンゲームがいくつか並んでいる。壁はフィギュアやゲームの買取価格をケバケバしく羅列したチラシでびっしりと埋められていた。僕が子どもの頃と何も変わらない。強いて言うなら、僕のときはワンピースやナルトだったフィギュアが鬼滅の刃になり、中古ゲームの棚がニンテンドーDSとPSPからニンテンドーSwitchに入れ替わっていたぐらいだ。いまも昔も、この空間は少年たちが好きなものしか存在しない。お店の中はちょうどあの頃の僕と同じぐらいの少年が友人たちといっしょに獲物を吟味していた。特にほしいものがなくても、ただこの店を散歩するだけで、なぜだかとても楽しかったんだ。そんなことを思い出して、しばし懐かしい気持ちに浸る。

しかし、何かが足りないと思った。しばらく考えて気づいた。匂いである。本当にあの頃を思い出したいと思ったら、匂いがないといけない。だから僕はまた人目を盗んで、お店の端っこでこっそりマスクをずらした。鼻になだれ込んでくる、湿った木の香り。なんだこれとまわりを見渡すと、図工の授業で作ったような粗末な木の棚と、ボロボロの木目に埃の積もった床が目に入った。そういえば、この店は昔から妙に学校の教室みたいな空気が漂っていたっけ。ずっと視界には映っていたはずなのに、匂いを嗅ぐまで、そのことにまったく気づかなかった。不思議な感覚だった。僕は何かを見ているようでいて、何も見ていない。つくづくこのマスク生活がうっとうしいと思った。マスクをしていると相手の表情が見えにくい…という話はよく聞くけど、どちらかというと、世界から匂いが消えてしまう方が、僕には耐えがたいかもしれない。来年の春は、どうなるだろうか。こんどの花見はひとりじゃないといいなと思いながら、僕は家路に着いた。

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