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カレーうどん

お昼に食べたレトルトカレーのにおいが、食道を逆流して口の中に漂う。ランニング中の僕は胃からせり上がるその生ぬるいガスに気持ち悪くなってしまった。カレーは大好きな食べ物だ。いつ食べても美味しい。しかし、一度食べたが最後、次の食事までスパイス臭と向き合うはめになる。晩ごはんがカレーのときは最悪だ。だいたい作った分を食べ切れなくて、翌日の朝ごはんも残り物のカレーになってしまうからだ。僕の胃の中ではカレーの上にカレーが積み重なる状態となり、しばらくスパイス臭を抜くのは難しくなる。正直、これはラーメンやぎょうざのにんにく臭よりもやっかいだと思っている。

どうせ人気のない公園を走っているのだから、レトルトカレーのにおいなど気にする必要はないはずだ。すぐわきを誰かが通るわけでもない。せいぜい夜間パトロール中の野良ねこたちが沿道で僕の走りを見守っているぐらいである。においを気にするならむしろシャツをびしゃびしゃに濡らす汗の方が問題だろう。それでも、僕はお昼ごはんのにおいを撒き散らしていないか心配してしまう。

走りながらなぜこんな細かいことを気にするのだろうと考えていたとき、ふと、子どもの頃の嫌な思い出が蘇ってきた。

小学生の頃、僕は父と近所の床屋に行くのが好きだった。髪を切ってもらうのは僕だけで、父はひたすらソファで読書をして待っている。そこは感じの良い中年夫婦が切り盛りしている店で、少々値は張るけれど技術はたしかだった。カットはおじさんが担当し、顔そりや洗髪など最後の仕上げでおばさんにバトンタッチをする。刈り上げはバリカンをいっさい使わずハサミだけできれいに仕上げ、締めのシャンプーはおばさんが肉肉しく太い指でごしごしマッサージしてくれた。このシャンプー技術はいまでも世界一だと思っている。当時僕は髪を切ってもらうためではなく、このアザができそうなぐらい強力な頭皮マッサージを受けるつもりで床屋に行っていた。

とある休日の午後、僕はいつものように父に連れられて床屋で髪を切ってもらっていた。そして長く退屈な刈り上げタイムが終わり、いよいよお待ちかねのシャンプー開始というタイミングで、悲劇は起こった。締めの作業に取り掛かるべく控室から出てきたおばさんが、散髪作業を終えて片付けをするおじさんとひそひそ話している声が背中の方から聞こえてくる。

「あれさ、カレーうどんじゃないの。」

「やっぱり!」

僕は耳を疑った。なぜなら僕の父はその日の昼にカレーうどんを食べていたからである。詳しくは覚えていなけれど、家族でカレーうどんを食べたのは父だけだった。僕の話ではない。ふたりは奥のソファで待つ父から漂うにおいで、クイズ大会を開催していたのである。

とてもショックで恥ずかしかった。なぜなら僕の父はそれなりに離れていても分かる程度にキツいカレーのにおいを漂わせていたということになるからである。しかも当の本人はそんなうわさ話をされているとは露にも思わずのんきに本を読んでいる。父がこのことを知ったら傷つくだろうなあと思った。僕にしても父をバカにされるのは不本意で屈辱的だ。普段は柔和なふたりの裏の顔を知ってしまったのも怖かった。

なによりスパイス臭だけで父のお昼ごはんを的中させたのが驚きだった。カレーではなく、カレーうどんである。口からスパイスのにおいを漂わせている人がいたら「カレーを食べたんだな」と捉えるのが素直な解釈である。なのにうどんという隠し要素を見抜いて一発で「あれさ、カレーうどんじゃないの。」と正解にたどり着いてしまう洞察力。いまだになぜおばさんがにおいからカレーうどんの答えを導き出すことができたのかはわかっていない。におい以外のヒントがあるとしたら…いくつか思いつくけどあまり品のいい話ではないので、深追いはやめておこう。

結局、僕は〈ひとのにおいでお昼ごはん当てクイズ大会をする人〉を直接この目で見てしまって以来、特にカレーのにおいが残ることには敏感になってしまった。せめて僕の聞こえないところでやってくれればよかったのに。いまになってあのおじさんとおばさんに恨みが募ってきてしまうのであった。

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