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髭男爵とリモートワーク

「ボクらの時代」という番組がある。毎回様々な分野で活躍する人びとを3人迎え、司会者なしのフリートークを展開する日曜朝のトーク番組だ。日曜の朝(7時!)に起きていることなど年に数回あるかどうかなので見たことはほとんどない。だけど、ゴールデンウィークに放送された回は珍しく録画して見た。なぜならゲストが〈一発屋芸人〉だったからである。ふだんは俳優やアーティスト、話題の文化人を招くこの番組に、髭男爵・山田ルイ53世とコウメ太夫とスギちゃんの3人が出演しているのに興味を惹かれたのだ。どちらかというと真面目そうな雰囲気のこの番組で3人がなにを語るのか。僕はワクワクしながら録画を再生した。

彼らが呼ばれた理由ははっきりしていた。スタジオに集まっての収録ができないこの状況下、番組初のリモート収録の〈実験台〉として招集されたのである。なるほどそういうことか。たしかに爽やかな休日のはじまりに見るには少々油分の多いメンバーだ。どうせコケてもたいした痛手にはならないだろうという起用側の意図が透けて見える。ふだんのゲストから格落ちであることは彼らも自覚していた。

そもそも一発屋芸人ということば自体、若干の侮蔑的なニュアンスを帯びている。「一発でも輝けたのだからいいだろう」という向きもありそうだが、彼らの人生はテレビから姿を消した後も続く。簡単にそんなことは言えないと僕は思う。もはや〈売れない芸人〉としてひとつのジャンルを確立しつつある3人だが、いちどは人気者として頂点に立った者同士の会話はもの悲しく、哀愁に満ちていた。この手のトークは山田ルイ53世が自らの連載「一発屋芸人列伝」で開拓した領域だと思うのだが、パイオニアの彼の話はさすがに面白かった。「子どもにいつ正体がバレるか問題」は何度も聞いているはずなのに、毎回笑ってしまう。この一度はどん底を見た人間というフィルター(エクスキューズとも言える)を介した語りには、独特の味わいと面白さがある。日曜の朝というよりは深夜に見たいテンションの内容だった。

〈髭〉といえば、リモートワークに切り替わったこの自粛期間中に「髭を伸ばそう」と考えた(そして実行に移した)男性は多いのではないだろうか。職種にもよるだろうけど、サラリーマンをやっていると髭を伸ばすのはなかなか勇気がいる。特に社外の人や取引先と関わる業務に携わっているとなおさらだ。「俺って髭伸ばしたらどうなるんだろう。案外渋くていい感じの大人の雰囲気を出せるかもしれない…」なんて妄想はしても、まわりの同僚やお得意様から「○○さん、急にどうしたんですか?」と冷たい目線を浴びるリスクを負ってまでチャレンジしたいとは思わない。そういう夢見る男たちが自分の限界に挑戦する機会を与えられたのが、この自粛期間なのである。

「多いのではないだろうか」と言ったのは、じっさい僕の友人や会社のおじさんたちが一斉に髭を伸ばし始めたからであり、僕自身がその〈夢見る男〉のひとりだからである。僕も休日は流行りのzoom飲み会をやっているのだけど、だいたい参加者の中に髭を剃っていない人間がひとりは紛れている。僕はそれを見て「あ、仲間だ」と思う(僕はもしかしたらカッコよくなるかもしれないと信じて髭を伸ばしている)。もちろん単に「人前に出ないから」という理由で放置している人も多いだろう。しかし、中にはそのもっともらしい理由を盾に、人生に一度あるかないかの巣篭もり期間にオシャレ実験を楽しむ〈こちら側〉の人間がいるのではないかと踏んでいる。残念ながら友人どうしの会話で髭の話題で盛り上がることはまったくと言っていいほどないのだが、おそらくみんな本気でどうでもいいと思っているか、本当は「カッコよくなるかも」と期待しているけど恥ずかしいからわざわざ言わないかのどちらかなのだと思っている。

会社のおじさんたちはもっと乗り気である。毎日ひまを持て余して髭の成長を見守ることぐらいしか楽しみがないのかもしれない。僕の部署のSlackチャンネルは話し相手の居ないおじさんたちの雑談で日々賑わっているのだが、案の定というべきか、こないだは髭の話題で大変盛り上がっていた。僕もちょうど髭を育てている最中で、家族から「気持ち悪いから早く剃ってくれ」と煙たがられて心が折れそうになっていたタイミングだったから、「こんなにも多くの仲間がいるんだ」ととても嬉しかったのを覚えている。また、リモート会議の場でも男性の出席者が多いと必然的に髭トークが白熱することになる。僕の部署は基本的にカメラをオフにして会議を行うので、誰がどんな顔になっているのかはまったくわからないのだけど、それが逆に好奇心を刺激するのだ。みんな真面目な議論をしていても口元はだらしないモジャモジャ状態なのかと思うと、なんだかおかしくなってしまう。

本日、ついにとあるリモート会議で「お互いの様子を知るためにカメラをオンにしよう」ということになった。ほとんど2ヶ月ぶりに見る先輩や後輩たちは、ネクタイをビシッと締め、ポマードで前髪をテラテラに固めたいつもの〈ビジネスマン〉の出で立ちとは打って変わって、紛れもない〈休日のお父さん〉と〈深夜のコンビニで見かけるお兄さん〉であった。妙に薄暗い部屋の照明とうしろに映り込む襖から漂う強烈な生活臭に「ああ、この人も風呂掃除とか皿洗いをするんだな」と当たり前のことに気づいては、なぜかきゅっと胸を締め付けられる感覚に襲われたのだった。

肝心の髭はというと、意外にみんな「似合わないから」と剃ってしまっていたり、そもそもそんなに濃く生えないから普段と変わらなかったりと、期待はずれの結果だった。しかし、ひとりだけひたすら髭を伸ばし続け、無人島から帰還した遭難者みたいな風貌になっている先輩がいた。あれだけびっちり高密度で髭が生えている人はリーチマイケルぐらいしか思いつかない。奥さんや子どもたちにはなにも言われないのだろうかと余計な心配をしてしまった。やはりチャレンジしてみないとわからないことってあるのだと思った。それぐらい見事に生え揃った髭なのである。

ちなみに僕は最近髭を伸ばすのをやめてしまった。どれだけ頑張っても竹野内豊やオダギリジョーのようにはなれないからだ。頭の骨格や毛の生える方向によって生まれつきの似合う/似合わないがあるのだろう。僕はこの実験期間を通して自分は〈似合わない側〉にいるという確信を深めるに至った。まわりの人から「楽になるからやりなよ」と薦められても「いつか伸ばすかもしれないから」と頑なに断ってきた髭の永久脱毛に手を出すのもありかもしれないと思い始めている。おそらく自粛生活が落ち着いた暁には、僕のように心が折れた男たちが脱毛サロンに殺到するのではないかと睨んでいる。

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