かきくけこんな日も

ツイッターが殺伐としている。もともと〈みんな仲良く〉の雰囲気ではなかったけれど、さいきん特に空気が悪い。それも仕方のないことだとは思う。みんなが一様に不安を抱え、この不確実な時代を生き抜くための答えを求めている。思い通りに行かない怒りや苛立ちは他者への攻撃に向かい、反響しあって負の感情を再生産していく。毎日ツイッターを開くたびに誰かが怒っているのを見ることにも疲れた。そろそろ僕のソーシャルメディアライフにも換気が必要だと思った。

逃げ場を求めてさまよった末にたどり着いたのはTikTokだった。部屋で音楽にあわせて踊る女の子、オンラインあるあるネタ動画、お笑い芸人の一発芸、どこかのタクシー会社のおじさんたちのお茶目なダンス…ひたすら他愛もない動画を眺めているうちに緊張した筋肉がほぐれていくのが分かった。なにこれ、思ってたより面白いじゃん。結構ハマってしまった。息抜きにスマホをにぎるとなんとなく開いてしまう。社会人になりたての頃、部署の先輩に「素人の女の子が踊ってる動画を見られるアプリがあるんだよ」と見せられてはじめてその存在を知った時、「先輩もずいぶん溜まってるんだな」ってちょっと引いてしまったことを反省している。

TikTokはじゃがりこサラダ味だ。口にするたび感動するような美味しさはないけれど、とりあえず手元に置いておきたい手軽さと親しみやすさがある。スキマ時間にやるのにはちょうどいいのだ。YouTubeのように「気づいたらこんな時間…!」なんてことはあまりなく、ほどほどのタイミングで飽きる。たしかにくだらないけど、少なくとも誰かを罵ったり、不満をぶちまけてスッキリしたりといったネガティブな要素はあまりない。これまで使ってきたほかのソーシャルメディアと比べてもすごく風通しが良いのである。イヤな臭いのこもっている感じがない。

僕はふと高校生の時に体育館で見た文化祭のステージ発表を思い出した。クラスのシフトもほどほどに済ませ、部活の友人と学校中をふらふらと歩き回り、見るものもなくなったのでとりあえず座ろうと入った体育館。そこは僕たちと同じように適当な休憩場所を求めてやってきた生徒に、しおりを眺めながら次にまわる場所を考える父母、模擬店の看板を携えて露骨にサボりをかます同級生たちが床に座り込んでいた。目線の先にあるのは楽しそうにステージ上で駆け回るバンドマンと、それを囲う盛り上げ役に動員された知り合い、それから賑やかな場所にはとりあえず顔を出すお祭り好きの人びと。残暑の熱と湿気のこもった気だるい空気に包まれて、僕たちはそれぞれバラバラの目的と関心を持って同じ空間を共有していた。なにを演っていたのかはまったく記憶にないけど、心地よさを感じたことだけはよく覚えている。

興味ない人は暇つぶしで遠くから眺め、好きな人は最前列で演者といっしょに楽しむ。ソーシャルメディアの距離感なんて全部これでいいのにと思ってしまうのは、僕だけだろうか。

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