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オデット・ツールの「Isabela」はPlay It Loudで!

ECM以前の作品もよい

 昨2022年にリリースされたオデット・ツールの「Isabela」をようやくじっくり聴くことができた。内容はもちろんのこと、しみじみとCDを買ってよかったと思わせてくれるプロダクションであった(理由は後半にて)。ECMが信頼できるレーベルであることを証しする緒要素が詰まった作品と言える。

2022年の「Isabela」

 オデット・ツールは2017年に出た前々作の「Translator's Note」を愛聴していた。デビュー作の存在も知らず、どこかの媒体で紹介されたのを目にして聴いてみたのだった。シャイ・マエストロがいることも大きな理由だ。
 ツールの演奏は特別にラーガ云々を意識せずとも、情緒的な楽曲と繊細なトーンを堪能することができた。
 1曲目の『Single Mother』の出だしのトーンでため息がもれる。ぜひここはヘッドフォンやイヤフォンを使って集中して聴いて欲しい。 ローングトーンのポルタメントをブレスとキータッチで絶妙にコントロールして最後の最後までフレーズを吹き切り、無音の中にまでメロディを吹き込もうとしているかのようだ(単にサブートーンとも呼べないような……まるで尺八を奏でるごとく息を吹かして、効率の中に非効率をもちこんでいる。つまりは柳樂光隆氏がツールへのインタビューで引き出した『バンスリのような音を出すこと』であり、それがラーガ的発出なのだろう)。マエストロとのフレーズのリレーも素晴らしい。
 一転して『Welcome』のようにアッパーに駆け抜ける曲を2曲目に配置していて、それも後述の1枚目との違いであるし、アルバムを通したバラエティ感にも繋がっている。
 全編通して、各楽器にビシッとフォーカスが合った録音はいかにも現代ジャズの佇まいで、サウンドのガッツもある。それはまた、ツールのリーダー作というよりも、楽曲を聴かせるべく全員の存在感を横並びにしたような「Translator's Note」の表現にはマッチしているのかもしれない。

 さかのぼって聴いた「Like A Great River」は、盆栽ジャケットの印象通り、ツールが奏でる「枯れと揺れ」に満ちていた。シャイ・マエストロも「Translator's 〜」以上に技術全開ではなく、弾かない弾き方に徹しているかのようだ。
 しかし、音数が少ないからといってのっぺりしているわけではなく、ミニマルで螺旋的な起伏がしっかりと設けられていた。まさに”大河のように”ゆったりと流れつつもポイントによって急流があって、2枚目よりも、ツールがリーダーとしてバンドをコントロールしている印象だ。

 どちらにせよ、ラーガ以外の部分では「21世紀のコルトレーン」というキャッチフレーズにもあまりぴんときていなかった(2枚目で『Welcome』のような曲があったり、コルトレーンの『Lonnie's Lament』を演ってはいるが)。

ECM移籍後の変化

 ECMに移籍して、ますます「21世紀のコルトレーン」さは遠のいたように感じた。なぜなら、2020年の「Here Be Dragons」があまりに幻想的な作品だったからだ。1枚目にも通じる「枯れと揺れ」がECMマナーによって濃縮され、美しく結晶しているかのようだ。
(1枚目には『The Song of the Silent Dragon』が収められているし、イメージの連続性を持たせているのかもしれない。どちらにせよツールにとってドラゴンは特別なモチーフなのだろう)。

 バンドのサウンドも録音表現もECMに移籍して大きく変わった。
 バンドはベースのペトロス・クランパニスを残し、ピアノがニタイ・ハーシュコヴィッツに、ドラムがジョナサン・ブレイクに替わっている。
 特にハーシュコヴィッツのもたらした変化が大きく感じる。彼は中〜高音域の鳴らし方が際立っていてメロディラインをふくよかにし、音響的にもアクセントをもたらしている。ソロ、コンピングともに、手数が多くバンドの推進力となっていたマエストロとはまったく異なるタイプだ。先述した前作の『Welcome』が、ライブでどう変わるか聴いてみたい。

 録音は、個人的には前2作とは比べものにならないほど好ましい。
 スイス・ルガーノにあるAuditorio Stelio Moloのステージ上で、4人せーので録音されたようだ。クラシックの演奏・録音会場として使われることが多く、同時にECM作品の録音にも使われてきたホールである。エンジニアはステファノ・アメリオ。

ルガーノのAuditorio Stelio Moloの外観。写真はDiscogより

 そのため、ほどよく楽器に焦点を当てながらも、全体の空気感を共有するサウンドになっている。スピーカーで聴けば、奥行き感をもったサウンドステージが眼前に現れるのだ。マスタリング時のレベルはしごくまっとうで、十分にアンプのボリュウムを上げて、ツールたちが大切にする間や無音の音を汲み取ることができる。たとえば『Miniature』の連作を聴けばわかるはずだ。
 これはECMという、確固としたサウンドポリシーとメジャー性を併せ持つレーベルに移籍した大きな成果(私としては最大だが)だ。それを堪能させるべく、今作では落ち着いた印象の楽曲が多いのか、と思ってしまうほどである。『20years』や『Can't Help Falling in Love』を聴くには、これ以上を望めないほどの録音だった。

「Isabela」での飛躍

 そして「Isabela」だ。
 バンドメンバーも録音場所もエンジニアも前作同様なのに、趣はまた異なる。月並みな表現だが、前3作の持ち味をミックスさせて違う次元に昇華させているのだ。

 「Here Be Dragons」が徹底的にジェントルに寄せた作品であったのに対し、「Isabela」は私が「Translator's Note」に聴いたガッツを含んでいるし、音に様々な夾雑がある。どの楽器も音色表現が多様だ。あるいはアルバムに特定の方向性をもたせていないようにも聴こえた。
 ツールの妻の名をアルバムと曲に冠していることからも、この作品が特別であることがうかがえる。

 そして何よりも、「Isabela」を聴くときは「Play It Loud」がおすすめだ。本作はサックスだけでも微小な音から吹き上げる音まで、ダイナミックレンジが広大である。それがバンドで駆け上がるセクションであれば尚のこと。
 大きい音は大きく、小さい音は小さくという原則に忠実な録音なので、でかい再生音でレンジ感を堪能してほしい。今作はそのあり方が、前作以上に振り切っている。

 そんな「Play It Loud」を可能にしているのは、緩急自在の演奏があってこそだが、成果物としての成功はステファノ・アメリオの手腕だろう。録音とマスタリングとの表記の区別がないため、アメリオが最後まで面倒を見ているのかもしれない(前作も)。近年の録音物でここまで拙宅のアンプのボリュウムを上げられることは稀だった。感覚的には90年代前半頃のマスタリングレベルに近い。
 そのおかげで、ツールがブレスの中に託しているわずかな「音の起こり」も聴き取れるだろう。また、これまでになく分厚い、ツールたちが奏でる中低域の質感を聴くこともできる。
 スピーカーの間に現れるサウンドステージは奥行きがあり、ブレイクのドラムはだいぶ遠いのだが、ライナーの写真を見ると納得できる。録音芸術としての仕掛けは施されているが、基本のバランスを保ちながら、楽曲の流れに合わせて楽器がフォーカスされる。

 イントロダクションである小曲『Invocation』は曲名の通りの役割を果たす(起動や呼び出しの意)。そろりそろりと演奏を開始しつつ、45秒あたりから熱量を高め、ブレイクのドラムの連打で終わる。これまでのツールの楽曲にはない展開
で、期待感がいや増す。
 それに続く、主旋律がクリフォード・ジョーダンの『Vienna』を思い起こさせる『Noam』が個人的には白眉だった。出自を示すかのようなクレツマチックでいなたいメロディの魅力に加えて、ツールがぐいぐいバンドを引っ張る様も気持ちがいい。2分40秒あたりからのサブトーン(と、単純に呼ぶのも憚られる音色)で歪ませるツールの変身ぶり、そのプレーに引出されたハーシュコヴィッツの変身ぶりも魅力的だ。ハーシュコヴィッツは、まるでフリーキーなビル・エヴァンスのようで、彼もまた前作とは違った魅力を放つ。あっという間の6分半だ。
 前作ではあまり顔を見せなかったラーガっぽい旋律・奏法は、後半3曲に見いだせる。
 『The Lion Turtle』は1枚目にも通じる曲調をもつ。リリカルさとミニマルなテーマに身を委ねるうちに大団円まで連れていかれている。『Isabela』は先述のようにツールの妻から取られているそうで、ポルタメントする柔らかく暖かい音色と優しいメロディが心を打つ。……と書いてみて、このアルバムには、これまでツールの作品にそれとなく漂っていた寂寥感や枯れ感があまりないことに気がついた。本作と他3作の大きな違いかもしれない。
 エンディングの『Love Song for the Rainy Season』は音色こそ素直だが、テーマのメロディはラーガ的だ。しかし、テーマの抑制が外れたあとの展開は、性急なパッセージが畳み掛けられ、ハーシュコヴィッツもブレイクも奔放に跳ね回る。
この曲を聴けば、ブレイクが技術の高い「ジャズ」ドラマーであるとよくわかる。同時に、両極端な演奏に対応できるペトロス・クランパニスを信頼する理由もよくわかる。それにしても、この曲を最後にもってくるとは……。
 
 オデット・ツールは、同じテナーサックス奏者でも例えばダニー・マッキャスリンのような越境の仕方はしないし、さりとてジョシュア・レッドマンのようなモダニストでもない。
 柳樂氏のインタビューを読むと、オデット・ツールはグローバル化とは一線を画す形での、人間性に基づいた”コモングラウンド”を求めていると語っていた。その考え方自体がツールの音楽を表現しているかのようだ。

 インタビューを読み、最新作を聴いて、オデット・ツールをますます好きになったのだった。(了)

↓この動画を見るとラーガ的なポルタメントをどう表現しているのかを、見ることができる。私なんぞはサックス門外漢も甚だしいのだが、『Isabel』や『Single Mother』冒頭でのキー操作の、ある種の不自然さを見るように思う。


※写真はMikikiより







 
 
 

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