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【戦後作家の肖像②】戦争を描く世代から内向きの世代へ

戦後作家の肖像、その2回め。
今回は誰の話をしましょうか。

最近、昭和といえば、
レトロだとか、
セピアだとか、
すっかり色眼鏡をつけられがち。
(笑)。

私も1969年、昭和44生まれ、
昭和半ば生まれだから、
やたら急にセピア色のセロハンで
くるまれたような心境は、
どうも違和感があります(笑)。

さて。四の五の言いました(汗)。
今回は、戦後文学について、
右往左往した、
様々なグループについて
足取りを辿ってみたい。

戦後、まっ先に現れたのは、
戦争小説だったでしょう?

いちばん有名なのは、
野間宏『真空地帯』ですね。

軍隊体験者による
戦争小説は、生なましく
多くの読者を圧倒しました。

そうして、当然ながら、
戦争とは何か?
軍隊とは何か?
追求しようとしたでしょう。

戦地の描写や軍隊の描写には、
迫力があるけど、
兵士になったことがない者には
かえす言葉が見つからない。

当然のごとく、
作家も支持読者も、
戦前を否定し、反天皇制をめざし、
左翼となり、マルクス主義に傾く。

ちなみに、戦後作家は、
主に三つの世代に分かれます。

第一次戦後作家、
第二次戦後作家、
第三の新人(内向の世代)。

兵隊経験者は、
第一次戦後作家たちでした。
この世代は敗戦の翌年1946年には
作品を発刊していきます。
野間宏、
埴谷雄高、
武田泰淳、
椎名麟三、
梅崎春生らです。
 
(こういう話や作家名を見ただけで、
私みたいな戦後好き人間は
ワクワクするのですが、
国語の文学史が嫌いだった方々には
煙たい話かもしれませんね。
ごめんなさい。
もう少しこらえて頂けますか?)

続いて、
青年期に日本国内や大陸で
敗戦を迎えた作家は
第二次戦後作家と呼ばれます。
三島由紀夫、
安部公房、
大岡昇平、
堀田善衛、
島尾敏雄らでした。

この、第一次戦後作家も、
第二次戦後作家も、
生み出す作品は、
戦争や国家に関心が強くて
そこから大きく離れることは
ありませんでした。

その次に登場した世代が、
新鮮な、と同時に、無責任な、
と批判された「第三の新人」です。
またの名を「内向の世代」。
視野が内向きとは、
絶妙に、褒められていないですが、
でも、全否定もされてないですね。

このネガティブなネーミングに、
第一次作家や第二次作家の世代が
第三の新人をあまり歓迎しなかった
らしい様子が伝わります。

でも、メンバーを見ると、
その豪華さは一目瞭然です。
遠藤周作、
小島信夫、
庄野潤三、 
吉行淳之介、
安岡章太郎、
古井由吉、
後藤明生、
北杜夫らです。

遠藤周作や庄野潤三、
古井由吉、北杜夫らは、
今でも大勢のファンがいますね。
「内向」的な姿勢で、
つまり大きく外に向う目線は持たず、
自分の身の回りにあるテーマを
大切にしようとする。
外より内側こそ重要なんでしょう。

もちろん、戦争小説も大切だし、
イデオロギー小説も、時には大切
なんでしょうけれど。。。

私個人は、
第二次戦後作家たちに
いちばん尊敬と賛同を覚えますが、
それはまあ、好みの問題ですかね。

そうして、
第二次戦後作家において、
それぞれ、
左翼的な作家と、
右翼的な作家らという具合に
さらにグループは分かれていきます。

今の日本からは想像がつかない位、
左翼、マルクス主義、反天皇制が
大きな嵐の中心を担っていた時代です。

そんな左翼作家や左翼活動を
非難するつもりはないですが、
そんな世間には超然としていたのが
たとえば、安部公房だったり、
左翼思想に賛同できないで
改めて愛国思想を維持していた
三島由紀夫がいたり…。
彼らの戦後は、深く孤独な闘い
だったに違いない。

本当は、作家をグループで
分けたり、一つにしたりするのは、
あくまで整理のために過ぎません。
あまり厳密にやっても
道をあやまつだけですね。

戦後作家はみな、
「戦争の後」の時代を生きたのに、
まだまだ一人一人、孤独な道のりを
闘っていたのでしょう。
戦後派という戦争を。

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