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【佐野洋子】エッセイは小説よりも難しい?!

私のこころの貴重な知己を、
三浦しをんも好きだとは知らなくて、
テンションがあがりました。

今日、佐野洋子の
『あれも嫌い これも好き』(朝日文庫)の
新装版を本屋で見つけたからです。

佐野洋子は前から大ファンでした。
その佐野洋子のエッセイの
新装版の巻末に、
新たに三浦しをんが解説を書いていた。
佐野洋子は自虐と毒が程よく
ミックスされている。
三浦しをんもまた、 
エッセイの名手ではあるけど、
芸風はガラっと違って、
自虐性が強く、毒はあまりないから、
三浦しをんと佐野さんの
関係性については、
考えてみたことはありませんでした。

でも、しをんさんが
佐野洋子好きとは、実に嬉しい。

さて、今日は、
三浦しをんさんの
その新解説に書かれた話を
俎上に乗せたいと思います。

三浦しをんは
こんな大問題をまず書き始めます。

「小説よりエッセイのほうが、
鮮度が落ちるのが速い気がする。
戦前に書かれた小説であれば、
まあ当時の男女観はこんな感じ
だったんだろうなと受け流したり、
興味深く読んだりできることが多い。
あくまでフィクションだからと。
だが、エッセイとなると、
作者の生の声と経験が
記されているはず、という
前提があるためか。
『これはNGな言い回しなのでは』
とか、
『感性が古いのではないか』など
読者はついつい、いまの感覚に
引きつけてジャッジしてしまう。」

なるほど。
エッセイは古びやすいのは、
時代に寄り添ってるからだろうと
今まで楽観的に考えてましたが、
三浦しをんは、そこをぐぐぐ〜んと
掘り下げています。
おっしゃる通りだ。

さらに三浦さんは続けていいます。
「だから、エッセイを書くのは
むずかしい。書いたはしから 
作者の旧弊さを露呈する危険性を
はらんでいる」からですね。

エッセイは、小説とは
別種のむずかしさがあり、
おまけに古びやすい。
エッセイストは大変だなあ。

エッセイストを目指す人間には
この指摘は、お腹にくらう
ボディパンチのようなダメージだ。
でも、やはり、私はエッセイが
好きだし、尊いとも考えています。

それは、
小説がフィクションであるような
意味とはちがう意味で、
エッセイも、
独特のフィクションであると
思ってきたからです。

実際に、夏目漱石のエッセイ
『硝子戸の中』や
内田百間の随筆や小文など、
明治や昭和戦前のものでも、
古びないエッセイもたくさんある。
たくさん?ではないか…?

まあ、それは、
漱石や百間の、
ずば抜けた才能が
作品を古びさせないだけの
ことかもしれませんが…。

そういえば、佐野洋子さんも
2010年になくなった人だから、
没後、はや14年になるんですね。
古びてしまうレベルの
エッセイストなら、
きっともう本屋さんからは
消えてしまってるでしょうから、
まだ新装版が出てくるような
佐野洋子さんは、 
古びてはいないですね。

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