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職職のデジタル化と、ジョージ・オーウェル『1984』

私たちは今どうされたいのだろう?
最近、何かと、色んなことの手続きで
デジタル化が進むたびに 
感じることがあります。

職場や市役所やチェーン店で
最近、本当にデジタル化が
進んでますね。 
まあ、行政のデジタル化は
クオリティが低くて笑えますが。

そこで感じるのは、
マネージや統治する側が、
きちんと、ちゃんと、間違いなく
私たちを運営しようとしてるな、
という印象です。

でも、
マネジメントされる側(われわれ)は
心地がいいか?
幸福を感じるか?
優しさを感じるか?
というと、
それがどうも
そんな感触はないんですね。

システムを導入する側が
重きを置いているのは、
行程はきちんとしているか、
作業は失敗していないか?
数字は合うだろうか?

これはどれも当たり前ですが、
それ以外にも、
このシステムを使う人々は
使いやすいか?
快感を味わえるか?
幸福度は高まるか?
システムを構築してる人や
運営や統治する人々は、 
考えているだろうか?
それがどうも、考えては
無さそうなんです。

「パーパス」
誰のため?
何のため?という視点が
余り無いのかなあ?
 
いったい、私たちはいつから
こんな時代を望んできたのかな?
私は、少なくとも、こんな時代を 
望んだ覚えはないんだけどな。
不思議だなあ。

急速にIT化され、
やり方に困惑しながら、
感じてしまうのは、
説明不足から起こる、
不快感やら違和感やら。

彼らのモットーは
きちんとした、失敗しない、
間違いのないシステムですね?

それを文学的な空想で
膨らませたら、きっと
ジョージ・オーウェル『1984』や
『動物農場』がちらほら
見えてきてしまうのは
私の悪いクセかしら?


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