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優等生作家より、パンク作家の叫びを聞きたい夜もある

世には、
ワイルドな文学がありますね。

日本なら、無頼派。
太宰治や坂口安吾、織田作之助らを
無類派と呼びました。
何も頼ることなく生きる、
無頼派作家。
最近なら、色川武大や中上健次。
今なら、町田康も、
当てはまりそう。

彼らは余りにシャイ過ぎて、
正しいことや
誠実なことを
そのまんま語るなんて、
恥ずかし過ぎてできない。
だから、つい悪ぶってしまう。

そうした人と対照的なのが
優等生作家だ。
大江健三郎や三島由紀夫は
余りに世間しらずだからか、
正義や真実を高らかに語ろうとする。
あまりに優等生すぎる人は、
含羞がないのか。

まあ、あくまで、
どちらも、作家の気質の問題で、
良い悪いといった話ではないはず。
どちらが正しいとか、
どちらが劣るとか、
そういう話でもない。

無頼派は、音楽に例えるなら、
パンクロックですね。
優等生作家は、音楽に例えるなら
クラシックかな。
町田康はもともと
パンクロッカーだったから、
文学の道に進んでも
無頼派になるのは、
至極もっともな気がします。

海外ではどうだろう?
ワイルドな作家はいるかしら?
いました、いました、
チャールズ・ブコウスキー!

下品ギリギリのラインで
自虐的な語り口で、
カオスな人生を歌う、
そんな小説はまるでパンクロックだ。

で、ふと考えたら、
村上春樹が好きな海外作家は
サリンジャーも
フィッツジェラルドも
レイモンドカーヴァーも、
パンクな性質は帯びていませんね。

どちらかというと、
文学的には正統派ばかり。
村上春樹がブコウスキーが好きだ
という話は聞いたことがない。

パンクか?
パンクではないか?
という基準で、様々な作家を
眺めてみるのは新しい視点になりそう。

日本では、
ブコウスキーのファンは
今もなお多いですね。

あの自虐と粗野さで、
世間や人間を罵るブコウスキーの
いったい何が人気の秘密なんだろう?

それは、
ありふれた人生観、
ありふれた生活、
ありふれた性生活に
我ながらウンザリしている
平凡な人間が、
ブコウスキーの圧倒的な
エネルギーを目の当たりに感じて、
惹かれるからでしょうか。

自虐、かつ粗野だけど、
そのシャウトぶりに惹かれる。
高いセンスにも魅力を感じる。

少なくとも、
優等生作家のように、
正しいことを正しく
演説してるばかりでは面白みがない、、、
そう考える人が
ブコウスキーのパンクロックに
惹かれてしまうのでしょう。

ブコウスキーも
いわば、日本風に言うなら
無頼派と呼べそうですが、
太宰治や坂口安吾より
そのシャウトぶりは遥かに壮絶だ。

粗野さは、一周まわって、
オシャレに見える。
いや、オシャレな感覚が必要だ。
センスの良さも必要だ。

なぜなら、 
ただ、自分や世間を
下品に叫ぶだけなら、
単なる御下品トークでしかなく、
芸術にはならない。
荒々しい言葉で自虐な唄を書きながら
それが芸術になるには、
かなりのセンスやオシャレ感覚が
必要になるんですよね?

偉大な文豪しかり、
優等生作家しかり、
大江健三郎や三島由紀夫らに
惹かれる日もあるけれど、
パンクなブコウスキーの
魂のシャウトを聞きたい夜も
人間にはあるんですよね。

人間の気分って、
なんて壮大な不思議な容れ物
なんでしょう?
明日はまた優等生作家の
生真面目な慟哭を聞きたいと
思うかもしれませんが、
今夜はワイルドな作家の
パンクな唄に耳を傾けたい。

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