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「私の努力は本当に価値があるのだろうか?」

「私の努力は本当に価値があるのだろうか?」

与えることに時間とエネルギーを注ぎ込みすぎるせいで燃え尽きるのではない。

「私の努力は本当に価値があるのだろうか?」

と言う悩みが燃え尽きさせるのである。

自分のしている努力が誰かの役に立っているという実感が少しでもあれば頑張れるのだ。

Give & Take (アダム・グラント著)を読んで。
#写真が好き
#giveandtake #giver #adamgrant

目の前の二つの道

目の前の二つの道

When I first went to Japan, I could have benefited
from having more faith in my own unmei as I arrived as
a teacher in the hilltop city of Takayama. Alas, back then
all I could think was that I’d

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「ザ・ゼン・オブ・キャット」〜禅と猫!?

「ザ・ゼン・オブ・キャット」〜禅と猫!?

山に散歩に行って、帰ってくると郵便物が届いていた。

中にはカーラの新刊「ザ・ゼン・オブ・キャット」が同封されていた。
ひょんなことから、カーラと知り合いになり、話していくうちに意気投合。

最終的にこの本の一部に内容が掲載されることになりました。

M(mottainai)章の約六ページにて掲載。「もったいない」について、神道、仏教、空思想などから話させていただきました。

しかも、始まりのペー

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情報・じょうほう・JYOUHOUJYOUHOU

情報・じょうほう・JYOUHOUJYOUHOU

朝起きたら、
スマフォのニュースみて、
メールチェックして、
SNSチェックして、
YOUTUBEみて・・・

ここまでスマフォを見る生活以前(2014年より前くらい?)は、海外にいることもあり、本ですら購入が難しかった。

なので日本から持ってきた本を何度も読んでは、頭の中で反芻させたり、例えたりして、自分なりの考えとして定着させていた。

ところが、今ではなんでもスマフォ。

自分なりの考えに

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いつもはいつ?

いつもはいつ?

おはようございます。

今朝も、いつものルーティーンで始めています。

いつもの場所で
いつものノートに、
メガネを置き、
コーヒーを飲みながら、
計画や昨日の反省を書く…

そして、今
気づきました。

この、いつもって
後で客観視できるものなんだよなぁ、と。

例えば5年前。

あの時のいつもは、今とちょっとずつ違う。

10年後はもっと違う。

いつもって思ってる事は、いつもじゃないって、後

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今日も「空」について考えながら山登り

今日も「空」について考えながら山登り

山登りをしながら、
瞑想状態に入ると、

内側の世界と外側の世界

どっちが本物なのか
分からなくなってくる。

でも、

それはパニックなることではなく(昔はなっていた)、
むしろ、その境界線にいる感覚が
とても興味深くなってきた。

過去が今になり、
今が未来になったりする。
つまり時間が超える感じ・・・

日本がここ(ケアンズ)になり、
ケアンズでの感覚が日本の状況で蘇る。
つまり空間を超え

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おもしろいは「悟り」?

おもしろいは「悟り」?

そもそも、

「~しなければならない」

という考えは、いつから身についてしまったのだろう。
ずっとずっと昔は、無意識に生きていた。
「好きなことをやる」という意識さえなかった。

「なぜ、あなたはエベレストに登りたかったのか?」
と聞かれ、

「そこにエベレストがあるから(日本語では、しばしば「そこに山があるから」と誤訳されて流布している)」
と答えたのはイギリス人登山家ジョージ・マロリーですが

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しばらくこの「ありがたさ」に気づけなかった~自然

しばらくこの「ありがたさ」に気づけなかった~自然

ケアンズにいると、自然に接する機会が圧倒的に多い。

海にも山にも湖も渓谷にも、車で10~30分あれば行ける。

これは本当にありがたい(でも、しばらくこの「ありがたさ」に気づけなかった)

お気に入りは近所の山で、週に2、3回は山登りしながら自然に触れている。

(自分はこれを山登り瞑想と呼んでいる)

自然の中にいると、

PCの前にいたり、ケータイを見たり、仕事をしていたり、

買い物をして

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あの世はあるのか

あの世はあるのか

この問いは、問いを生んだ瞬間にふっと消えてしまうようなものかもしれない。

逆に言えば、生きてる間でもそれを実感できれば「あの世」にいるのだ。

瞑想状態に入っている時、散歩などしている時、過去のある時にすっと意識が飛んでしまったような感覚の時、音楽を聴いて、当時聴いていた頃の情景が体全身を覆うようにすっぽりと入ってしまったように感じる時… .

これは生きながら、「あの世」にいる状態と言えるので

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