純 太

写真家。 日常の風景と暮らしの瞬間に美と感動を見いだして撮影。 文学や画家、音楽に深い…

純 太

写真家。 日常の風景と暮らしの瞬間に美と感動を見いだして撮影。 文学や画家、音楽に深い影響を受け、DJとしても活動。観る人たちに新たな視点とインスピレーションを提供。 独自の距離感と感性で、感性豊かな人々から高い評価を得ている。

最近の記事

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和解することが困難な世界の複雑さを美しさと深みをもって表する珠玉のメドレー

個人的に世界中の音楽の中で最も響いてくるのが、坂本龍一による「Bibo no Aozora/04」、そしてメドレーで続くグスタボ・サンタオラヤの「Endless Flight」。これは、アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ監督による2006年の映画「バベル」のエンドロールで使用されたもの。 「バベル」は、異なる場所と異なる時間に進行する複数の物語が絡み合う2006年のアメリカ映画。世界各地での4つの異なる物語が、不幸な偶然や悲劇的な出来事によって結びつく様子を描いている。 坂本龍一の「Bibo no Aozora/04」は、映画に感情的な重みを持たせるために非常に重要な役割を果たしており、ピアノと弦楽によるアンサンブルが、映画のテーマである人間関係の複雑さや感情の交錯を音楽を通じて効果的に伝えている。 現代において、ロシアとウクライナ、イスラエルとパレスチナなど、深刻かつ根深い歴史と感情の対立が続き、複雑な国際情勢や地政学的問題が絡み合う世界の様相を考えると、世界は決して美しいとは言えない。しかし、坂本龍一のこの曲は、まるで一本の糸が紡ぐ音楽のように美しい。それが、世界に向けて、ディスコミュニケーションを緩和する力となることを祈りたい。 映画のエンドロールでは通常、2曲ほどが採用されるが、「Bibo no Aozora/04」に続き、アルゼンチンの作曲家でありギタリストであるグスタボ・サンタオラヤの「Endless Flight」が続く。 この曲は深い悲しみを湛えるラテンのギター演奏により、坂本龍一の曲と共に映画の多層的な感情を引き立てている。この繋がりが絶妙で、追い打ちをかけるように映画体験の余韻が増す。 「バベル」のテーマは、言葉や文化が異なるそれぞれの土地で、コミュニケーションが破綻している絶望を布石として表しており、最後には奇跡的な一本の線で回収される。その糸が、「Bibo no Aozora/04」と「Endless Flight」なのだ。 世界は複雑であっても、美しいとは言えない。しかし、一本の糸が紡ぐような音楽は美しい。それが世界に向けて、ディスコミュニケーションを緩和する力となることを祈りたい。 サントラにも「Bibo no Aozora/04」は収められているが、この絶妙な2曲のメドレーは再生されず、グスタボ・サンタオラヤの「Endless Flight」は収録もされていない。 調べてみると、Youtubeに置いてあるのを見つけた。多くの人にこの奇跡的なメドレーを共有したく、ここに紹介する。

    • 日常に霞む囁き

      現場からの帰り道、最寄り駅までの水路沿いの小径で目にとまった。iPhoneで撮影し、スクリーンの露出を上げると、薄暗い壁の際に白い花が浮かび上がった。 この写真には「壁の向こう:日常に霞む遠い囁き」という文章を添える。シュルレアリスム作品が現実の背後にある無意識の世界を探求するように、色調を抑えたこの写真もまた、日常の中に隠れた真実や感情を映し出す。モノクロームの時間は、形や陰影、質感を際立たせ、新たな視点を提供する。 普段見落としている現実の一部や、遠く離れた場所にある

      • ちがう飲み方で

        • 水晶の中に広がる景色

        和解することが困難な世界の複雑さを美しさと深みをもって表する珠玉のメドレー

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          朝の薔薇と夜の薔薇

          iPhoneのフロントカメラで下から撮った。 少し背徳な気分がよぎる。 それを察してか薔薇は微笑みながら そっとポーズをとってくれた。 同じ日に撮った、同じ薔薇の花。

          朝の薔薇と夜の薔薇

          撮影は毎日、朝と夕

          いくつかの現場があり、そこに向かう際に撮る事が多い。 好きなのは暗渠の上につくられた公園で、地元の方が咲いた草花を手入れされているところ。 家の前からホースを引いて水をやったり、雑草を抜いたりされていて、 もともと、その部分は局地的に風光明媚なのか見事に咲き誇っている。 どう撮るかはiPhoneのモニターに被写体が映ってから考える。世界は肉眼で捉えている景色だけではなく、さまざまな景色を創り出している。 それを選びとり、アングルを変えて画角を定めて、気持ちを投影する。大抵

          撮影は毎日、朝と夕

          課題図書『シュルレアリスム宣言・溶ける魚』から広がる超現実と世界

          昨今、課題図書として読み始めたのはシュルレアリスムの奥深い世界への入口となるアンドレ・ブルトンの『シュルレアリスム宣言・溶ける魚』。本書を手にしたのは、シュルレアリスムの視点から私の写真に共感と関心を示してくれた人が愛読書にしていたことがきっかけ。その方の視点を通じて私は写真を撮る者としての自己確認ができた。そうした経緯からシュルレアリスムの核心に近づきたいと思ったのだ。 シュルレアリズムの鍵ご存じの方には釈迦に説法だけど、いちおう説明を。シュルレアリスムは現実を超えた新た

          課題図書『シュルレアリスム宣言・溶ける魚』から広がる超現実と世界

          ディテールを写し、マクロを映す

          毎日の生活のなかで、ずっと興味を持ち、写真を撮るときに意識することがある。 「ディテールを『写す』ことは、マクロを『映す』」という捉え方だ。 これは日常の中に非日常が潜んでいるという考え方にも通じている。 そうした視点に通じる数々の興味深い世界観がいくつか存在する。 ウイリアム・ブレイク 〜一瞬のうちに永遠をとらえる〜まず一つは、18世紀のイギリスで活躍した詩人、視覚芸術家であったウィリアム・ブレイクの世界観。 彼が記した『無垢の予兆』という詩のなかで語られた「一粒の砂を見

          ディテールを写し、マクロを映す

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          路傍の草花🪴

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          それを美しいと思う心を祝福したい。

          それを美しいと思う心を祝福したい。

          スナップとしての私の写真

          プロフィールで触れた通り、撮影した写真は全てiPhoneでの成果物だ。移動中、仕事中、食事時など、日常のさまざまな隙間に、思いがけず撮影することが多い。 気になる何かを目にした時、いつもと違う風景を見つけた時、そんな瞬間にはすぐにiPhoneを取り出し、被写体や風景をスクリーンに捉える。距離感や角度、画角を素早く決めてシャッターを切る。その一連の流れは、たぶん5分程度で済む。 常に音楽を聴いているが、その時流れている曲が映像と共鳴する瞬間がある。そうなると、被写体や風景が

          スナップとしての私の写真

          路傍の春

          路傍の春

          グレン・グールドで逍遙

          部屋を出て歩く時、撮る時、あるいは書くときに耳にするのはアンビエント音楽かドビュッシーかバッハだ。気持ちを整えようとするときに聞くのはバッハで、中上健次は代表作の「枯木灘」を『ブランデンブルク協奏曲』を聴きながら書いたという逸話に影響されて、聞き始めた。さらには「バッハを聴くにはグレンでしょう」というY氏の言葉もあって、グレン・グールドというピアニストが奏でる『ゴルトベルク変奏曲』を聞くようになった。 独自の解釈でバッハを奏でる彼のスタイルはクラシックの世界のみならず、ポッ

          グレン・グールドで逍遙

          シュルリアリズム礼讃

          シュルリアリズム礼讃

          ラナンキュラスを買った。

          ラナンキュラスを買った。

          「怒れ、怒れ、消えゆく光に (ディラン・トマスの詩)」自戒と希望のメモ書き

          心に留め置きたいのはディラン・トマスの詩「穏やかな夜に身を任せるな(Do not go gentle into that good night)」の一節。これを知ったのはクリストファー・ノーラン監督の映画『インターステラー』で引用されていたのがきっかけだった。 人類の危機を救うべく、宇宙飛行士が引き止めようとする家族を置いて地球を離れるシーンなど、重要な局面で、度々、朗読される。 「怒れ、怒れ、消えゆく光に」という強い言葉が、市井で生きる僕のような人間の心をも揺さぶる。

          「怒れ、怒れ、消えゆく光に (ディラン・トマスの詩)」自戒と希望のメモ書き