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エスキモーに氷を売る

エスキモーへの氷の売り方

SALES の基本

営業/SALESの基本
  1. 相手の予算を見極める → 金のない人から金は取れない。相手の予算感(10万円?100万円?)を見極める。予算感から外れすぎた提案は意味がない。

  2. 相手のニーズを把握する → この人の悩みのクリティカルポイントはどこか?何を解決したいのか?を具体に落とし込む。

  3. 決済者に提案する →下から入る意味がない 可能な限り上から入る。決済者がOKと言った瞬間契約は成立する。下から入ったら上に上に決済をとって行かないとならないので時間が掛かるし確度は下がる。

  4. 相手の社内で働かせる →一発で決済者に提案が出来ない場合は仕方ないので下から入って提案する。この際、この下の人をいかに働かせるかが大事。まずは下の人に提案を刺して岡山のファンにしてしまう。ファンにしてしまえば後は彼が勝手に先方社内で働いてくれる。岡山と下の人は共同体として一緒に先方社内を落としていく事が可能になる。

エスキモーへの氷の売り方


・必要のないものは売れない 当然必要だから売れる → 需要を作り出す

 その需要を満たす対価としてお金を頂く。
   - この場合 普通に考えて氷を買うエスキモーは居ない。100円や1,000円のあってもなくても良い程度のお金なら氷の一発芸で笑ったら頂戴ね で売れるかもしれない。でもそれは本質では無い。
今回は敢えて、エスキモーに氷を100万円で売る事を考えてみたいと思う。

・予算感の把握 → 的外れな金額帯の提案は刺さるはずがない 相手の予算内で提案する事はセールスの上で基本のキの字と言える。今回は氷を100万円で売りたいので、100万円以上の可能な限り多くのお金を持っているエスキモーに対して提案する事とする。

エスキモーに氷を売る

例えばだが アラスカを渡り歩いて、街1番のお金持ちのエスキモーを発見するとしよう。彼は1,000万円の余剰キャッシュを持っている。彼は4人家族で嫁と7歳の息子 4歳の娘がいるとしよう。
まずは相手のニーズを把握する事と決済者を把握すること。
この場合はお父さんが決済者だったとしよう。お父さんは持っている現金の 1,000万円をどう使うかを決定する権利を持っている。お父さんがOKと言えば10万円でも100万円でも手にはいる。
この場合、相手が出せる金額の上限を見間違えない様にする。
1,000万円持っているからといって900万円くれ という提案をすれば大概は相手にされない。それどころか、相手に不快感だけを与えて2度と話をしてくれない可能性もある。
あくまでも提案の金額自体は必ず最後に持ってくる事とする。

決済者と予算感が把握できたら、次に 相手のニーズを把握する事に努める。

コミュニケーションの基本は聞き手に回る事。
相手に可能な限り喋らせる。こちらは頷くタイミング 頷き方に気を配れば良い。相手は多くをしゃべる事によって気持ちが良くなる、と同時に うんうんと頷いてくれる相手は 自分の事を理解してくれる理解者だと思う様になり、更に踏み込んだ話をしてくる。他の人には言わない情報も引き出す事が可能になる。
この会話の中から 相手の欲求 要求 ニーズを把握する事に努める。

普通に考えて エスキモーに氷は売れない。
そのままでは。
すでに満たされているものを更に売ろうとすると これも前述同様相手は不快感を覚え 2度と話してくれなくなる。
なので 何を提案するかを考える。

目の前のこの人は 何に困っているのか?
この人の人生の課題の10%を解決する事ができれば対価として持っているお金の10%を頂く事は決して不可能ではない。
∴ 100万円を頂く事が可能になる

仮にお父さんよりお母さんの方が強くてお母さんが決済者であれば当然、提案先はお母さんに変わる。

今回はお父さんで進めてみる。彼は生活する上で衣食住に困っていないとしよう。着る服も住まいもあるし、食は肉と魚がふんだんに獲れるので困っていない。であれば、更に悩みを聞いてみる。そうして悩みを特定する。
 例えば彼の悩みは奥さんとのコミュニケーション不足による家庭内不和だと判明したとする。彼は生活する上での困窮点は無いが、奥さんとの不仲を解消したい それが彼の人生の今の最大の問題点という事が判明する。
であれば彼の家庭内不和の解消を行う事が出来れば、彼はその対価として余剰資金の10%を吐き出す事は想像に難くない。
 その悩みが解決した場合経済効果としてどれくらいのものがあるか視点を合わせる。
ここで初めて提案が可能になる。

エスキモーさん。あなたは今の人生で 衣食住には困っていないし、今の生活に不満を持っていない。可愛いお子さんもすくすくと成長している。ただ、今いま エスキモーさんが人生に於いて最大の問題と考えているのは奥さんとの不仲ですよね。なんとか解消したいと考えている。
もし奥さんとの不仲を解消する事が出来るならば、それに対して100万円を支払う事は問題がないですよね?

ここでYESの言質を頂く事が大事。仮に100万円は払えない と言うのであればそれは何故なのかを聞く。その原因を特定し解消すれば100万円を支払う事はYESとなる。

で、ここからは奥さんとの不仲の解消方法について考える事になる。
例えば、僕がお子さんの面倒を見るから3−4日旅行に行ってみてはどうだろう?と言う。その旅行ではこうこうこう言う事をして、と提案する。
勿論この時 岡山は奥さんともコミュニケーションを取る。奥さんは奥さんで何に問題を抱えているのか。何故旦那さんと不仲になっているのか。
意外と実は 奥さんも奥さんで旦那さんと仲が悪くなってしまっていることを問題と考えていたりもする。実は昔大げんかしてしまっていて、その時以来口を聞かなくなってしまった。実は自分からも謝りたい とかと言うことはよくある話。
もしそうなのであれば旅行に行かなくてもいい。もしくは旅行に行っていただいて、実はお二人とも同じ考えだったじゃない。お子さんのためにもこの機会に仲直り旅行してきてよ。その間は俺がお子さんの面倒に見るから大丈夫よ とかいう話もできる。

で、ここまで出来た上で、ここからエスキモーのお父さんに最後の提案をする。
奥さんとの不仲の解消が可能になったでしょ。と。それに対して100万円以上の価値があると言っていましたよね、と。この不仲の解消に対して岡山に100万円の対価をください ただし 僕は現金をそのままは頂きません。僕はエスキモーに氷を100万円で売る を達成したかったんですよ だから今回のご提案とサポートを行いました なので 僕からこの氷を100万円で買ってくれませんか?

→ 結果として エスキモーに氷を100万円で売る が可能になる


上記は提案〜クロージング 受注の一例ですが、セールスとして人にモノを売るの基本が詰まっているかなと思います。

氷をそのまま売ることはできない。
- 子供達が岡山が大好きになる。日本の空手を教えてあげる。はじめの1週間だけ無料で教える。でも次の週からは有料にするよ という。虜にする。そうしたらこう言う提案も可能。
余剰資金としての100万円があるでしょ。じゃあその100万円でこの氷を買ってよ。この氷を100万円で買ってくれるなら、僕は無償でお子さんに1年間空手を教え続けましょう。どうよ。

ってね。

例えばこれが提案。需要を生み出す。お金を対価として相手が欲しいサービスを提供する。以上。

ただの水を10,000円で売る。これも全く同じ。

水を10,000円で売る


相手のニーズを見出す。10,000円の価値がある事と入れ替える。そして売る。そもそもの価値が無いものであれば需要を作れば良い。
・水を飲まないと死ぬ薬を与える。水を飲まないとならない理由を作る。
→ 課題解決と引き換えに1万円を頂く
  - 可処分所得からは支払える。世の中の価値はあくまで一般的な価値に過ぎない。目の前の相手固有の悩みがある。悩みを聞いてあげる。その代わり水を売る。それでも成立。
 孤独な爺さん婆さん相手なら余裕で売れる。サブスクモデルにできる。定期訪問で水を売る。孤独という心の隙間を埋める。定期で訪問する自分を理解してくれる話し相手が欲しい→そのニーズと入れ替える。

相手の予算感次第で金額は変わる。個人資産1兆円の人の人生の悩みの1%を解決すれば100億円を貰うことも可能でしょう。
ーー

電話だけでも受注は可能


 ・アポイントを頂いて移動して1時間の時間で提案する意味があるか?
 →その価値がある 一番最初の顔合わせ 等なら未だ分かるけど それ以上は可能な限り遠隔で決めたい。当時で言うとメールと電話。そこで全ての説明は可能。会う必要がない。お互いの時間の効率化になる。今だとテレカンも出来る。更に受注確度は上がる。
提案内容は同じ。
・クロージングは 今やらないとならない理由づけ
 - マーケット状況からでもいい キャンペーンとか割引をフックにしてもいい。今だから得する 今を逃したら損する と思わせられれば今すぐに購入に至る。

例えば銀座に飛び込みしてその場で30万円頂いた事がある。社会人1年目の事。お客様に初対面してから契約書締結までの時間 僅かに10分。

その時は確か化粧品の商品か何かを開発~販売している会社だった。
たまたま飛び込んだら目の前にオーナーがいて、オーナーは今から外出する所だと言った。10分だけ時間をくださいと。10分で御社の力になれる可能性があります と説得をし。
その場だけでの商談。俺を気に入っていただく。相手のニーズを明確に把握。提案。今だと50万円が30万円になりますよ。相手は30万円までであればこの場で決裁が出来ると読んだ。
今この場でやって頂く理由を明確にし 残りは自分の情熱を伝える。
熱は伝わる。 対面の相手に対して。 信頼になる。

お前面白いな。 よし お前にかけてみるよ。

自分の損益分岐点はその当時会社計算で120万円だった。
だったらそれ以上の売り上げを立てられれば、その以上の分は自分の商品の決済として使えるはず。
最悪会社に土下座する。その先に必ず繋げる。
全社にとって必ず利益にします。
そうして僕は、誰にも負けないくらい、売り上げをどんどんと立てて行きました。

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採用も営業力


 採用も営業力
リクルートはトップ営業マンを人事に付かせて学生の青田買いを行う。外資生命保険も採用が仕事。あそこのやり方は気持ち悪いので好きじゃないですが(リクルートも外資生命保険も内定頂いたことありますが過去)

 人として魅了する。付いていきたいと思わせる。相手の将来のためになることをわからせる。相手の将来の夢を聞いて、達成プランを作ってあげる。それによって君は望む人生になれるんだよと。だから今はここなんだ と。ウチの会社なんだと。
→ ついてこない理由がない。目の前に一緒に働きたいと思う人がいて、更にそこの会社に入れば自分の夢が叶うのであれば。確実に入社する。

 インテリジェンス最終面接で僕が話した。40歳での夢。自分で道筋を作った。とりあえずの内定が欲しかったから。夢は話した。その後、自分は英語もできないし海外生活経験もない。でも 日本語は使える。日本で仕事はできる。インテリジェンスであれば営業力が身に付く 広く社会を知れる。同期もたくさんいるそれが力になる。僕からクロージングをした。結果内定を頂いた。


株式会社インテリジェンス


株式会社インテリジェンス


 サイバーエージェントの藤田社長を輩出し、ライブドア事件真っ只中だった当時 ヒルズ族の兄貴と呼ばれた宇野さんが創った会社。
 社会に価値ある何かを残す  そのビジョンに寄り添うように、全社員およそ1,000名の集団は一丸となって日々事業を行っていた。
 僕が就職活動をしていた2005年1-4月あたり、株式会社インテリジェンスは学生に超人気の企業となっていて、大体偏差値で言うとMARCH以上の学生達にとって憧れられる存在であったと記憶している。当時存在していた東証ジャスダックという証券取引所に上場しており、時価総額は2,000億円を超えていた。
 同期は300人居た。学歴は前述の通り、大体がMARCH以上のレベル。偏差値で言うと60以上とかという感じだったかなと思う。

 その当時、僕は、自分で希望して メディアディビジョン と言う部署に配属が決まった。当時のインテリジェンスのメディアディビジョンというのは、いわゆるアルバイト求人媒体を運営する事業部隊。その時はインテリジェンス独自のネット求人サービスであるOPPOと言うメディアを運営していた。

 詳しい事は全然記憶に残っていないのですが、OPPO事業部は新宿三井ビルの51Fにオフィスを構えていて、ワンフロアで大体100人弱の人がいたと思う。8割は営業マン/ウーマンだったかな。その他、事業企画部とかなんとかがいて。

新宿三井ビル

 僕はOPPOの中でもエリア営業部と言う部署に配属されました。同じ営業部にはエリア1課からエリア4課があって、僕はエリア営業部のエリア1課。チームは6人体制で、リーダーが当時27歳とかだったかな。
 Tさんと言う方で、彼はアルバイト採用から社員に成り上がった人だった。その上に課長でYさんと言う方がいて、Yさんもアルバイト採用からの成り上がりだったのかな。大阪出身の方で、10代の頃は暴走族にも出入りしていたのかな(違ったらまじでごめんなさい)。すごい兄貴肌の尊敬できる大先輩で当時31歳とかだったと記憶している。

 そのチーム、実は営業員5名が全員新卒だったから面白い。全員が社会を知らない22歳〜24歳の男の子。学歴は中央卒が僕を入れて2名 法政卒が3名という布陣だった。

 一番初め、僕は埼玉県が担当エリアに割り当てたれた。それも埼玉県のなかなかの奥地、埼玉県浦和市と川口市 蕨市が僕の担当。
 ぶっちゃけ浦和とか蕨とか 西新宿のオフィスから出ると、ドアドアでクライアント先に到着するまで2時間近くかかったりする。しかも我々が運営している媒体が、当時知名度もほとんどないようなOPPOと言うメディアだった。
 毎日朝9時からテレマ(電話営業)を開始する。タウンワークとかフロムえーとかなんとか 他のアルバイト求人メディアに掲載されている会社 お店が俺たちの営業先。

 9時になった瞬間に電話営業開始。

「あ。お世話になっております。私、株式会社インテリジェンスの岡山と申します。お忙しい中恐縮ですが店長様はいらっしゃいますでしょうか?」
 大体は店長まですら繋がらない。

あ 忙しいですね
店長はいないです
営業は断ってます

そんな文句で30秒で電話を切られる。
それを繰り返す。ひたすらに繰り返す。

 私は持ち前の極真魂を発揮して、心折れる事なく、ただひたすらに電話をかけ続ける。ひたすらに。
 そうして午前中 12時までの3時間で 大体100件近くの電話をかける。
100件電話すると ニーズの大小はあれども 大体2-3件はアポイントにつながったように記憶している。

 さあ いよいよアポが取れた。行くぞ!今回のアポは 川口駅からバスで30分のテニスクラブや!来週水曜日14:00に来てくださいと言われた。と言うことは水曜日は11:30には会社を出よう。電車とバスで乗り継いで片道2時間強はかかる。
 早めに11:00過ぎには出ようかな。

 そうしてようやくアポ当日。その日も朝9時からひたすらに架電を続け、11:00までに50件ほどは電話する。アポイントは良くて1-2件。悪いと1件も取れないことなんてザラ。
 でも私には関係ない。私には川口の奥地のテニスクラブのアポイントがあるんや本日は。
 ようし!受注するで!
と意気込んで、

課長からもリーダーからも お前の今日のアポは確度はどんな感じだ?と聞かれ、 いや とりあえず決済者の店長に会うのでがっつり決めてきますよ!と意気込んで。

11:00過ぎにオフィスを出て、JR新宿駅から川口駅まで到着 その後 川口からバスで30-40分かけて 14:00前に、ようやく ようやくの事で、アポイント先の川口なんたらテニススクールだかに到着!!!

川口なんたらテニススクール(画像はあくまでもイメージです)

そのまま受付に向かうと

あれ
しまってる?
あれれ

何度もブザーを押すと 奥から女性の方が出てこられて
あ 本日14:00からお約束を頂いておりました株式会社インテリジェンスの岡山と申します!本日は店長様にお時間を頂戴しておりまして。

え 店長? 店長今日休みですよ。

ええーッ     ショウゲキ!!!
はあはあはあはあ。。。。汗

わかりました と  ええまじかよ と   またバスを待って  昼飯も抜いてきたのに
ヘットへとになりながら そこからまた2時間半をかけて、西新宿の三井ビルに到着したのはもう 夕方の5時にもなろうかという時間でした。 
 僕の顔を見るや否や、駆けつけるリーダーTさん。

岡山 どやったんや??

や え  あ。。。いや、、、

なんやどうしたんや?

や 店長が不在でした

疲労困憊

はぁ?? お前もう月末だぞ 売上立てないといけない日になんでそんなアポ入れとんねん

いやいや俺悪くないでしょ ちゃんとアポ取って行ったんだから

そんなことはザラ

そんなのが僕の社会人人生の一番初め、2006年の5月の事でした。

 そこからは、そんな経験もあったものだから、どれをアポにするのか 会いに行くべきなのかどうか 等 電話の時点でよく確認するようになったものです。
 だって片道2時間半 往復5時間かけてたら それが無駄アポになったらもうその日が終わるじゃんね。


で、ちょっと長くなるので割愛しつつ、

 そんな感じで私の社会人人生 営業マンとしてのキャリアが始まるわけですが、正直1年目の初めの2-3ヶ月くらいは営業としてモノを売ること、それも媒体力 ブランド力のない商品を買ってもらうことには苦戦していたものの、毎日100件の電話をかけ、1日1-2アポ 多い日は3-4アポをこなし お客様に提案をし続けて行った結果、徐々に 徐々に モノを売る という事を学んでいったように思います。

 1年目の3月には OPPOのエリア営業部で東京都中央区を任され、中央区のバイト募集と言えば銀座がど真ん中にありますので、ひたすらに夕方15:00頃から18:00頃は銀座のクラブビルを上から下まで飛び込みし続け、
時に店舗営業前の銀座のママに
「うるさいんだよ小僧が!!いきなり入ってくるんじゃないよ!」
と怒られながら、それでも自社のメディアを売り続けたモノです。

 銀座の半風俗系派遣の会社からの出稿を断った際も銀座の事務所に呼び出され、わざわざワイシャツを腹近くまで開いて刺青がガッツリ入っている若頭的な人の前で1時間正座して謝り続けたこともあります。その時も僕は、本当は力になりたい でも 会社からダメだと言われているんですすみません と
僕は本当にその気持ちだったから 目の前のお客様のお力になる事が出来なくて悔しかったから なんか少し 涙が出た 本当にごめんなさいと言って 涙が出てきた。
その僕を見て 若頭は
わかったよ お前男気あるよ お前の熱意には負けたよ頑張れよ 立派な大人になれよ
と言っていただけたり。

銀座の夜

 結果 月の予算250万円に対して 確か600万円以上の売上を私1人で作ったかなと記憶しています。
 
 社会人2年目になると 私の所属していた株式会社インテリジェンスは、当時アルバイトメディアanを運営していた株式会社学生援護会 という会社を買収しまして、組織が一つになる という体験をさせていただきました。
 あの時ど真ん中にいた僕をはじめとする営業員ももちろん大変でしたが、その中にいきなり投入された当時の1年目の新卒社員の子達に関しては、更に大変だっただろうなと思います。

 オフィスは東京都港区の溜池山王パークタワーに移転され、山王パークタワーの23Fとかだったかな その辺りが僕らのオフィスだったかと記憶しています。上にはNTT DOCOMOの本社が入っており、ドイツ銀行なども入っていて、北海道出身の田舎者の僕としては、首相官邸を目の前に ワイもこれで都会っ子の仲間入りや などと思っていたものです。

 2007年 社会人2年目は本当に激動でした。後輩が入ってきたため、営業部のリーダーとして2名のチームメンバーを抱え、後輩に指導しながら自分の数字も持って営業を行いました。

この時、何が一番大変だったかって、組織の融合の部分です。

 溜池山王のワンフロアには300名近い営業員が配属され、全部で5つか6つの営業部に分けられ、私は上野営業部という部署につきました。部下が2名。 
 上野営業部は全部で40名ほどからなり、3-4人のチームが10個くらい。各チームにリーダーが居てリーダーの下に2-4名程度の部下がついていたのかな。
 チームの上に課があって課が全部で3つかな。1つの課が3-4チームを束ねる という組織体だった気がします。
 とにかく僕は、個人で200-250万円/月くらいの予算を持ち、メンバーはそれぞれ100-150万円/月 くらいの予算だったのかな。なので3人チームで500-600万円くらいが月の目標として設定されてたかなと思います。
 で、何よりも大変だったのが組織の融合。
 上野営業部40名程度ですが、旧インテリジェンスからは僕をはじめ新卒を入れて12-13人くらいだったかなで、半分以上が旧学生援護会の営業の人たち。まず年齢が合わない。僕は2年浪人して大学に入っている為、社会人2年目の時点で25歳 部下は新卒1年目で23-24歳だったかな。
 
 で、援護会側は部長が当時41-42歳くらいかな  今の僕と同じくらいなのかな。課長が3人いて 32-38歳くらいだったかな。課長も部長も全員旧学生援護会。営業員も元インテリジェンスは僕をはじめ平均年齢25歳くらい。旧援護会は多分30歳くらいだったのかな。
 それは上野営業部だけ見てそうなように、フロア全体が300名の比率年齢もほぼ同程度。
 5つに分けられた部署で部長が5名 元インテリジェンスからはSさんという方が唯一の部長で当時30歳とかかな。旧援護会は部長が4人居て 僕の所属した上野営業部の部長が41-42歳 他の部署の旧援護会の部長人も大体40-45歳くらいだったのかな。

溜池山王パークタワー

まず 営業スタイルが違った。

 僕は個人的に1年目の経験もあり、可能な限り電話で受注するように心がけていた。無駄なアポは取らない。時間が無駄になるので。
 エクセルでクライアントを管理して独自にヨミ表を作り、月間の売り上げ予測を立てて管理していた。でも援護会の人たちには文化土壌の違いがあるから彼らは彼らで独自の手法で営業をしている。
 営業は朝イチに現場に行き、しらみつぶしに飛び込み営業をするものだ。営業は足で稼ぐものだ。兎に角フロアに残っている営業は仕事をしていない営業だ。
 ニュアンスは違ったかもだけど、僕の記憶では そう言った風潮があったように記憶している。
 いや 違う それだと非効率 確度を上げて そこからクロージングしなくてはならない どこにどうアプローチするべきかのマーケティングが出来ていない
それでは営業員はひたすらに疲弊するばかりだ それで成果を残せる人は残せるかも知れない でも 最適解ではない確実に
 僕は1年目の成功体験もあるので自分のやり方を変えるつもりはない。むしろそれを進化させたい。でも部全体の方針としては異なったりもする。
でも、今 僕が1人で声を上げたところで、部全体の方針を変えられるものではない。40人の組織体の中で僕は新卒2年目の営業員。権限を掌握しているのは部長。
 
 コミュニケーションが必要だ。

とある先輩が言っていた。組織の問題点は全てコミュニケーション不足から起こる って。
更に言うと、今思うところでは、アドラー心理学の教え。
この世の全ての問題は人間関係だ。その人間関係は全て誤解から生まれる。
その誤解を埋め得るのは、コミュニケーションから起こすしかない。

 僕は積極的に課長部長にコミュニケーションを取る。キーマンは誰か。キーマンを落とせば思う通りにできる。キーマンは?部長とあの課長。
まずは自らの結果で見せた証明した。僕が部で一番売上を上げていたと思う。

営業組織において一番偉いのは モノを売る人。結果を残す人。
まずは結果で証明した。現場を知っている現場でモノを売ってくる人が正しい答えを知っているのだから。

課長も部長も僕を認めてくれた。岡山 お前はめちゃくちゃ仕事ができるからな と言ってもらえた。
 自ら直談判して40人で会議を開かせてくれと伝えた。ただしその場には課長以上は出ないでほしい。上長のいる場では、メンバーは萎縮して思う事を言えない。上長の顔色をみんな気にしているは分かっていた。それだと変わらない。変えられない。
リーダーの中で一番年下の僕が議長をする。だから全員が思った事を話せるんです。1度だけでいいです。部長・課長。1 度だけ 僕に任せてくれませんか??

部長と課長の承認を得て、
分かった岡山 やってみろ と お言葉を頂いて。

翌週、部長課長を抜いた上野営業部40名弱で、1時間半くらい会議した。みんなの思いを吐き出した。俺たちで俺たちの組織を作るんだよ と言った。
部のみんなも 僕の思いを知ってくれているし 僕の言うことには耳を傾けてくれる。可能な限り全員に話を振った。
何かを決める事が大事なのではない。全員が参加しているんだ 全員で 俺たちが俺たちの組織を作るんだ。
その 想いの醸成 全員の信頼 狙うポイントの明確化 視座を合わせる
それをやりたかった それをやらないと 組織はバラバラになると思った。

結果、その翌月上野営業部は過去最高の成績を残した。
大きく 目標を 達成する事ができた

今でも思っている あの時の あの会議が 僕たちが一つになれる みんな頑張れる きっかけの一つになったはずだよなあって

月末最終日朝会で 部が 達成した事が 部内で報告された
僕のことをかってくれていた部長が 40名の部員全員の前で
潤お前からみんなにしゃべれ 
と言ってくれた

僕はみんなの前に出て 喋ろうと思ったら 涙が溢れてきた

本当に良かったなあ 良かったなあ みんな辛かった みんな頑張った
この1ヶ月 あの会議から始まって そこからみんな必死に頑張った
そっか 達成できたんだ 俺たち 達成できたんだ・・・
肩の力が抜けて 気づくと僕は泣いていた 大きく 号泣していた
大きく泣く僕を見てみんなが慰めてくれた
ジュンジュン 良かったね ジュンジュン 泣かないで って

これも営業。



 その他 ハーバード式交渉術の勉強会も開いた。カーネギーの人生論は僕のバイブルで14歳の時に読み込んで生徒会を成功させていた。14歳の頃、中学校の生徒会会長になって、毎日生徒会会議を行うんだけれど、思春期の少年少女達 みんな言いたいことを言う やりたいこともある 全然意見が合わない。その総意を取ることの如何に大変だったことか。
その時に出会ったのが カーネギーの人生論。

D・カーネギー  人生論


そこには 人の心の掴み方 YESと言わせる言わせ方。人に気に入られる方法 自分の意見を通すための技 その他 コミュニケーション 人との接し方に関する全ての事が詰まっていた。僕はその頃、毎日カーネギーの人生論を読んで、毎日の生徒会会議で実践してみていた。そうすると、それまではまとまらなかった会議が 簡単にまとまるようになった。僕が僕の意見を全て通す事が可能になった。カーネギーはすごい まじですごいと思った。ウルトラDの名著。これがあれば人生は容易だ その時 そう確信していた笑
14歳の 札幌市の片隅にいた中学生だった時。
この名著は僕にとってのその頃からのバイブル。
大人になってからも何度も読み返しているし、なんなら42歳の今でもいつも持ち歩いている。

これは大人になってから、自分が社会に出て ビジネスとしてセールスを行うとき、組織をマネジメントする時、人と会話する時 会議の場での振る舞い発言等々 どこの場面でも使える。

営業とはコミュニケーションであり 人の懐に入り込むこと。
 人たらしが一番強い。あとは交渉 提案。ズバリ提案をすること。期待させること。今やる理由を明示すること。今やらないと損することを理解させること。
 そうすれば勝手に向こうから申し込んでくる。やらせてくれと。
 やる となったら今度は単価を上げる。5万円払えるひとは10万円払える。10万円払えるひとは30万円払える。30万円払えるひとは50万円払える。
 可能な限り高い単価で。さらに効果が出なかったときこそが営業の腕の見せ所。クレームはまたとない営業のチャンス。お金を頂く事が全員のためになる。自分を信じて自社商品を信じて首根っこを捕まえて提案する。そうすると決まる決まる。
 後輩たちからものすごく崇められた。岡山さん岡山さんと後輩がついてきた。



 やりすぎたのはフロア全体メールを送ったこと。
新卒2年目のイチ営業員の僕が、確か300人くらい相手に勝手にメールしたんだっけな社内メール。当時の社長だったTさんをCCに入れて。

今社内はみんな頑張っています。みんな本気で頑張っています。でも、働けば働くほどどんどんみんな疲弊して行っています。苦しんでいる。心を病んで休んでいる後輩もいる。これで良いのか?おかしくないか?上の人たちは現場を本当に見ていますか?これで良いと思っているのですか?
同志各位 今こそ立ち上がる時。俺たちの力でフロア全体に革命を起こすぞ。

みたいな内容をいきなり僕はメールした。今考えても尖りすぎてる若手ですよね笑

クビになっても構わないと思った。それを受け入れてくれるはずの会社だと勝手に思い込んでいた節もあった。
まずいかも知れないけど でもいい と思った笑(多分 いや これは 流石に良くはない事ですよねw)

結果、事業部長に呼び出されて

岡山 ちょっと来い

と言われて

なんだろう もしかしたらメールの件かな
手に負えない若手だったモノだから 上司の責任として叱咤受けるかなあとも思いながら

そうしたら

事業部長が僕に

岡山 お前すごいな

って

役員会があったんだけど 役員の皆さん 自分の事業部の報告をしたいのに、当時の社長のTさんが事業部長のUさんに おい 岡山は大丈夫か?って聞いてきて、結果 お前の為に全社の役員会で30分の時間使ったんだぞ 

って

社会人2年目の それも 全社で3,000人を超える組織体になっている企業に於いて、マジでそんなやついないぞ

って

ああ 少しでもTさんに俺の声は届いたのかな って思った。。
(どう思われていたのかはわからないのですがw 岡山クビにするか?という話だったのかもわからないのですが笑)

その後、最短昇進で課長に上がれるぞ って上野営業部の部長に言って頂いた。異例の昇進だった。
でもその時は 社内の規定上 新卒2年目の社員は課長職には就けない とかいう規定があったんだっけな。それで実現はしなかったのですが。
同期内最短昇進最高報酬を僕は手中にしていたはずだった。

その後はそれはそれで色々とあったんですけどね。続きはまたの機会ということで。

以上







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