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「女は二度決断する」復讐は福音か、断罪か

ちょっと前の映画。ただ、忘れられない映画でもある。

ドイツ映画が好きです。
bioからアカウント名前まですべてドイツ語で書いてるのでこいつドイツかぶれなんだろーなっていうのはなんとなく察されると思うんですが、きっかけはサッカー、深みにハマったのは文学、長じてから映画に手を出した感じ。ルーツがあるとかそういったわけではありません。一瞬住んでたくらい。友達がちょっといるくらい。それも大人になってからです。

ドイツの映像作品の容赦のなさが好きです。
たとえば「ドッグス・オブ・ベルリン」。絶対に日本のドラマだったら許されない悪徳警官が主人公。家族がネオナチ、自分は借金まみれ。パートナーの優秀な警官はトルコ系移民で、移民であるがゆえに優秀でなければいられなかった複雑な背景持ち。で、移民の犯罪組織を摘発する。つら。
ドイツという国は言わずもがなEUを牽引する存在であり、おそらくは世の中がこういうことにならなければ今日も元気に統一と団結を謳って北米や東アジアを牽制してたと思うんですが、その反面で移民問題に長年頭を悩ませている側面もあります。
自分がかつて住んでいたベルリンという街にはドイツ最大のトルコ人街があって、旧東側の最前線だったことから東欧各国の方もたくさんいて、ベトナム人が多くて、なぜかイタリア人もたくさんいました。共通語としてのドイツ語が飛び交う傍ら、それぞれの母国語も多く聞かれたり。人種の坩堝はどこにでも出来得るのだな、と怪しい焼きそばボックスの縮れ麺を啜りながら思ったものです。ヨーロッパにおいてアジアを感じるには、寿司より焼きそば。刺身よりうどん。何気ない日本食が何よりも手に入りにくい。

そんな移民大国ドイツの、移民と排斥の事情を抜きにして語れない映画がこちら。
主人公は「ドイツ人」女性。一児の母。
夫はクルド系のトルコ人。旅行代理店を経営。意外かもしれないけど、国外にツテがあって色々融通できるからか、旅行系の仕事をしている移民は珍しい話ではない模様。
「原因不明」の爆発によって夫と息子は命を落としてしまう。
深く失望する彼女の下に、容疑者としてネオナチの夫妻が逮捕されたという知らせがはいる……


カンヌ国際映画祭でパルムドール候補となり、主演のダイアン・クルーガーが女優賞を獲得したので、日本でも公開された本作品。
ただ興行収入(推定)を見ると、インディペンデンス系にしては割とヒットしたのか? メッセージ性はめちゃくちゃ強かったです。2017-18年の世界に殴り込みをかけるには、十分すぎる力を持っていた。
ダイアン・クルーガーは「トロイ」や「イングロリアス・バスターズ」なんかのハリウッドのヒット作に出ていて、ドイツ人女優としては日本でも割と有名な部類だと思うんですが、今作の熱演は一際凄かったですね。
何かに取り憑かれたような狂気。そりゃそーだ、と思うような事件がたしかに最初に起こってるんだけど、そこからの二次被害、世間の風当たり、司法の限界、人間性を疑うような犯人たちの行動と価値観の相違、そして決断。邦題の「女は二度決断する」、どこが二度なんだろうと見る人に思わせる秀逸なタイトルだと思いますが、原題のAus dem nichts(直訳するなら「無から」、なにもないところから、虚空より、とかのニュアンス)の強さには勝てない。たぶん勝たないようにつけてる。
このダイアン・クルーガーの演技を見て、憑依型俳優だいすきマンとしては落ちないわけにいかなかった。まじで素晴らしい。まだNetflixで観れると思うので(見れなかったらごめん!)未見の方はご覧ください。ただほんとに救いがないので、Wikipediaとかで予習してから見ることを勧めます。心の準備をしてから、ダイアンクルーガーの演技を見る映画。それくらい保険かけないとしんどいと思います。バドエン中のバドエンなので。しかし後悔はない。確実に己の中に何かを残す映画。ちなみに上映時間は1時間半なので、「パラサイト」よりはお手軽に見られます。感情の面までは責任取れないけど。

移民を取り巻く問題は、社会に参画していればこそ無関係ではいられず、もちろん日本も(技能実習生問題など)用語こそ違えど似たような現象は起こっているわけです。
今はコロナ禍で人の移動が縮小傾向にあればこそとりあえず後回しにされている問題ですが、これ別に根本解決したわけではないし、経済格差が存在する限り普遍的に生じる社会構造だと思うんですよね。生活のためにより多くの富を蓄えたいと思うことを誰が止められるだろうか? まだ日本はその閉鎖的な気風が良くも悪くも「日本人」の確立を容易にしているけど、では陸続きのヨーロッパでは? 己のアイデンティティを脅かされるに至って、「自衛のために」80年近く前にやらかしたことを再び推し進めようとする人がいることを、果たして教育は止められるのか。傷つけたものと傷つけられたものが対話することで和解は成し遂げられるのか。ゆるすことはできるのか。
かつての歴史を紐解くならば、ナチ化の先鋭は教育機関から成されたという。和解はしても感情は簡単に消し去ることができない。遺恨は、言語化ができない。本当の意味での憎悪は、消し去ろうと思って消えるものでは決してない。ひとりひとりに状況があり、背景があり、決断があり、行動がある。それを「暴力の連鎖であり、無益だからやめろ」と諭すことが、果たして己に出来るだろうか? すでに命をかける覚悟をした人間にその言葉はどこまで力を持つだろうか?

おそらくこの映画に感情移入出来る人は、少ない。ただ、移入できなくとも想像を喚起するだけの、とんでもなくえげつない好演をしている。子を殺された母の、と言うと、間違ってはないんだけど、なんとなく矮小化してしまう気がする。だって、幸せだった頃の動画を散々見てから、行動に移すわけで。母としての意識の前に、人としての尊厳が強く立ちはだかっている気がして、それが本当にすごい。そこに至る葛藤の描写が抜群に素晴らしい。だからストーリーを頭に入れた上で、洋物はよくわからないとか言わずに、ダイアン・クルーガーの演技を見てほしい。圧倒されるので。もう暫く映画はいいかな…とか思うくらいに。とか言いながら見るんですけど。

他に印象に残ったのは、ハンブルクの北の海の灰色の空から、ギリシャの地中海沿岸の青い空、パステルカラーの情景の変遷。
美しかったです。世界が美しいからこそ、炎がより強く映える。

「MIU404」や「アンナチュラル」が刺さった人には刺さるところのある映画じゃないかなと思います。
ちなみにこの作品は「キル・ビル」とよく対比されてるんですが(考えてみたらキルビルも國村隼の首が刎ねられていた)、「キルビル」を期待して見るとかなり痛い目を見ます。女の復讐劇、というある種セクシズムめいた目線で見ると大怪我する映画なので、まあ楽しみ方は人それぞれかな…

私にとっては忘れられない映画です。
是非見て欲しい。



綾野さんに狂ってる記事との落差がいつもながら激しいけど、この両側面が私だなという感じで、どうかひとつ今後もよろしくどうぞ。では。

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