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そこにある自由、ベルリン

noteの募集企画をば〜っと見ていて、あーなんかこれ面白そう! というやつにコンテスト関係なく書いてみようと思い立った。ネタがあったらとびつく。勿論そうなんだけど、それ以上に「もうちょっとこの街のことが読んだ人に浸透してほしい」という野望めいた下心があるような気がする。どうにもこの街のことになると冷静さを欠く。この街にまつわるフィクションを探して見てしまう。これはもはや街に対する恋。

私は日本の地方都市を偏愛し、地方都市にこそ住みたいと拘泥している人間ですが、べつに東京のことが嫌いなわけじゃない。単純に住みやすさという点で住み慣れたところに住むのが効率が良いと思っているだけ。「どん兵衛の味が違う」とかで煩わされたくない。満員電車も好きじゃない。そんな程度。でもエンタメだいすき人間として、都市部のエンタメ厚遇に関しては考えないことがないではない。つうか仮に自分が飛田給あたりに実家のあるサブカルオタク女だったら(※「花束」の絹ちゃんを想定しています)今頃なんの躊躇いもなく「東京からは離れらんないよね。やっぱり。地方には映画館も劇場もないし、コンサートもライブも行きたいもの行けないもん。好きなものを好きでいるのは世界のどこでだって出来ることじゃないんだね」とか言ってる気がする。上から目線、北から目線ならぬ首都から目線。事実なんでなんも否定しませんけどね、ええ。

で、そういう感覚はたぶん日本に限ったものじゃないんだな、というのが今回の趣旨です。
何度か書いてるのでまたその話かよって思うかもしれませんが、ドイツ。ベルリン。かつて住んでいて、でも元々はなんの接点もなかったのです。まったく偶然住むことになりました。ドイツにはこれまで過去3回、長期短期併せて滞在ないし居住したことがありますが、毎回別のところに行っていてそれぞれの新規性を楽しんでいます。日本のどこに住むかで生活様式がガラッと変わるように、ドイツもまた地方色が豊かでバラエティに富んでいます。世間話で「ドイツに住んでたんです」という話になっても、地域が違えば何もかもが違うので、そういう人に出くわすと最初に「どのへんですか?」と前のめりで訊きます。あるある〜になるか、マジすか!になるかでだいぶ違うから。ちなみに自分は南部以外は拠点にしたことがあるので、そういう意味ではわりと話は合わせやすいほうかも。

そろそろベルリンの話をしましょう。
海外旅行が好きな人にベルリンの話をすると「あ〜ベルリンね! 私ドイツ行ったことあるけど、たしかミュンヘンだったな〜ノイ…ノイシュ…なんとか城行った、でもベルリンは行ったことないな〜」と言われるか、「パリは寄ったことあるけどベルリンってそういえば行ったことないかも」と言われる率が異様に高い。これは誰かが具体的に言ったというより、総合すると「ベルリンのことよく知らないし行ったことないから近そうなミュンヘンとパリの話になりやすい」ということであり、おそらくその理由としては日本からの直行便がないことに尽きます。なんか就航の話もあったけどこの時世では難しかろうなあ。そもそも日本からドイツに行くってなると基本的にフランクフルトなんで、人によってはフランクフルトが首都だと思ってることも…
そんなベルリンですが、紛れもなくドイツ連邦共和国の首都であり、行政機能を有する、同国内で最大人口を誇る大都市なのです。それでも東京の3分の1くらい。東京に慣れた人からするとだいぶコンパクトに見えますね。

ヘッダー画像はベルリンの中心部にある宮殿。シャルロッテンブルク宮殿といいます。宮殿内の見学もできますが、見所はこの写真に写る広大な池。そして庭。
ベルリンといえばブランデンブルク門とテレビ塔、ジーゲスゾイレ(戦勝記念塔)、たまにベルリン大聖堂というウンターデンリンデン沿いの観光名所が欠かせませんが、敢えて、あえてこの宮殿を推します。けっこう住宅街のど真ん中にデーンってあるんですよね。というかこの宮殿の周りに宅地をドカドカ作ったっていうのが正解。歩いて行ける範囲に西側の中心地が密集しています。クーダムとか、動物園前とか。ツェーレンドルフという南西部の一画に住んでいた民としては、この辺りが庭みたいなもので、よく遊びに行っていた友人の家もシャルロッテンブルク宮殿の近所にありました。いわゆるアナザースカイ。でもなんだか気取ってなくて、下町的雰囲気もあって良いところです。

私はベルリンという街がとにかく住んでみてからめちゃくちゃ好きになったわけですが、おそらくその要因として「大都会なのにどこか田舎っぽい」、いわゆる下町的風情を漂わせる一角がめちゃくちゃ多いことが挙げられると考えます。
もちろん観光地のど真ん中、国会議事堂やフリードリヒ通り周辺は派手で賑やかで華やかなんですが、たとえば中央駅からちょっと歩いて博物館方面に行こうとするとき、シュテグリッツ駅から北へ暫く歩くとき、アレクサンダー広場からトラムをやや乗り過ごしてカスタニエン通りへ差し掛かるとき、そうした時に目の端に入り込む下町的風情、人の生活感を追いかけてしまいます。そこに人が住んでいて、人が住むからには生活に密着した商売があって、コミュニティがあって教育があって労働があって、地縁があって迷い道があって、私自身はその場における「完全なる部外者」であることに些かの充足を覚える。この社会におけるアウトサイダーであることを突きつけられ、同時にアウトサイダーであるからこそ何にも与せず、夢のような現実に生きていられる。ベルリンに暮らしている間、お金の心配以外はとくにしたことがなくて、お金は常にカツカツでしたが、とにかく街を歩くことに注力できました。2回目には行けないだろう道を開拓して、そこにあるベトナム料理の店を美味しいと思っても、どのバスを使ってどの地下鉄を使ってそこからどう降りてどの道を歩いてきたか思い出せないわけです。思い出さなくてもいい。二度とそのスープを飲むことができなくても、その日そこで食べたという事実は変わりないし、追体験しても確実に思い出せることではないから。
旅行というにはあまりにも長い、居住にしてはあまりに現実味のない、そういうアウトサイダーで居続けたわたしのベルリン生活ではありましたが、ベルリンの巨大さや良い意味での疎外感がくれる充足は、日本では体感することができないし、おそらく他の街のどこでも難しいと思います。もっと田舎であれば、迷えるほどの道もない。もっと都会であれば、利便性が高くて異邦人に優しくて、なんなら日本人のコミュニティなんかも高度に発達していたでしょうね。ベルリンにももちろんコミュニティはありましたが、「コミュニティあるから気が向いたら来たらいいんじゃない?」くらいの熱量で関わってくれたので、ものすごくフラットでした。おそらくそのコミュニティに属している人たち自身が、コミュニティをさして求めていなかったのではないかと思うほどに。観光には力を入れていますが、前述の通り日本からの直行便は就航しておらず、各所に日本語オーディオガイドやリーフレットは滅多に存在せず(たまに日本人のガイドさんはいました! お世話になりました) ここにいる日本人ってそんなに多くないか日本語必要じゃない人ばっかりなんだな、という規模感がちょうど良かったです。

私がそうやってベルリンにいる間、日本にいる当時のフォロワーさんが「孤独になりに行けるって幸せなことですよ」と言ってくれたんですが、それは本当にそうだなと思いまして。
孤独の価値を知った思いでした。誰も何も言わない。アジア人として一線引かれて、対象化されて、責任を負わせようとしない。治安を悪化させないならまあいいんじゃね、くらいのノリで、ゆるやかに社会への包摂を許されている(もしくは直接殴らないというだけで関わらない、最初からないものとして知覚をされていない)。おそらくどこの街でも日本人が1人で生活してたらそういうアプローチなんだろうけど、でもベルリンは、ベルリンを選んだわたしは、他の街に住んでいたかもしれない私よりずっとひとりでいるのが楽しかったし、ひとりで色んなことを見て、街を歩いて、口に合うもの合わないものを食べて時間をつぶせることが楽しくて仕方なかったのです。べつに夜遊びをしなくても、友達に会わなくても、酒を飲まなくても退屈しない。変な照明の喫茶店で一日中文章を書いていてもいいし、学生でもない大学の図書館に入り浸ってもいい。大型書店ドゥスマンで買わない本を眺めて、変な水道管の写真を撮って、シュプレー川沿いに歩いてどこまでも行って、ガイドブックにも載ってないようなマイナーな博物館に行って、日曜閉店のショッピングモールに悪態ついて、ガソリンスタンドでアイスクリーム買って、近所のアルディ(格安スーパー)で50円くらいの安い瓶ビール買って。時間はいくらでも潰せました。アクティブなインドアの女が生きるのにあれほど向いた場所はおそらくない。1日チケットだけ買って、地下鉄だけ乗り継いで、最終的にぐるぐる回ってテンペルホーフ空港跡地にたどり着いて、日が暮れるまでぼーっとしてたこともあった。夜中の3時に都市鉄道の駅まで歩いたこともある。ドルトムントがカップ戦優勝したのは近所のバーでひとり、ビールを傾けながら見てた。全部ひとりでやりました。こんなにひとりで楽しくていいのかってくらい、徹底的にひとりを満喫して、それで日本に帰りました。
なんだか罪悪感が湧くくらい本当にひとりで好き勝手して生きてたんですが、ベルリンに行った人、ベルリンにいる人って意外とこういう人のほうがマジョリティなんかな、というのはこの漫画を見てちょっと思いました。

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まさにこの方がされてたような感じの暮らし、嘘偽りなし。これぞあるある。特に何もしてない。勉強してたくらい。
ただ、この日々が無意味だったとは一切思わないのです。とりあえず今、私が日本社会にしてる貢献なんて税金と年金払ってることくらいなんですが、子供を産めとか結婚しろとか、就職しろとかそういう外圧の全てから本当の意味で自由になって、法に触れずに人に迷惑をかけずに勝手した経験は何事にも代え難いと思います。そういう自由を許してくれたベルリン、なんならそこにいる人たちもそれくらい自由だったベルリン、自由が過ぎて今の世界が窮屈すぎると嘆くベルリン。もちろん私が見たのはほんの一側面で、書けないようなヤバいことや直面した危機もたくさんあったんですが(めっちゃあった!)街の印象を書き起こすとなると驚くほど良いことしか出てこなくて、ということはそういう悪事に関してはびっくりするくらい普遍的なものだけ、たとえば日本に普通に生活してて生じる痴漢とか喧嘩とかトラブルとかと殆ど同程度の心底くだらないものであり、できたこと、そこでしかできないことしか自分の印象には残っていないという表れでもあるような気がするのです。

なんでもこういう世の中のせいにするのは良くないんですが、あの自由だったベルリンでノーマスクデモが起こり、日本でも意外なほどに報じられたりして、テロリストと大差ないわみたいな意見が交わされるたびに、そりゃそうだよなと思う自分と「あの街ならそういう過激な思想すら包含しちゃうよなあ」とどこか納得する自分がいます。自由は危険と紙一重、誰かの自由は誰かの不自由。結論として今のわたしは日本に住んでおり、かの国とは一線を画した状況にいるわけで、故に極端に美化されている箇所も数多くあると思います。それでもあの自由の一端に触れたことが、私の価値観を強化し、肯定し、奪われなくても良いものを奪われずに済むように形を変えてくれたこともまた事実で、月並みな言い方ではありますが、この世の中が少しずつ収まればまたあの街に戻りたい、今のわたしが見てあの街を歩きたいと強く願っています。
あのとき食べたケーキまた食べれるかな、安いヌードルボックス売ってた店、まだあるかな。粗悪な自販機、壊れた公衆トイレ、さすがに修理されたかな。あと、できたばっかりのブランデンブルク空港、めちゃくちゃ行きたい。マウアーパークでまたわけわからん集会覗いて蚤の市冷やかしたいし、一日券買って博物館島をハシゴしたい。聖地巡礼もたくさんしたい。「バビロン・ベルリン」や「ドッグスオブベルリン」、帰国後に見たので……などなど、到底一度の渡航では叶えきれない夢を抱いています。

この記事を読んだ人が、少しでもあの街に興味を持ってくれたなら嬉しいです。
そしていずれ、いつか訪れてくれるなら、こんなに嬉しいことはない。

普段は感想ばかりあげている人間ですが、こういう偏愛を形にするたびに発見があって楽しいです。
いつもご覧くださっている方はありがとうございます。
またよろしくどうぞ。では。

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