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さようなら世界史。こんにちは歴史総合。


要約: 歴史総合を受けてみたかったアラサーの話

 ツイッターの中心層はたぶん20代以上。日々痛感している。たまにマジで若い人を見ると「わかい!」「まぶしい!」「こわい!」と色んな感情が胸の内に去来する。若さはそのまま何かしらの「可能性」だ。健康だし柔軟だし、見識が浅いぶん恐れも希薄で、なんとなく楽しそうで見ていて朗らかな気持ちになる。どうか楽しく今後を生きてほしいと思う。

 そういうことを思う程度には自分も年を取ったということかもしれない。それゆえの怖さのようなものも抱く。それは彼ら自身への畏怖もあるが、世の中の悪意がノーガードで飛び交う環境には一層警戒してほしいという年長者のお節介も否めない。説教臭くなるのは世の習いか。


 それはさておき。

 大人の皆さんはおそらく高校時代、歴史の必修で世界史を履修したはずだ。もし履修していないという人がいればそれは過去ものすごく炎上した履修漏れ問題の弊害かもしれない。基本的には世界史Aもしくは世界史Bが必修として全国の高校生に履修されているはずで、それなりに励んだという人もいれば、テストのたびに地獄を見た人もいるかもしれない。悲喜こもごもを産んだあの世界史がなんと今春、高校の必修科目から外れる。ご存じでしたか。みんな大好き/大嫌いなあの世界史が高校の必修科目から外れるのですよ。これは朗報なのか? それとも悲報なのか? 読んでいる人にとってはどっちですかね? もう高校終わったから関係ねーわって人もたくさんいそう(教育に対する大多数の関心の低さは選挙のたびにパーセンテージで目の当たりにして毎回ちょっとだけ落胆する)。


 これはまじめな論文ではないのでノリで自分の話を書くが、自分は必修科目として世界史Bを履修し、選択科目として日本史Bを履修した。倫理と政経もやった。唯一地理だけ高校では履修してない。別に私が特別ヘンなことをしていたわけではなく、なぜか行ってた高校ではそういう選択が可能だった。ちなみに自分の年度からセンター試験公民に「倫理政経」という新科目が爆誕した。政経の時点で「政治経済」なのにさらに倫理。略称の「倫政」にはすでに経済が含まれすらしていない。情報の過積載。そして文系で大学に行くなら公民から1科目歴史から1科目、お前の第一志望だと公民は倫政な(要約)と担任に言われたので、頼みの綱の日本史と不安しかない倫政を使うことになった、いや使う気でいた。

 センター試験出願のタイミングで受けたマーク模試で倫理政経の点数が62点だった。この微妙極まりない点数は勉強していなければちゃんと勉強しろよと言えるレベルだが、勉強していてこれなのだ。なんかもう圧倒的に向いてなかったし、シンプルに楽しくなかった。もう志望校あきらめよかな…と思いながら電話帳のようなデータブックと向き合っていたら、志望校の出願要項にこんなことが書いてあった。


「地歴公民から2科目」


 担任に聞きに行った。余談だが当時の担任は地理教員で、高3の1年間を担当してもらったのに一度も授業を受けたことがない。率直に言って私の倫理政経の点数がゴミすぎるんですが、今の段階で世界史に科目変更するのってどう思いますか?

 担任は死ぬほど微妙な顔をして学年団の世界史の先生にどう思いますぅと話をパスした。世界史の先生は自分も仲がよかったので鼻で笑ったが、無理だとは言わなかった。次の日から毎日放課後に過去問演習をしてくれた。3か月で世界史がなんとかなったのはだいたい彼のおかげである。こうして東大も京大も受けていないが、なぜか世界史Bと日本史Bでセンター試験を受けた文学部志望の高校生が生まれてしまった。お世辞にも効率は良いとは言えなかったし、非常に膨大な量の単語を覚える羽目になった。おかげで頭から押し出されるようにして英単語が抜けた。人間の記憶情報量には限界がある。ただそれでも、その後歴史系に進んだせいもあってか、高校世界史と高校日本史を大学受験レベルまで勉強できたことは自分の身を大いに助けることとなった。勉強したことが何の役に立つかはわからないものである。


 話を戻すと、この世界史が必修でなくなる案件、もちろん世界史を勉強しなくてもよいわけではない。というとなんだか騙しているみたいで恐縮だが、ちゃんと世界史に相当する内容は勉強する。ただ「歴史総合」という科目に名前と中身が変わる。

 従来の世界史Aは近現代の世界史を学ぶべく、実は部分的に前近代の内容まで踏み込んでいた。たしかチラッと人類の起源の話をして、いきなり大航海時代だとかルネサンスだとか宗教改革だとかの話をしていたはず。その過程が重要なんですよ暗黒の中世は黒塗りかバカヤローと言いたくなる気持ちは一旦抑えつつ、これが結構教科書だけ見ていると効率的というか、現在の理解に必要なところを押さえてあって、まさに「最低限の教養」といったかんじで意外と悪くない。たとえば「なんでアメリカと***って仲悪いの?」(AIにワードを拾われると面倒なんで伏せますよ)とか「イスラーム文化圏はどうしてキリスト教文化圏と対立しているの?」とかの'90〜'00世界情勢に関する疑念に概説的な説明を加えてくれていて、初心者向けの入門編としてはメッチャいい。世界史の先生がキライだったらどうにもならんとは思うが、ある程度世の中に興味があって、まあ教員のこともキライではないかなレベルの子であれば、授業に参加するだけで充分現代の前提を概観することができるように纏まっている。偏りなく(なるべく偏り少なく)歴史を概観するというのは結構難しいことで、その前提の有無でものの見え方も変わると思う。

 今回、内容としてはそれらがまず、18世紀くらいまで飛ばされるらしい。大航海時代も宗教改革もなし。下手したらピューリタン革命(1640)と名誉革命(1688)も削減される勢い。そしたらもちろん三十年戦争(1618)もウェストファリア条約(1648)もないんじゃね? 大丈夫か。ヨーロッパ近代化の前提がだいぶわからんくなるけど大丈夫か。

 どうしてこうなったかというと、日本史Aはもっと近代から、19世紀からが範囲になるらしく、そこと整合性というか折衷案というか、折り合いをつけた結果らしい。たしかに日本は江戸以前のことなんてなかったかのように近代に舵を切ったし、上からの近代化でまあまあな成功を収めた(何をもって成功というのかはわからんが、とりあえず他国による植民地化と母国語の喪失を経験せずに済んだ)。今回同じ科目になるに際し、あまりに情報量が膨大になるので…と世界史サイドは削減を余儀なくされたらしい。わかるけどね。でも外圧的要因で近代化した日本に比べて、無から有を作り出したんでもあるまいに、近代化のプロセスで手を抜いちゃったらますます断絶してる歴史がファンタジーになっちゃうなあ、との思いを強くした。もちろんこれは従来の世界史Aでも同様の問題があったのだが、指導要領の改訂で穴埋めをするどころか穴をデカくしてきやがった。高校生に甘くしたいのか辛くしたいのかよくわからない。


 これは決まったときからよく言われていたことだが、今回の「歴史総合」必修化には現政権の「日本史を必修にしたい」という思想が土台にあるらしい。本当か嘘かは知らないが、まあ言いたいことはわかる。自国の歴史すらわかってない大人は厄介だ。大人になってから自国の歴史を学んでみよう! と思いたち、コンビニに置いてある極右の本を手に取ったり(まじで神武天皇から話が始まる)、YouTubeで下から文字ばっかり流れてくる動画で「真実」を知った気になったりの手合いは本当に本当に困る。それならまだ高校でちゃんと勉強しておいてくれ…というあれ。まだ理解する。その内容の正当性や普遍性はさておき。正直教科書によってはマズいなあという内容もないではないのだが、今回の趣旨からはズレるのでちょっとお茶を濁しておこう。


 ただひとつ言えるのは、これによって自分がかつてやらかしたような「日本史Bと世界史Bを受験で使います」が更に少数派になるんだろうな〜ということだ。従来であれば日本史Bも世界史Bも前提として日本史A、世界史Bの履修を義務付けていなかったが、今回からは歴史総合が必修となるため、その発展内容たる日本史探究と世界史探究は歴史総合の履修を前提としている。時間的に履修が難しいのは勿論だが、内容が半分くらい重複する科目を受験科目としてカウントしていいのか問題も発生するので制度的に無理なんじゃねというアレだ。さすがにゆとり真っ只中の私の世代でも「世界史Aと世界史Bを受験で使います」はどこの大学でも無理だったはず。それはもはや違う科目ではないのである。

 今年から始まった制度なので、実際の受験が変化してくるのは2025年度入試から。それまでに大学入試共通テストや私大、国公立大の二次試験がどう対応するかは地味に注目している。調べてみたけど当然ながらまだ詳細な情報はリリースされてなかった。今年くらいには出てきてあげないと新高1もおちおち受験勉強を始められない。たぶん指導側も困ると思う。

 一応共通テストに関しては予想問題がリリースされていて、かるーく解いてみたけど大学の学部で歴史学系の単位を取った人間ならまあなんとか……って感じの史料分析問題が多かった。つまり用語や年代の暗記でどうにかなる段はとっくに終わったということで、文科省が度々言ってる高大連携をフルスイングで高校生に強いるんだろうと思う。おそらく一番困るのは高校や予備校の先生だろう。どこからその時間を捻出し、何をガイドラインとして、どういうファシリテーションを生徒相手に展開するのか。方針だけ決めましたんであとはほな! と言わんばかりである。いやすぎる。一杯奢ってあげたい。公的な歴史教育と受験指導を両立させる難しさ、察するに余りある。ことは教育だけに失敗は許されず、どちらも立てる以外の正解がない。


 ちなみにグローバルスタンダード的な話をすると、別に他国の教育制度に全然詳しいわけではないけど、ドイツではこの「歴史総合」スタイルを導入しているらしい(たぶん州による)。とりわけ大学進学を前提とするギムナジウムでは、ヨーロッパ史と現代史がほぼパラレルに進行するカリキュラムで、必然ドイツで中等教育を受けた子どもは世界でいちばんナチスドイツの蛮行に詳しくなる。ワークショップやゼミ発表的なこともやるそうなので、ドイツの大学生は文理を問わず「その話は高校のときに頭おかしくなるほどやったんで……」と死んだ目をしながら苦々しく大戦の話をしてくれる。某国の5月9日あたりの様子とは大違いである。そのかわり自国のことでも中世以前のことは全然わかってないので、自分がドイツ中世の都市史を勉強してたと言うと「都市にもドラゴンっていたの?」とか訊かれる。野犬かよ。

 面白かったのはあっちの大学で歴史の授業を受けていたとき、自分の語学レベルでも完璧に内容を把握できたことだ。なぜならその授業内容は自分が高校2年生のときに母国語で教わったことと全く一緒だったからである。名誉のために言っておくと大学のレベルが低いわけでは断じてない。れっきとした国立大学だ。世界史Bの情報量は結構すごくて、とりわけ前近代とか近代初期とかの情報は現地の学生(ギムナジウム卒業生)の教養過程レベルに匹敵する。これは高校で世界史をやってて良かったと思った案件。報われる瞬間があまりに限定的だが、勉強したことはいつか身を助けてくれると信条のように己の中に腑に落ちた経験でもある。(これも現地の学生の名誉のために言っておくが、じゃあ俺らが世界史やってる時間にあの人ら何やってんのというと、ラテン語とか二外とかやってる。ドイツの学生は文理問わずラテン語が読めるし、英語はネイティブ並みにうまい)


 そろそろまとめにかかろう。ひとり歴史総合(探究)で受験歴史を受けた身としては、日本史の授業と世界史の授業から別々に集まってくる情報を自分の中で統合し、パラレル的な状態を枝木のようにつなぎ合わせるのが楽しかった。第一次世界大戦、世界恐慌と昭和恐慌、石油危機といった事件もさることながら、イヴァン4世と織田信長がほぼ同じ時代の人だとか、イエズス会が日本に来た(来なければならなかった)歴史的経緯とか、ザクセンシュピーゲルの成文化と御成敗式目の制定が10年も変わらないことだとか、そういう蓄積こそが楽しかったし、その経験が文学ではなく歴史学を専攻させたのだと思う。

 同じ大学の日本史の院生とお茶を飲みながら推し寺について話すのも楽しかったし、日本史研究をやってるドイツ出身の学生に付き合ってフィールドワークをしたのも楽しかった。ドイツからきた院生と書写山を歩きながらトムクルーズの悪口を聞いたのが忘れられない。ハイキング中のドイツ人のネットミームを思い出しながら笑った。八十八箇所巡礼も付き合った。ドイツじゃこれは数字では書けねーわと言われて唸った。アルファベットの8番目の数字はH、HHはドイツでは忌み言葉に近い。似た理由で18も避けられる。AHがイニシャルになるから。日本じゃ「米」なのにね。


 言い換えれば、今後の高校生はみなその入り口に立つことができるし、一方で入り口からもっと奥へ踏み込むことはすこし難しくなるだろう。もちろん学校で教わることが全てではないのだが、プラスアルファの勉強、受験に使わない勉強というのはそれだけで時間も労力も社会の風当たりもきつくなるので、知りたいと思うことは過不足なく教えてやれる社会であってほしいと思う。大学受験を終えて12年が経とうとしているアラサーは「センター試験」と呼ぶだけで歳がバレるこの世の中で、これからも歴史と歴史教育を見ていきたいと思う。

 そして一度、興味本位で歴史総合の授業受けてみたかったなーーーと思う。どんな話すんだろ。教員の方のコメントがあれば嬉しい。あと間違ってたら教えてほしい。

 今回はこのへんで。またよろしくどうぞ。

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