健康診断と、お仕事と、乳ガンと、伝えたいメッセージ
先日、健康診断に行ってきました。
「あったこと、思ったこと、思い出したこと、どうしても伝えていきたいこと」を書きました。
長いです。
バリウム後の下剤が効き過ぎて寝込んでいた日に書いたら、詰め込み過ぎました。
またまた1万字超えです。
お時間あったり、なんとなく気が向いて読んでいただけたら嬉しいです。
・・・・・
会社の健康診断。
今、6年振りに以前働いていた会社で介護職に戻ってお仕事をしています。
健診センターも6年振りです。
毎度おなじみ「道に迷う天才」の私。
かなり早く家を出たのに、地図を見ながら歩いたのに、
6年の間に周りの景色はすっかり変わっていて、到着したのは予約時間ギリギリ。
健診センターの外観は変わっておらず、ほっとして中に入った。
受付を済ませ、更衣室へ向かうと「じゅんみはさん!」
昔同じフロアーで働いていた、スピッツ大好き仲間の同僚と会った。
頭の中で「君を忘れない〜♪」歌が聞こえる。
健診同じ日だったんだ、嬉しいですね。
なんて言い合ったけど、直ぐにそれぞれの検査室に呼ばれて、また後で。と手を振った。
少ししてまた「じゅんみはさん!今日だったの?」と声をかけられた。
最近産休から復帰した若くて可愛い同僚がニコニコしている。
「じゅんみはさん、まだ慣れないだろうし緊張とかあると思いますが、頑張り過ぎですよ。昔からいっつも頑張ってる。気付いていないんです。
自分が思ってる100倍頑張らなくていいですからね!」
「本当に慣れてないし、今の力の入らない体でどうやるか?試行錯誤してるから少し頑張っているけど、昔はそんなに頑張ってなくてゆる〜くやってたよ。」
「昔も全然ゆる〜くなかったです。ニコニコ頑張ってた。」
「そうかな?でも今はまだ、みなさんのお役に立ててないから。復帰早々に高熱が出たり、病院の段差ですっ転んで捻挫で休んじゃったし。歳もあるから頑張り過ぎないようにやってます。」
「自分が思っているより100倍役に立ってるから、100倍頑張らないでください!」
可愛い彼女の優しくてあたたかい言葉。
なんだか「100倍」が沢山出てきて
「今の私の1とはなんぞや?」
と計算できなくなるけど、
彼女のその言葉に、他のスタッフの優しい言葉にいつも救われて涙している。
・
それでも落ち込む。
できない自分がもどかしくて責めてしまう。
みなさんと同じように動けない。
優しい言葉だけではなく、嫌なことを言われたり、嫌な態度でしょんぼりする時もあるけれど、
私だって気付いていないだけで同じことをしている時もあるだろう。
後から、言われた人の仕事を見ていたら物凄く勉強になったこと、その嫌だなと思っていた言葉が腑に落ちたことが沢山あった。
良いなと思ったことは取り入れる。
違うと思ったことはやらない。
言われた私も辛いけど、言い方がどうであれ、忙しい中で指摘するのも大変だと思う。
感謝しかない。
単純に嫌味な態度や言葉は、帰宅したら忘れることにした。
実際、大病した力の入らない体は、動きが鈍過ぎるし、流れを覚えるのも信じられない遅さ。
スタッフのみなさんの手も足も引っ張って、おんぶに抱っこが多い。
頑張っても頑張っても追いつかず頭も体もヒーヒー。
申し訳ない気持ち を
少しずつできるようになった にできたら。
焦らず頑張る。
・
おじいちゃんおばあちゃんが大好き。
ちょっとした隙に声掛けをしていると、今まで反応が少なかったおばあちゃんが、
だんだん「ラッキー!」や「ハッピー」と言ってくれるようになった。
「わぁ!ワンラッキーいただきました!今日は何回ラッキー聞けるか楽しみです!私もハッピーです。ありがとうございます。」
今のところ最高はファイブラッキー、この前はWピースまでしてくれた。
嬉しくて泣きそうになる。
「ありがとう 嬉しい」
と言われると、私も
「ありがとうございます 嬉しいです」
言葉が話せなくても、笑顔がみられると幸せな気持ちになる。
お世話をする仕事だけど、
笑顔や幸せをいただける仕事でもある。
そう思っている。
そんな小さなことで嬉しくなって、私なりに頑張ろうって思える。
・
復帰してからいろいろなことがありました。
体力的なことだけでなく、昔はあれもこれもスムーズにできた、覚えられたのに、できないことが悲しいし落ち込む。
でもスタッフのみなさんの言葉だけでなく姿を見ていて変わってきた。
できることがほんの少しずつ増えてきた。
ある日の休憩時間に休憩所で、昔からいて素っ気ないと思っていた人にポロッと弱音を吐いた。
「昔の自分と比べるのではなくて、今また『1』からやったらどうですか?
そのうち昔の経験も自然と出ますよ。」
サッと休憩所を出て行った。
ああ、本当にそうだな。
この力の入らない体で工夫しようと思っていたのに、
昔と比べて責めているのは私自身だ。
『1から』そう思えば良いんだ。
そして、その人は一緒の持ち場に入ると、さり気なくポイントを教えてくださり、サッといなくなる。
ひとりでやらなくてはいけない時間も、誰かがさり気なく手伝って助けてくださって
「何もしてないよ」という顔で何も言わず、サッといなくなる。
私も甘えてばかりでなく、いつかそうやって困って必死にやっている誰かをさり気なく助けたい。
さり気ない優しさ
みなさん見守ってくれている。
こちらのnoteに、その浴衣のファッションショーの話が書いています。
・
6年振りに戻って感じる事は良いことだけではない。
切ない現実もある。
決められたスケジュールを時間内にやらないと、お食事やお風呂の時間など、いろいろなケアがずれてしまう。
スタッフの退勤時間も遅くなる。
それぞれの生活がある。
みんな必死だ。
それは私のいる職場だけでなく、介護業界全体の人手不足という現状から来るのだと思う。
介護に携わる、どの部署もスタッフひとりひとりの負担が大きく膨らみ、疲労の色が濃くなる。
私は、
「自分の家族だったら。自分がその人だったら。」
と考えて接することを、昔も今も心掛けている。
それは、実母が末期がんで病院に入院していた時、意識があってもなくても、看護師さんや担当医師チームの方々が丁寧に声掛けやケアで接してくださったから。
他の家族が一時的に意識不明になった時も。
私自身がいろんな病気で入院していた時もそういう看護師さん達に沢山心が救われたから。
言葉が喋れなくても、意思疎通ができない状態であっても同じだと思う。
一時的に意識不明になった家族の意識が戻った時、それを感じていたと本人が言っていた。
だから、一生懸命生きてこられた人達が持つ、
自分が老いて変化していくこと、いつ来るかわからない人生の終わりへの不安や悲しみが減るように。
介護に携わるみなさんも同じような気持ちを持っておられると思う。
けれど、過度な負担や疲労で心と体に余裕がなくなりやすい、と現場に戻り感じている。
そんなつもりはなくて、忙しくて気付いていないだけかもしれないけれど、
「え?」と思うケアを見かけたり、私もそうなってしまうことがあるから。
・
介護職6年振り。
7年前、右胸にしこりを自分で見つけた。
始めは良性腫瘍と言われ、念の為の半年後の再検査までに腫瘍は大きくなっていて、本当に悪性腫瘍「乳ガン」だった。ステージ2b。
その手術をする直前の全身検査で、子宮の外に巨大な子宮筋腫が見つかり、そちらもガンかもしれないと言われる。
子宮と子宮筋腫は風船の息を吹き込む所のような細くて短い管で繋がっていた。
お腹の中でユラユラ揺れていて、その管が捻れていつ爆発してもおかしくない。
力仕事なんてダメ!明日から休んでください。
え?急に明日からですか?1週間後には乳ガンの手術なんですけど。
あなたね、爆発したらすぐ死にますよ。乳ガンはそんなにすぐ大きくならないから延期、とにかく緊急手術します。
お腹もガン?そんなことあるの?
パニックになったまま3日後に摘出手術をした。
手術中に生検した組織はガンではなかったが、お腹を15cm切って大きな物(子宮と小玉メロンサイズの子宮筋腫)がなくなった内臓の中では、臓器大移動が始まり猛烈に痛かった。
退院した翌々日にまた入院して、今度は乳ガンの手術。
1回目は3cm、取り切れず2回目は13cm切ってガンを摘出。
エコー検査で、リンパ節転移の可能性も高いとのことで、リンパ節もいくつか切除して手術中に生検した。
リンパ節転移はなかったが、断端陽性で、2ヶ月掛け2回手術して治療した。
「手術、治療をしても仕事はできるようになります。立ち仕事の看護師さんもCAさんも教員や介護士さんも、みなさん治療後に復帰されてしっかり働いているから大丈夫です。」
という主治医の言葉を信じて、私は半年間の長期休職での治療の間に新しい資格取得もした。
ケアマネになりたいという夢があったから。
半年後、復帰したら全然動けなかった。
力自慢だったのに体に力が入らない、右腕とお腹に強烈な痛み。
右腕はリンパ節も切除していたので、肩から指先まで痺れるし、浮腫む。
軽々やっていたはずの入居者さんの身体介助ができず倍以上の時間がかかる。大量の汗。直ぐに動悸息切れ。
仕事が終わると手術した右側だけ39℃の発熱。左は平熱。
夜勤も2回やってみたけど、途中で倒れそうになり、ペアのスタッフが殆どひとりでやってくれた。
別のフロアにいた、数年前に乳ガンの手術と治療をした先輩は、バリバリ働いていた。
なんで私だけ?
帰宅すると痛みと悔しさで泣けてくる。
病院では主治医がまた
「仕事をしながら治療で大丈夫、体力が回復すれば以前のように動けます。」
なのに日に日に動けなくなる。
ずっとそのことについて考えているけれど、できるかできないかは人それぞれだと思う。
私は乳ガンと同時にお腹の手術もしていたので、あの頃そんなに直ぐに元通りなんて無理だったのだ。
大量の汗と動悸息切れは、乳ガンホルモン治療(再発の予防でホルモンを止める)の副作用で更年期症状が一気に出たのもあると思う。
その頃はわからなかった。
いろいろあり、長年お世話になった会社を辞めた。
いろんな部署のみなさんが、そのまま社員として働けるよう努力してくださった。
でも叶わなくて、パートなら、と言われたが当時息子が大学受験を控え、また継続の治療の医療費、生活費を考えるとパートでは無理だし、体も無理だと思い決断した。
勤務最後の日、
認知症がかなり進行していたおばあちゃん。
普段会話はできない。
お着替えを手伝っていたら、急に抱きしめられて
「人生いろんなことがあるさ。あなたの笑顔大好きよ。」
と言われた。
おばあちゃんの胸で号泣したのは忘れられない。
派遣でも時給が高く、身体介助の少い介護職をやってみたが、やはりご利用者さんを抱えきれずに自分が倒れ、壁に頭を強打。
その時、介護職は完全に諦めた。
その後、天井を見つめて涙していた私に、息子がnoteを勧めてくれて書き始め、
「じゅんみは」が生まれた。
様々な違う仕事をしたり、体や心の調子を崩したり、愛猫二匹を看取り、オトンと同居したりしながら。
いろいろな時を経て今に至る。
↑
愛する祖母が、くも膜下出血の後遺症で認知症になった話。
私が介護職になって経験した話を書いたnoteです。
↑
母の大腸ガンと、私の乳ガンの時のことを、料理を通して書いたnoteです。
↑
息子の一言でnoteを書き始めた話です。
・
健康診断の日。
前の日まで仕事がとても忙しくて疲れていた。
忙しいというより、本当にまだ体が慣れていないのだ。
正直、子どものような気持ちで行きたくない、お昼まで寝ていたかった。
大人だからちゃんと行ったけど。
当たり前だよ、あたしゃおバカだね。
朝5時起きだ。早番と同じ時間に起きるんかーい!とオトンに愚痴ったら
「目覚ましで起きなかったら起こしてあげるよ。」と優しい。
朝4時半、三女ちゃんがベッドに乗ってきて、胸と顔をフミフミ
「母ちゃんおきてにゃ!」
可愛いし優しいけど30分早い、眠い。
せっかく起こしてくれたのに文句言ってる。
ちゅ〜る献上しました。
・
道に迷いつつ無事に健診センター到着。
同僚達にも一瞬会えた。
最初の問診では、ちゃんと昔のデータが残っていて、今の体調と比べて今回の検査の話をしてくださった。ありがたい。
復帰前より体重増えてた。体脂肪減ってた。
きっと筋肉がついたのだろう。
太っただけだとしても、標準にもう少し足りないのでよしとする。
身長は伸びてなかった。こりゃ残念。
いろんな検査の待ち時間は、頭をガックンガックンさせながら寝ていた。
腹部エコー検査では爆睡。
終わりましたよ。
と声掛けされ、寝てしまいすみません。と言うと、
そうなんですか?体を左右にしたり腕を上げたりちゃんと動いていたので気付きませんでした。帰ったらゆっくりしてくださいね。
ありがとうございます。
寝ていても動けたらしい。
新たな特技を知る。
心電図でも爆睡。
胸部レントゲンでも危うく寝るところであった。
直ぐ終わったので大丈夫だった。
肺活量検査で目が覚める。
「思いっきり吸ってえー!もっともっともっともぉーっとー!!」
「さあ吐いてえー!もっともっともっと!もぉーっとー!!」
激しい深呼吸?のおかげです。
さて、採血のお時間がやってまいりました。
私は注射も点滴も全然平気。
しかし、とにかく血管が逃げるらしい。
血が採れず、かなりの確率で看護師さんが4人交代する。大袈裟ではなく本当に。
「あの、右は乳ガンで注射禁止です。血管が物凄く出にくいです。
いつも血管が見えても逃げるそうで、看護師さんの手を煩わせています。
手のひらやどこの血管でも構いません。すみませんが宜しくお願いします。」
先に伝えておく。
わかりましたー。大丈夫ですよー。」自信満々そうなベテラン看護師さん。
大丈夫かも?お願いします。
あ、ここに良い血管がありますよー!
いつもその辺なのですが、挿しても逃げるらしいです。
そうなんですねー。
「プスリ」逃げる血管。
あら?本当に逃げるわ。こっちかしら?
針動かす。逃げる。針動かす。逃げる…。針の場所を変えず追いかける看護師さん。
「◯◯ねー。」の「ー。」はなくなった必死なお顔。
頑張って!私の心の声。
「ぴゅっ」出たわ!やっと血が出ました!
…あれ?弱い。
そうなんです、血が採れても勢いがなくて量が足りなく、別のところで取り直すこともあるんです。
う〜ん、頑張るわ!
横から更にベテラン看護師さん登場。
これ交換して、その間にこっちを。助かる、じゃああれ宜しく。
私の血液よ、勢いよく注射器に流れるのじゃ!見守るしかない。
ベテラン看護師さん二人体制でなんとか定量採血できた。
笑顔→必死→必死二人体制→採血成功→笑顔に戻った看護師さん。
お手数お掛けしました。
ふぅー。久しぶりに冷や汗かいたわー。ふぅー。
看護師さんに「ー。」と笑顔が戻る。良かった。
そして、婦人科検査とマンモグラフィ検査。
待合スペースでパンフレットを見つけた。
「乳房セルフチェック」
以前「涙のキャンディ」に、私が書いたセルフチェックのやり方を載せましたが、
ちゃんとしたやり方が書いてあります。
すごく簡単なので、気軽に試していただけたら。
私はセルフチェックで乳ガンのしこりを見つけました。
下は私がやっていたチェック方法を書いた画像です。
↓
「乳房セルフチェック」
これだけは、お伝えしたい。
性別関係なく、みなさんに、
みなさんの大切な人にも伝えていただきたいです。
マンモグラフィー検査では、
ベテラン技師さんに
「研修中の技師と一緒にやらせていただきたいのですが、宜しいでしょうか?」と言われました。
「もちろん大丈夫です。こちらこそ宜しくお願いします。」
私の胸で良ければ、いくらでも研修に使っていただきたい。
マンモグラフィー検査は何度もしたことがある。
以前、私は乳腺が発達していて、腫瘍がとても判りにくい胸。
そして胸の上の骨が盛り上がっているので、機械にぴったり合わせる時に引っ掛かり、難しいと言われた。
しかも乳ガン経験者である。マンモグラフィーでは写りにくい下端に腫瘍があった。
実際、2回手術する前のマンモグラフィーでは、良性腫瘍も多くて悪性腫瘍の確認はできなかった。
研修にはちょうどよいかもしれない。
研修中の技師さんは、一生懸命、丁寧にやってくださった。
指導していた技師さんも、位置がずれてやり直す時、とても丁寧で、大切に教えて育てているのが伝わってきた。
ありがとうございました。
そして、沢山の人の検査に役立ててください。
最後は腹部レントゲンでございます。
注射は全然平気なんですけどね、バリウム大の苦手なんです。
いつも平気な顔していますが、心の中では泣きそうです。
事前のお手紙で、レントゲンリスクのことが書いてありました。
腹部手術をしたことがある方は、稀に重篤な副作用が起こる可能性があるのでよく検討してください。
というようなことがもっと細かく書いてあり、迷いました。
私は6年前に腹部手術をした。
胃腸が弱いのと、実母が大腸ガンだったので受けたいと思い、問診でも相談し検査することにしました。
バリウムはヨーグルトソーダだと思えば大丈夫!と言い聞かせて飲む。
うわぁ、やっぱりこの泡々と味苦手だ、と泣きそう。
泣く間もなく、機械が動き始める。
グルグルグル、パシャ。
グルグルグル、パシャ。
途中でバリウム追加。
こちらには下剤も入っていますから大丈夫ですよ。
え?またですか?という声は出さずに、ぐいっと飲み込む。
グルグルグル、パシャ。
検査は終わった。
完全に目は覚めたけど、今度は体の回転とあの味で目が回っている。
検査室の横の水を2〜3杯飲んでくださいと言われたので、3杯ガブガブ飲んだ。
ふらふらしながら着替えて健診センターを出る。
歩いて3分後、トイレに行きたくなった。もう?
「帰宅したら必ず飲んでくださいと渡された下剤」は、まだ飲んでないよ?
キョロキョロすると少し先にコンビニ発見。トイレを借りる。
白い滝が流れた。止まらない。
止まったかと思って立ち上がろうとすると、また白い滝。
めまいも増してきた。
数分して落ち着き、やっとトイレから出た。
・
コンビニを出て駅へ向かう。
行きの道と違う道だけど、こちらの方が見覚えがある気がする。
少し歩くと気が付いた。
「この道は、あのお店がある道だ!」
息子が一歳のお祝いに、紅白の一升餅を風呂敷に包んで背負わせた。
その一升餅を注文して購入したのが、こちらの製菓店「宝来堂」
今年の4月に26歳になった息子。
感慨深い。
店頭に立つ奥さまも、お菓子を作っているご主人も雰囲気は変わらない。
この道を通って良かった。
一升餅の意味を書いた手紙を貼った。
今度帰ってきたら渡そう。
介護職に復帰して、健診センターに来て、息子の一歳のお祝いを思い出した。
ああ、嬉しい。
おまんじゅうと、和菓子の包み紙の優しい香りがする。
・
感動しながら駅に向かって歩いていたら、忘れていた腹痛が再び現れる。
そこから帰宅まで、トイレ探しと腹痛とめまいと空腹でふらふらだった。
帰宅したらオトンが
「おかえりなさい。お腹空いたでしょ?」と声を掛けてくれたのに、返事もできずトイレへ。
トイレから出たらオトンがまた
「お腹空いたでしょ?」と言ってたけど、声も出せず部屋へ行きベッドに横になる。
ラインで事情を説明した。
目が回って座ってもいられないのでベッドに横になっていたけれど、ウトウトしてもトイレに行きたくなるので眠ることができなかったのです。
noteを書き始めたら気持ちが落ち着いてきました。
バリウムは出ない方が困る。
早く出た方が良いのでとにかく横になっていました。
オトンは「おまんじゅう買ってきてくれたの?じゅんみはちゃんは食べないの?」と喜んで食べていた。
夕方、やっと少し落ち着いてきたので荷物の片付けを始めたら思い出した。
バリウムは便器の底に溜まり、固まりやすいことを。
見るとやっぱり、だった。
そのままだと詰まる。
直ぐに「バリウム 便器 掃除」を調べ、カチカチになる前に除去作業開始。
何やってんだろ私?バリウムで締めくくり?
大切な健康診断に、疲れてて早起き辛いから行きたくないとか言って、
行ってみたらいろいろ考えたり、思い出したり感動して。
帰って来たら白い滝で寝込んで、note書きながらまた思い出したり、感動して。
夜にお腹痛いと言いながらトイレのバリウム掃除をしてる。ちょっと笑えてきた。
笑えてきたから、息子にラインした。
宝来堂の写真と一歳の一升餅のお祝いの話と、バリウム掃除のことをちょっとだけ書いた。
「すごいね!」と返事がきた。
・・・
いろいろなことがあって、考えたり、思い出したりした
長い一日でした。
これからも
「小さな幸せを見つけて笑顔でいたい」
そう思いながら、マイペースに歩んでゆきます。
・・・
私の乳がん体験記、セルフチェックの大切さを書いたnote
「涙のキャンディ・シリーズ」
数年経っても、まだ1と2までしか書けていませんが、続きもいつか書きたいと思っています。
あの手術と治療のこと。
副作用や後遺症。
今の私のこと。
・・・
おじいちゃんおばあちゃんへの私の思いと、家族介護、介護職の話を書いたnote
「わたしのスーパーヒーロー!」
小さな子どもの頃から今でも、おじいちゃんおばあちゃんはスーパーヒーロー!です。
私は「スーパーヒーロー!おばあちゃん」にはなれないかもしれないけれど、
「おとぼけでオッチョコチョイの笑顔おばあちゃん」になれたらよいなあ。
クスッと笑ってもらえるような。
・・・・・
健康診断の後、寝込みながら書いたら、長い長い長ーいnoteになりました。
最後までお読みくださりありがとうございます😊
じゅんみは
このnoteは予約投稿です。
読んでくださりありがとうございます! 嬉しくて飛び上がります♪ 私の心の中の言葉や絵を見て何か感じてくださればいいなと願いつつ。