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仕事よりも大事なこと


仕事をしていると、たまに疲労の沼に自らハマってしまうことがありますが、広報の皆さんを見ていても、なんだか辛そうにしているケースをよく目の当たりにします。(楽しそうで羨ましい!という人もたくさんいます。)
掲載がとれない、評価が低い、社長とまともに話ができない、できている(ように見える)人みたいに頑張れないなど。仕事のご相談をいただいたついでに色々な話を聞きますが、ひとつひとつは結構小さい問題のように見えても、長らく抱え込むが故に自己肯定感が低くなっているのだと思います。

もちろん視座や目標を高く持つことは重要ですが、広報がとりまく環境は非常に広くて流れも早く、自分ではどうしようもできないアンコントローラブルなことで一喜一憂して疲弊するのは、長く走るうえでは大きな問題です。

私の場合は、できるだけ業務ひとつとっても経営にどう影響を与えられるか重視していますが、そこまで考えているというよりは、自分の中で整理しておきたい小さい確認ポイントだと思っています。ただただ、私の興味や好奇心もそちらに向いているので頭に浮かぶだけです。

結局仕事は、心身の健康と自立性、自分の軸がある上で成せるものではないかと思います。「あの人がこう言ってるから」「周りもそうしているから」といった意思が伴わない判断や、手段の目的化には愕然とすることもありますが、所詮それっぽい意見や参考程度にしかならず、熱意が伴わなければ実行フェーズに移ると苦でしかなく、結果も期待できません。

人それぞれに違いがあり、業界それぞれに体質があり、会社ごとに環境が違い、社会に混沌があることを理解したうえで、それらに左右されない、自分の軸のようなものを持っておかなければいけないなと感じます。

みんなと上手く歩調を合わせなければいけない、コミュニケーション力が高くなければならない、というのも、通常の業務負荷に加えて、人によっては精神的な負担が大きすぎます。広報だから〜しなければいけない、というのは極めて安直な発想であり、例えば、一見ポジティブそうなコミュニケーションに気を遣いすぎると、「No」という意見を出せないまま、目的に腹落ちしていない施策が走り出したり、比較的外部からの情報を得られる立場にも関わらず、その客観的でシビアな気づきを内部へ与える貴重な機会を見失うことになります。

一方、上下や利害関係が発生するなかでは、報告のためにわかりやすい答えを求めるので、しんどいなと感じる人に対して、原因を特定しようとしたり、モチベーションを上げようとする人もいます。ただ、確実にそんな人に解決はできません。人体を甘く見る人が扱うような、イージーで浅はかな問題とは種類が異なります。

自分がどんなものに好奇心を持って、活かすべき資質は何で、どれくらいのキャパシティがあるのか、なんとなくわかっておくと不健全な疲労が伴わずに済みます。そして、「正しい」よりも「楽しい」ほうがよほど自然の摂理に近いのです。


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