見出し画像

「ある」に目を向ける~やさしくなれる

ある小学校の校長先生の話です。
去年聞いたのに、最近よみがえってきました。

校長先生は当時珍しい母子家庭で育ち、小学校の男性教師に父性を感じて憧れ学校の先生になったそうです。
初めの赴任先は養護施設、先生が初めて任されたのはある生徒が登校したときにおトイレをさせるということでした。
車が正門に着き、施設に入る前におまるで排泄をさせる。先生は毎日その生徒に声をかけておまるに座らせ放尿を促しましたがうまくいかず、あきらめて今日はもういいよと建物施設に入ろうとするとおしっこをしてしまう。そんな日が続き先生も志一杯で教職に就いたのに予想外の職場になりご自分のイメージとのギャップに苦しみながらも暑い日も寒い日も毎日奮闘していたようです。

数か月そんな日々が続いたとき、はじめてその子がおまるにおしっこをする瞬間が訪れました。
先生は当時を振り返りながら興奮して目をキラキラさせて、
「金色に輝いた水がね、出てきてね、もう嬉しくて嬉しくて」
と語り、じーんとしました。

その後先生は我が子の行く末を案じる親御さんと勉強会やワークショップを開いたりして、障がいを持つ子たちの親御さんが日常レベルで感じる不都合を解決することに尽力した末に普通の小学校に転勤となりました。

「この学年は算数が苦手だからこうしよう」
「児童にこれをできるようにさせないと」

こんな言葉が会議で飛び交っています。
「わたしはね、腹が立って仕方なくてね。養護施設の子たちを思い出すと何かができるということが素晴らしいのに、できないことばかり取り沙汰するのがね」

校長先生のこの言葉がなぜだか最近思い出され、わたしに付きまとうようになりました。

「できていること」、ないではなくて「ある」に目を向ける。
それは感謝の第一歩。

家族を見ていても自分を振り返っても、ない気質やものを欲しがるよりある気質やものをベースに考えたほうが物事がやさしく平和に動くことに気付きました。

数か月たって校長先生の言葉。
自分と言う木に何か見聞きしたら実ができて、それが熟れたころに手を伸ばして味わうのかな。量子のもつれかな。

校長先生はその後もいろいろな驚きの体験を話し名言を放ち続けて、義務感のみで行ったわたしの後ろ向きな気持ちを見事に覆してくれました。
それもそのうち。

よかった、ありがとう。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?