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正と性と生

20240426

正しくありたい
正しさとかどうでもいい中で、
正しくしたい

正しさなんかない世界で、
正しさを見つけたい

正しさ?
自分なりの正義、
自分なりの答え、
自分なりの生き方、

その本質は?

何のために生きているのか?

私たちは、生き物は、ただコピーを重ねる存在であり、それが本質でしかない。

自分のコピーを次世代に伝えるために、生きている。

生き物という地球史の中で、生を繰り返して、進化したり、退化したり、絶滅したりするだけだ。

その進化や退化や絶滅という歴史の中には、存在できないけれど、私たちは、やがて死ぬ、絶対に死ぬ。

コピーを伝えられない個体は、劣勢として、より早く絶滅への道を辿るだけだ。

次世代へ生命をつないだ遺伝子だけが、その変化を体現できる可能性を秘める。進化の道筋である。

生命の螺旋階段から降りた生物に、生きる価値はない。

生きる価値はなくとも生きるのか
生きる価値がないから生きないのか

生きないことは、死ぬことじゃない
生きないことは、死んだと思って生きることだ

死んだと思ったら、何でもできる
だって、死んでるんだから

世界や、世間や、常識や、友達や、恋人や、家族に縛られることもない
だって、死んでるんだから

余生、それは、死んだと思って生きてみること
余った人生だから、なんか、やってみよう、死んだと思って

生き物としての在り方
生き物としての役割を終えたら、
次世代への架け橋をやめたなら、

自由に生きていい
本当に自由に生きていい
何をしてもいい

多くの生き物は、生き物としての役割を終えたら、寿命だ

ただ、私たちは、生き物としての役割の向こう側に立った

生きよう

生き物としての役割を終えて、
余生としての生を足掻こうじゃないか

余生としての生き様

RPGの冒険の書、第一章でも、はじめてみるのもいいのかもしれない

人生は、ゲームだ、
人生ゲーム
余生ゲーム

サイコロでも、ふろう
どこへ進もうか

ゴールから、はじめる人生ゲームだ
道はない

道がないからこそ、人生ゲームだ

自由なのだから

自由の刑とは、新しい歩き方

人生ゲームのマス目に沿って進むことが人生だと思っていたけれど、ゴールからマス目のない世界からが、スタートだったんだな

人生ゲームは、人生を楽しむためのゲームじゃなくて、人生を仮体験するためのゲーム

人生ゲームが終わってからが本番

そこには、何にもないんだから

前に進まなくてもいい
金を稼がなくてもいい
子どもを作らなくてもいい
何もしなくてもいい

それを自由という

明日は、晴れるかなー
明日晴れたら、BBQしよー
そのくらいのテンションで

自由を満喫することから、はじめてみる

何もしなくてもいいのに、何かしちゃう

それが生きているということ
それが生きている証

自由からの逃走
何もしなくてもいいのに、
何かしないといられないから、
何かする

自由とは、生きることが、どうでもいいことなのかもしれない

何でもできる、何もしなくてもいいが自由じゃなくて、どうでもいいから、何かするか、何もしないかくらいが自由なのか









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