湯浅淳一
世界一周のための準備、情報
世界一周中に感じたこと、気づいたこと
世界中の海でダイビング
2020/9/24@八王子 『 人は幸福になるために生きているけど、幸福になるようにデザインされてない。』 って本で読んだ。 『 お金は鋳造された自由だ 』 とドストエフスキーは言った。 明日、世界一周に行くこの言葉が胸にあれば、生きていける。 人生の軸である。 歩くための背骨である。 " 明日、世界一周に行ける " 自分になるために、今日の自分がある。 自分になるために、今日の自分がある。 湯浅教の誕生である。 絶対的な教えがあれば、宗教は作れる。 教典は、『 幸
202404301 哲学は、人間や社会の「本質」を課題とし、 科学は、自然世界の「事実」を捉えようとする。 宗教の教義には絶対的な正しい教義というものは存在しない。なぜならそれはもともと「物語」だから、どれが絶対に正しいかを決められない。 人間の考えや価値観は、社会が進むほど多様になるので、これを一つにまとめることは不可能である。だから、どの教義が正しいかではなく、様々に現われる教義を、「一つだけ」にする、ということが宗教にとっては決定的に大事なことになる。 宗教は、物
20240428 親孝行とは、何か? 親に心配をかけることは、親不孝なのか? 昔は、親に墓を建ててあげたいなと思っていた でも、死んでからは意味ないなと思い直した 私は、田舎の長男 親が死んだら、親の墓の世話をするのが、しきたり ただ、私の父親は末っ子なので、墓を持たない だから、墓を建ててあげることが親孝行だと思っていた 田舎の文化にどっぷりと浸かった思考である 私は、地元に戻る気もない だとしたら、親の墓を建てたとしても、その世話をすることができない 弟も
20240427 川と違ってどこにでも流れていて、もしいやなら遠回りしたり追い越したり、場合によっては止めたり殺したりも出来そうな時間というものを、なんの工夫もなく一方的に受け止め、その時間と一緒に一歩ずつ進んできた結果、川辺はいつの間にか後退し、住人は、時間の流れと川の流れを完全に混同してしまっているのだった。 女の目は異常なほど澄んでいた。夢に見たこともない別の人生が通り過ぎてゆくのを眺めているに違いなかった。 田中慎弥と瀬戸内寂聴の対談 書けばいいんだから。 た
20240427 殺すか。その誘惑に、必死で抵抗せねばならなかった。 こいつは危険な女だ。今すぐ殺そう。その方がいい、と本能が告げていた。 この女は危ない、近寄るな。警戒信号が大音量で鳴り響いていたが、俺はそれを無視することに決めた。 これが俺と彼女の出会いであり、無間地獄の始まりだった。 「そりゃあ、あたしがあんたを気に入ったからで、あたしがいい人だからじゃない。もしあたしがあんたを気に入らなかったら…とてもあんたはあたしのことをいい人だなんて言えないことになってたろう
20240430 自分自身の感情は、その時々で解釈が変化する。 ドキドキは、怒っている人を見たり、怒っている人が近くにいたりすると、怒りの感情と解釈する。 ドキドキは、素敵な人を見たり、素敵な人が近くにいたりすると、トキメキの感情と解釈する。 ドキドキは、怒っているけど素敵な人を見ると、戸惑いとしての感情と解釈する。 ドキドキという身体の生理学的状況に感情という解釈を与えるのは、他者の振舞いに影響される。 身体が知覚した様々な状況を、これまでの体験や、今の環境から、脳が計算
20240430 ■顔の好みの判断 被験者たちは、カードに印刷された顔のペアを示され、魅力的だと思うほうを選んでくださいと言われた。 そしてときどき、巧みなカード捌きで、自分が選ばなかったほうの顔を手渡された。 被験者はこのトリックにほとんど気づかず、実際に選んだ顔とは違うのに、なぜそれを選んだのかを喜んで説明した。そうした説明の内容を分析してみると、トリックに騙された場合と、何もされなかった場合とで、全く違いがないことがわかった。 身に覚えのないはずの選択を説明しろなど
20240425 人間の行為というのは、傍観者であれ当人であれ、行為の前であれ最中であれ後からであれ、誰がどう説明しても偏っている説明にしかならない。意識という「表面」の下に潜む感情や動機や信念を見つけ出そうとするが、人間の真の感情や動機や信念を見つけ出すことはできない。見つけるのが難しいからではなく、見つけるべきものが何もないからだ。 心の内側の世界も、そこに納まっていると想定される信念や動機や恐怖も、それ自体が想像の産物なのである。私たちは自分や他人についての解釈を、
20240426 正しくありたい 正しさとかどうでもいい中で、 正しくしたい 正しさなんかない世界で、 正しさを見つけたい 正しさ? 自分なりの正義、 自分なりの答え、 自分なりの生き方、 その本質は? 何のために生きているのか? 私たちは、生き物は、ただコピーを重ねる存在であり、それが本質でしかない。 自分のコピーを次世代に伝えるために、生きている。 生き物という地球史の中で、生を繰り返して、進化したり、退化したり、絶滅したりするだけだ。 その進化や退化や
20240426 窓の外を見たら、最初の妻がいた そこへ、次の妻が歩いて来て、 最初の妻に向かって自己紹介した 私は「 湯浅〇〇です 」と なんか笑いながら話してた 性格は全然違うけれど、 私と結婚するくらいの二人だから、 会ってみると話が合うのかもしれない 私は、二人に向かって言った 「 お前ら二人とも、今、俺の妻じゃねーだろう 」と、笑いながら そして、最初の妻に向かって、聞いた 「 娘は?」 元気にしてるようだ 本当の娘は11歳なのだけれど、 私は11歳の娘
20240425 失うまで、その人のことを本当に愛していたかを知る術はない。 病気をして、初めて健康を意識するように。 歯が痛くなって、初めて歯の大切さに向き合うように。 幸福の中に居るときは、その幸福に気付かない。 不幸になって、初めて幸福に気付く。 不自由であるときは、自由を求める。 自由であるときは、何らかのやるべきことを求める。何もしなくてもいいことが自由なはずなのに。自由が過ぎると不自由を求めるのか。結局は、ないものねだりでしかないのか。 得たものは必ず失う。
20240424 新しい時代を創るのは、いつだって若者だから、若者の感覚は持っていたい。 自分の感覚を合わせることは難しい。 自分の感覚、それは、 カッコいいと感じること、カッコ悪いと感じること 気持ちいいと感じること、気持ち悪いと感じること 美味しいと感じること、不味いと感じること 好きだと思う気持ち、好きじゃないという気持ち そんな自分の感覚を意識して合わせることは、困難だ。 「男が化粧しているのを気持ち悪い」と思ってしまう。「男の若者が化粧しているのを気持ち悪
20240420 離婚などという考えが頭に浮かんだことは一度もないが、この人と結婚してよかったと思ったこともない。 自分が他の人間と違っていることにもう何年も前から気付いていた。 去年妻を亡くして以来、ずっとその翌日を、何度も何度も繰り返し生きているような気がしていた。毎朝目を覚ましては、起こそうとして隣に妻の姿がないことに気づく。それから、ゆっくりと彼女との最期の日のことを克明に思い出して初めて、妻がとうに、2週間前に、1ヶ月前に、あるいは半年前に、死んでいるという現
20240420 私たちの身体は、精神と肉体でできている。 肉体は、自分が摂る食事でできている。 精神は、自分がインプットする情報でできている。 自分の肉体を変化させたいと思って、自分の顔をかわいくしたいと思って、整形をする。かわいいとは何か?かわいいは、比較である。美の基準があって、その差分でかわいい、かわいくないがある。もし、無人島に一人ならば、整形することはない。美の基準が存在しないから、かわいい、かわいくないと比較できない。 だから、顔の整形は、自分の評価を高
20240420 ダイビングが趣味で、世界一周のサブテーマとして、世界中の海に潜るとするくらいには、ダイビングが好きで。 ダイビングの中で見る海や魚が好きなのであって、魚を家で、飼おうとは思わない。同じ魚でも、見る世界が変われば、また、違った感覚、感情となる。 ダイビングという非日常の中で見るから魚は素敵なのだ。 家という日常の中で見る魚はただの魚なのだ。 でも、実際に家の中の水槽を置いて、その中の水槽に魚を放してみるまで、わからない。家の中に魚がいつもいるという現実に向
20240420 自殺する準備までして、死ななかった。 燃える金閣寺を見ながら、生きようと思った。 金閣寺の寺内で死ねなかったら、生きようとした。金閣寺と共に燃えるのなら、貫くけれど、共に灰になれないなら、生きることにした。 金閣寺の主人公は生きたけど、三島由紀夫は自害した。金閣寺の主人公が自害したなら、三島由紀夫は生きたのか。物語の中で主役を殺すのと、人生の中で主役を殺すのと、どちらが難しいのか。奇しくも、私は今年度、三島由紀夫が自害した45歳になろうとしている。そして