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迷惑とは何か

よく、人に迷惑をかけるな!という文句がありますね。
でも、迷惑ってそもそも何なんでしょうか。

例えば、迷惑をかけられたと感じるときは、こんなときですね。

✅時間をかけさせられたとき
✅お金を使わされた時
✅労力を使わされたとき
✅名誉を損われたとき
✅健康被害を与えられたとき

 私たちは皆「減少するもの」を持っています。時間は産まれてからずっと減っていく一方であるし、お金もどちらかというと減っていくほう、という人の方が多い。名誉も減少していくし。労力もある意味、時間や体力を使わされた、ということになります。

 このように、迷惑というのは、自分達が減少してほしくないものをその意思に反した形で「減少」させるよう行動することだと考えます。相手に対する一種の攻撃なのですね。

 例えば、子供(A)とその仲良しの子供(B)が遊ぶのをお母さん(Bの母)が見る。とすれば、お母さん(Bの母)はそのために時間をつかうし、子供たちをちゃんと見守るよう意識を集中する労力が必要です。これは、お母さん(Bの母)に対して迷惑をかけることになります。例えそのお母さんが嫌だと思っていなくて、むしろ楽しんでいたとしても、時間も労力も使っていることには違いがないので、迷惑と言えば迷惑なのです。

 よく子供が母親の都合で連れ出されて、もう帰りたい~~と言っているのを見かけます。これは、母親としては、子供を一人にしておきと危険だからと言う意味では必要なことなのですが、母親は、ある意味子供の時間を奪っていると言えなくもありません。(ただ、子供を保護すると言う意味では、子供にとってメリットがある、と考えることもできます。)

 大体子供が親に迷惑をかける、というのが当然の図式になっていますが、実際は、親も子供に大変迷惑をかけています。なぜならば、子供に属している「減少するもの」をその子の意に反して減少させているからです。

 お金がとても大事な今の世の中、稼ぐことのできない子供は、親に迷惑をかけている、という図式が強烈に成立するんですね。子供が自分の進路を選ぶときも、大抵は、親に迷惑をかけられないから、という理由で、堅実な(収入の安定した)道を歩む子供が多いわけです。

 でも、よくよく考えてみると、社会で人と関わり合う以上は、どんな時でも、私たちは迷惑をかけていることになります。車走らせたら大気を汚染するわけだし。ゴミを出したら環境を破壊するわけだし。巡り巡って迷惑かけてるでしょう。

 自分と一緒に仲良く遊ぶ友達がいるとします。その人は、自分と一緒にいることによって、やっぱり時間を使っていますし、大抵の場合はお金も使うことになるでしょう。

 逆に言えば、相手も自分に対して迷惑をかけていると言えます。相手と自分の立場は、同じものだと言えるからです。

 お互い二人でいて、ただ何もせずにずーっと過ごすのは無駄ですから、じゃあ、二人でいることによって楽しい時間を過ごそう。楽しい時間を過ごすことができれば、それはお互いにとって迷惑な時間の使い方ではない、ということになります。それは、時間の使い方として、全く彼らの意に反していないものだからです。もし意に反しているとわかれば、その友達はそそくさと帰る。そして、自分の時間を無駄にする可能性のあるその友達とは、もう付き合おうとしないでしょう。あくまでも二人の間だけの、「迷惑をかけていない人間関係」ですね。

 これが、例えば河原で火遊びをする、どんちゃん騒ぎをする、という人間関係になったりすると、それ以外の人間たちにとって迷惑だな、と感じることになるのです。お互いには迷惑はかけていないのに、他の人にとっては迷惑だと感じることがあるんですね。


 社会問題が非常に大きく膨れ上がっています。教育の現場では教師の性的なスキャンダルが相次いでいますし、何と教師がいじめをする、ということも起きています。会社ではハラスメント問題が大きな問題になっています。そういうことがなくても、学校に行きたくないとか、仕事にいきたくないという人は多いですよね。

 これは、言ってしまえば、学校側や会社側がその構成員たる学生や社員に迷惑をかけていると言えるわけですね。でも、立場の強いほうは、自分達の方が迷惑をかけられている、といった構成にすることができるわけです。

 親と子の関係と同じですね。金を払ってやってんのはどっちだ!教育を受けさせてやってるのはどっちだ!自分でできるんか!?

みたいな感じなんですよ。私が子供の時も、自分の周りには、やっぱりそう考えている子供が多かったです。自分達は親に迷惑をかけているんだ!と当然のように言うんですね。先生にも迷惑かけているんだ!っていう加害者思考なんです。

 でも、そんな迷惑な存在をどうして生んだんだろう?どうして学校に連れてきているんだろう。どうしてそんな迷惑な存在を社員にしているんだろう、というのは、私のその当時の疑問でした。迷惑な存在なら、そもそも・・・ね。

 迷惑っていうのは、非常に便利な言葉です。結局立場が強いか弱いかの、押し合い圧し合いで、その場で意味が決定されているように思います。

 コロナが流行った当初、マスクもせずに地下鉄に乗った人がいるのを見た他の乗客が、緊急停止のボタンを押しました。その時、その男は周りの乗客から、人に迷惑かけるな!と怒られてしまったのです。

 さて、一体だれが悪かったのでしょう。マスクもせずに地下鉄に乗った人でしょうか。緊急停止を押した人でしょうか。根源はコロナを広めた中国でしょうけど。その場その場の勢いで、迷惑をかけた人間とかけられてしまった人間は決まってしまいます。評価は常に人間の主観で決まる、という記事を過去に書いたことがありますが、迷惑な奴だと評価されてしまうと、もうその人は迷惑な人になっちゃうんですね。レッテル貼りです。

 確かにボタンを押したその人は、多くの人に迷惑をかけてしまったかもしれません。ですが、「人に迷惑をかけるな!」と言ったその人も、今までの人生で、めちゃくちゃ人に迷惑をかけてきたということに対して、無自覚なのではないかと思うのです。

 私たちはみんな、お互いに迷惑をかけまくっています。そのことは確かでしょうね。

だけど全体的に見ると自分達は迷惑をかけてはいないのかも・・・。

 裏を返すようですが、私たちは全体的に見て、迷惑をかけていないのかもしれません。例えば、先ほど地下鉄でボタンを押した人は、そのおかげでテレビで放送するネタを作ることができました。それがテレビで放送されたのです。テレビ側からすれば、ネタが出来ていいメリットでした。

 迷惑をかけるな!と言った人も、マウントが取れていい気分になれたんじゃないかなと思います。

 ある人が殺人を犯しました。それは殺された人にとっては迷惑です。でもそのおかげで葬儀屋さんが儲かるし、坊さんが儲かるし、病院も儲かります。テレビ局のネタになり、警察の仕事もできました。

 人の物を壊してしまいました。そのため、弁償をしました。おかげで、その物を扱っている店は利益が増えました。

 迷惑は、巻き込まれた人間たちにとっては嫌かもしれませんが、それ以外の人間にとってはいいことがあるのです。この世界は、何もしていない人間が(その迷惑事件自体に関わっていないと言う意味)、却って得をするようにできています。

 大谷翔平選手の専属通訳であった水原さんも、大変社会を震撼させましたが、メディアにとってはとても楽しい話題ですね。水原さんは迷惑をかけたようで、かけていない。迷惑をかけるということは、実は他の誰かにとっては迷惑ではなく、好都合なのです。カジノで親元が大儲けできたわけですし。損な役回りと、得をする役回りにこの世界は分かれているのです。

 迷惑を本気でかけたくないならば、何もすることはできないのです。少なくとも、社会の中では、誰ともかかわることはできません。とすれば、「迷惑をかけるな!」というのは、実質的には不可能な要求なのです。じゃあ、もしそれでも迷惑を絶対にかけないようにするためにはどうすればいいのかというと、そもそも生まれてこないことだった、ということだと思います。極論を言えば、こうなっちゃうんですよね。

 少子化問題が起きていますが、こんなやばい社会に新しく子供を産むのは、子供たちにとってとてつもない迷惑なのではないか、ということを一つの理由として、反出生主義という考えも次第に広がり始めています。そもそもそんな主義のことを知らなくても、自然と産まないほうがいい、という結論に至るわけですね。少子化は単に社会制度や政治家の問題というよりは、それらを含めた世界の在り方そのものに疑問を持っている人が多いからだと思います。経済的な事情は大きいでしょうが、それだけでは語れません。

 そして、「迷惑をかけるな!」という言葉の狙いは、皆が迷惑をかけあっているんだけど、「迷惑をかけているのはわたし(たち)じゃなくてあんた(たち)なんだ!」という形にしたい、というのが隠れた意図だったのではないか。そして、それがだんだん形式的に使われるようになって、当然のようになっていって、人々の考えとして浸透していったのではないか。「人に迷惑をかけるな!」というあいまいな言葉は、そうした立場を作り上げるための、便利な道具だったのではないかなと思っています。勝てば官軍、相手を黙らせればこっちの勝ち。そういう世界の一つの現象にしかすぎないなと。

で、結局何もしていない人間ほどいい目を見るようになっていったと。

私はそう考えています。

この世界が何事もパーフェクトにいかないのは、自分と相手にとって嫌なこと⇒巡り巡って周りにとっていいこと。 自分と相手にとってとてもいいこと⇒巡り巡って周りにとって嫌なこと。 こういう形になっちゃっているからなんですよね。

 今を生きる人々が、仕事を辞めて自分の好きなことをしたいと思うのは、自分に迷惑をかける対価としてお金をもらってきたからです。自分達が自分達のために使う時間を、お金と引き換えに売ってきたからです。迷惑が迷惑であることに変わりはないんですよね。金じゃあ全然自分の心が満たされないよ。そりゃ、生きていくには必要だけどさ・・・。というわけで、金で自分の迷惑感情をなんとかごまかしているのが今の社会なんです。

 だけど、結局金を貰って生き続けても、「自分が生まれた意味」なんていうのは、いつまでも見いだせないんですよね。金を払う側にとっての都合のいいことをやったというだけなので、それは自分の人生じゃなくて、お金の動きにしかすぎなかったんじゃないかということになるのです。金で人生を買われてしまったということですね。

 それを考えると、「迷惑をかけない」ということは、どうやったら達成できるのか。それは、自分にとっても、相手にとっても、周りにとっても、win-winな関係。取引関係を成立させることです。自分がこれやる代わりに、あなたはそれをして、という感じですね。これが迷惑をかけていない状態なのです。お互いがそのことに心から納得していることです。

 あなたは人に迷惑をかけていない、というのは間違いだと思います。迷惑をかけていないと思えるのは、なんとなく見過ごされてきたか、迷惑をかけているんだけど、かけていないと言うのが常識になっているか、そもそも相手が迷惑であると気が付いていないか・・・。そういったことで、あたかも迷惑をかけていない人間がいるかのように見えている。それだけだと思うのです。


そうですね、だからこういいたいかもしれない。

「人に迷惑をかけるな」といって、迷惑をかけるな~!なんてね。



 






 





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