見出し画像

劣等感の反対は優越感 そして 優越感の反対は劣等感 ではありません

結論

 この二つの感情。対照的にとらえられていますが、私に言わせれば、どちらも一緒です。

人は自分だけでは自分の価値がわからない

 人は自分で自分の価値を見積もることが出来ません。だから、分かりやすい指標を胸の中に持っているのです。持っていなければ、そういうものをすぐに求め始めます。自分の価値を図るための自分だけの物差しです。

 例えば、難関大学に合格する。司法試験に合格する。弁護士になる。他にも、医者になるとか。
 これって他の人にもある指標なんじゃないの?って思いますが、そうではありません。すごくわかりにくいとは思いますが、これは、自分の中に物差しを持っていたら、他の人も同じ物差しを持っていた、というだけの話なのです。ここがわかりにくいとは思います。共通の物差しなら、皆に通じているはずです。

(5月10日追記)
 なぜなら、学歴が低い人に対して笑ってくる人がいるとしましょう。そしたら、あなたの価値観を押し付けないでください。っていうわけですね。確かに、社会的に広く見られる、多くの人の価値観だと考えることもできます。しかし、社会的に広く見られるその最小単位はやっぱり個人なのです。個人がそう思い始める。そして、それと同じ人が結果として多かった。というだけなのです。社会的に広く見られる前にみんなで寄り合いを開き、学歴が高い人が偉いということにしましょう!と事前に話し合ったわけではありません。

自分に自信がない人間ほど他者の物差しを持ってくる

 ありふれた指標があります。多数決です。多くの人がそう言ってればそれが正しいと考えることです。ところが、正しさは人の多さで決まるのではありません。多くの人が言っているから正しい、と言っているその人自身、まさに自分の考えがないということを物語っています。

 これが間違いだということがよくわかる歴史的な事件は、コペルニクスの地動説でしょう。

 で、難関大学に合格するとか、司法試験に合格する、そういったことで優越感を感じるとすれば、結局それも他者の物差しで自分をはかっていることと大差ありません。 

 でも、一定の根拠があるからやっかいなのです。うまい嘘をつくためには、事実を織り交ぜることが大切なように、難関大学は誰もが合格できるわけではありませんし、司法試験だってそうです。医者だってみんながみんな頑張ってなれるわけではありません。

 そういうところから、自分は他人よりも優れているのだ・・・と感じるのは、よくあることです。もちろん、あなたたちは他の人たちよりも優秀なのかもしれません。でも、それは他のことでその人たちと競争したことがないだけなのかもしれません。

 いずれにせよ、自分が他者より優れている、という事実は、私たちが優越感や劣等感を感じるかどうかとは無関係です。別に相手よりも自分が優れているからと言って優越感を感じなきゃいいだけの話で、逆に自分が劣っていても劣等感を感じなきゃいいだけの話です。

 そもそも、自分が相手よりも優れているのにも関わらず、劣等感を感じることもあるのです。逆もしかりで、自分が相手よりも劣っているのにもかかわらず、優越感を感じることもあるのです。

正体

 正体は、自分の中に、他者と比べる基準をセットしていることです。基準は一つとは限りませんが、例えば、結婚をしている人が偉い。という基準をセットしている人は、自分が結婚していなくて、誰かが結婚していると、劣等感を感じます。一方で、自分が結婚していて、相手が結婚していないと、優越感を感じます。劣等感は優越感の裏返しなのではなく、全く同じものから生み出されるのです。

 絵がうまい人が偉い、と感じている人は、最近多いように思います。よくレビューとかを読んでいると、絵のおかしいところを突っつくコメントが目立ちます。こういうことをしてくる人たちは、「絵がうまい人が偉い」、とどこかで感じている人のグループだな、って思っています。そして、絵のおかしいところを指摘しようとするのも、微妙な優越感を感じたいからだ、と私は分析しています。

 優越感や劣等感が特に強い人は、比べる基準が、より抽象的な人が多いかもしれません。というのは、「能力の高い人」と「能力の低い人」とか、本当に曖昧な基準で人の価値をはかっていると、何かがうまい人には何だって劣等感を感じます。

 やばいのは「プログラマ」です。「プログラムは難しい」「プログラマは偉い」といった基準を持っている人は多く、マウントを取ってくる人もすごい居ます。

 こうしたSNS記事でありそうなのが、「日本語力」マウントだったりします。

 コンプレックス(劣等感)の強い人は出世しやすいワケ

 コンプレックスが強い人は出世しやすいと言われています。実際そうなのでしょう。一人一人に出会って確かめたわけじゃないのですが、何人かをサンプリングする、あるいは、深く精神分析を行えば、やっぱりそうなのだということがわかります。

 漫画家も、売れっ子漫画家は優越感に浸っている人は多いですね。売れる漫画家は偉い、という価値観を持っているというのがよくわかります。劣等感を感じないまま、優越感だけを感じることが出来る人もいるということです。

ほとんどの人の共通の夢は、ガキ大将かもしれない

 どの道で大成しても、結局人が目指しているところってガキ大将なんじゃないかなって思っています。その途中に、漫画家とか、プログラマとか、医者とか、司法試験とか、難関大学とかがあるんじゃないかなって。みんなガキ大将になりたいんじゃないかなって。大成しても、そこまでいかないうちに踏みとどまれる人もいれば、ガキ大将化する人に分かれると思います。
 そうなれるだけでもすごいと思う人は多いでしょうが、ガキ大将化する人はやっぱり多いように思います。ガキ大将は、この世で一番優越感に包まれている人間だなって思います。

 ひどいタイプ
 
ひどいのは、似非(えせ)正義漢です。自分で悪者を作って、非難して、自分で悦に浸っているタイプです。こういう人間も劣等感が強い人間の一類型です。どこがひどいかと言うと、自分が優越感を感じるために、相手が悪者であってほしいという願望が見て取れるからです。これはもはや、相手への侵害です。

 劣等感を感じていたとしても、まともであれば、相手の領域を侵すことはありません。

 また、自分が既に優越感を感じられる立場であるのをいいことに、「後だし基準」を持ってくる人間もいます。自分は既にこの点で相手より勝っている、じゃあ、この点を持っている人間が偉いんだ、とかね。

 自分が上に立てる人間の居るところにだけ行くとか、そういう選択をする人間もいます。例え周りの人間が自分よりレベルが下だとしても、それがために自分の能力が向上し、確たる自信が得られるわけではありません。

 (ただ、鶏頭牛後と言う言葉もあります。自分が頑張れる環境がそういう場所なら、努力を続ければ却っていい結果になることがよくあります。なまじ難関校に合格して、すごい人たちの中に自分を置くよりも、それより低い学校でトップになった人の方が、将来活躍する、ということもあるのです。環境などにより、感情のコントロールがうまくいくことがあるのです。)

 結局相対性の中で輝く感情

 優越感も劣等感も、自分の中にある「これがいいもの」という基準があるがために生まれる感情です。で、人っていうのは結局、自分の価値をどういう風に思いたいかっていうと、その「いいもの」にあてはまっているって感じたいんですよね。誰もこのんで、自分が「いいもの」にあてはまっていない、と積極的に考えようとはしません。

 となると、自分のその価値観を揺るがす考えが出てきたりとか、その価値観の中で自分よりもすごい存在を見てしまうと、やっぱり劣等感を覚えてしまうものなのです。

 普通は優越感を感じられるように行動しようとしますが、劣等感から逃れるためには、優越感を感じることからも逃れる必要があり、とどのつまり、「これがいいものなんだ」という価値観自体を無くす必要があります。

 星の王子様の「自惚れ男」でもお話しましたけれども、人は、そうした「他者」が定めた「これがいいもの」という価値観に、自分自身が当てはまっていると感じることによって、自惚れ始めます。実は、劣等感を感じることも、自惚れの一種なのです。

自分の価値に自信がない人間ほど他と比べたがる(具体例)

 私の友人に、人間関係に悩んでいる人がいます。その人は結婚はしているのですが、結婚自体に興味はなく、相手とはほぼ形式的に同居しているような形。子供を産む気もないのです。

 しかし、周囲はそうは見てくれません。あまりにも結婚に興味がないためか、結婚していること自体に気が付いていない人もいるようです。そのため、子供がいると楽しいとか、結婚をした方がいい、子供を持っていたほうが幸せという価値観をさりげなく出されてしまうのです。

 それがその人にとっては、結婚マウントや子供マウントに取れるのだそうです。私はその現場を見ていないので、何とも言えません。単に話の流れがそうだった、ということもありえます。しかし、世の中には確かに、結婚していたほうが偉い。子供を産んだ方が偉い、と考えている人がいるのも事実です。

 私の過去記事の「袁術」みたいな考えですね。「結婚している」のと、「子供を持っている」のが「玉璽」になっているわけです。

 確かに今はいろいろな考えの人がいます。昔からいたとは思うのですが、「家」の影響が強く、「結婚」は内面の思いとは裏腹にほとんど強制されていたことが実体なのではないか・・・と思います。NHKの朝ドラでも、主人公は結婚に全くと言っていいほど魅力を感じていなかった、ということですし。

 で、もし結婚していることや、子供を持っていることで優越感を感じているならば、その人の心にはやっぱり、「そういう人が偉いんだ」という基準がしっかりと据えられているのです。

 仕事をしてる人が偉い という価値観は、かなり根強いです。だからこそ、無職の人は、「無職の劣等感」を強く感じています。仕事をする人が偉いという考え方の人からすれば、こうした劣等感や、肩身の狭い思いさえ感じない人間は異常者扱いです。

 コンプレックスの強い人間ほど、出世する。それは、「地位の高い人間が偉い」、まぁ、これだけではありませんが、何らかの「基準」が胸にびっしりと刻み込まれていて、自分が常にその事によって「不快感」を感じ続けているのです。情けなさ。恥ずかしさ。そういった不快感を感じ続けています。

 権力者は、「死」をちらつかせることによって人間をコントロールします。首を刎ねる。処刑する。刑罰を科す。晒す。そういった不快感を人に与えることによって、その「不快」を避けさせるように、人をコントロールしてきます。そしてそれはとてもうまくハマります。死刑になりたくないので、人は犯罪を犯さなくなったり、命令に違反したりすることがなくなるわけですね。「死」から逃れようとする人間の馬鹿力はすごいものがあります。これがうまく利用されているのです。

 これと同様に、「劣等感」というのは、権力者の存在抜きにして、(あるいは権力者があらかじめ植え付けておいた価値観などによって、)自分で勝手に、その基準に見合っていない自分を感じ、不快感を感じ続けているのです。ですから、その不快感から逃れるために、自分をその基準に見合った存在にする動機付けが行われやすくなるのです。

 これが、コンプレックスの強い人ほど出世しやすい理由です。

 出世できていないことにコンプレックスもくそも感じていない人間は、なかなかそんな気持ちになれないのです。

 感じているのに、勇気が出ずに何もできないとか、動けない、というタイプの人間もいるかもしれませんね。実際にそういう人もいて、ずるずるとそのまま行ってしまった人もいます。

 どうして彼らは頑張ることが出来なかったのでしょうか。それはまた、優越感や劣等感とは別の話になるのです。

 最後に

 優越感や劣等感は、結局自分の気の持ちようです。そして、相手が劣等感を感じているから自分がその人よりも優れているとは限らず、相手が優越感を感じているから自分が劣っているとも限りません。相手に劣等感を感じているから自分が劣っていて、相手が優れているとも限らず、相手に優越感を感じているから、自分が優れていて、相手が劣っているとも限りません。ただ、お互いが自分の物差しでそう思い合っているだけなのです。ただ、それだけだったのです。

 相手が自分に劣等感を感じている。だから、自分はすごいのだ。ということ自体、それ自体もまた、自分の物差しなのです。本当は相手の方がすごいのに、相手がそれに気が付いていないだけかもしれません。でも、人は自分の方がすごいと思いたがるもの。

 私が出会った人の中では、何としても相手を悪いように持って行こうという人もいるものでした。劣等感を感じるのは不快なので、人は不快から逃れようとするものなのです。だから、例え嘘でもいいから、自分が優れていると感じていたいのです。

 相手は自分と比べ、とても恵まれない環境で生きてきた人であるのかもしれません。表面的な1ページで、その人の全てを分かった気になるのは、「ボア大蛇の中身が見えない人」(星の王子様参照)であることを、自ら証明したようなものなのです。(こうした人間相互の優劣感情は、人間の動物的本能に由来していると感じます。完全にぬぐい去るのは不可能だと考えます。)

 

 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?