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新年の心境

新年のご挨拶

あけましておめでとうございます。
本年も皆様にとって健やかで平和な一年となりますように。


気が付いたら、2024年になってました。

年末は、心身ともに自分のペースで、というのが大事というのが、
私の考え。

というのも、ここ数年、
師走の12月に働きすぎると、
年明けの2月ごろ病気で倒れて酷いことになるパターンが続いてます。
どうも2月がよくない月みたいで。
で、今シーズンは、冬(特に12~3月)をとにかくうまく乗り越えるのが、第一目標になっています。

12月中はとにかく無理をせず、養生をこころがけつつ、
内面の断捨離をすすめたり、
2024年の計画や目標をかんがえていました。

旧年中に手放したもの


手放したもののなかで、
自分としては大きいとおもっているものの一つ。

それは、小説講座を退会したことです。

期間としては、一年ちょっとくらいやりました。
12月に、自然に、もういいかなと思えました。

なぜか、ふっと、そう思えたんです。

刺激的で、ただ継続的に参加するだけでも良かったんです。
書いている人たちの輪に参加し続けることで、
意識は、そちらに繋がっていられたから。
忙しい日々の中でも、小説を書くということを、考えられたから。

ただ、12月になって、ふと、
継続しても、しなくても、自分には同じに感じられたんです。
自分なりに何か見えた気がしたので、
もう学ぶものも学びつくしたかな、と。

振り返れば、この一年半、
自分にとっての「小説を書く」「物語を書く」という行為と、
文学や小説、物語というもののかかわり方、
そして自分自身の性格やタイプを、
じーっと見つめていました。

「自分は本当は何がしたいの?」と、
いつも、心のどこかで問いかけていました。

小説講座をやってみて、分かったこと。

小説講座で、次の課題に設定したものは、
設定した瞬間から気後れが生じて、停滞していき、
どうでもいい空想やアイディアで書こうとするもののほうが、
書けたりするということにも気づきました。

誰に読ませるつもりもない、
ただ単に楽しみの思い付きで書いているお話は、
気楽なので書けたりするし、とてもワクワクする。

だけど、小説講座でこれを書きますと計画して、
いざ書こうとすると、
停滞する。
どんどん書けなくなる。

それはなぜか。

先生がまず怖い。
生徒によるけれども、
講評が、結構辛辣なときも多かった。

他の人が辛辣に批評されているのを見て、たぶん、
完璧にしてから提出しないと、という気持ちが生じていた。

講座をうけて学習していくと、
これはウケる、これはウケないという定石や、
こういう設定だと書きやすいし、粗も出にくいというアドバイスもあって、
それを加味した設定をまず練らないといけない。

そういう知識はすごく役に立つし、ヒントになった。

ただ、学習すればするほど、
「こう書いたら、こう突っ込まれるんだろうな」というのもわかってきて、
身構える発想ばかりができてしまって、
どんどん重くなって、気負いが増した。

大学のころの創作ゼミの先生も、
創作コースの中では一番厳しいで有名な先生だった。

だけど、今となれば、厳しさの質が違った気がする。

それは、「小説は、人間を書くものだ」という信念があって、
その基準でみていたので、叱るポイントが違っていた気がする。

人間(性)をもてあそぶ、馬鹿にするような、
中身のない作品の場合、
厳しく、それを注意されていた記憶がある。


今回の先生の辛辣さのポイントは、そこではなくて、
基本的な文章作法、日本語力、テクニック、表現技術の問題。
作者が技術として未熟なのに、自分のレベルに気づいていない場合。
簡単に文学賞を獲りたいという山っ気がにじみ出ている生徒の場合。
(どうやったら、最短で獲れますか?とか質問できる人もいた。私ならそんな質問できないな。質問する前から、答えはわかる気がするから)。

いろんなパターンがあったので、それも勉強にはなった。

今振り返ると、
今回の先生の場合、その態度は、編集者の目に近かったんじゃないだろうか。
編集者と、現役の作家の目を、足して二で割った感じかもしれない。

こうやって書くと、
どの講座に参加していたかバレてしまいそうだから、
ほどほどにしておこう。

単純に、
私が怖気づいて書けなかったというのが、一番の原因だとも思う。


もう一つのきっかけ:ホロスコープ


ホロスコープにはまっていることは、前回も書きましたが、
ホロスコープに興味をもったのも、
「作家の星」というのがあるのかどうか、という興味からでした。

鏡リュージさんが、十二星座ごとの本を出していて、
私の星座の本には、
山本周五郎が載っています。

しかも、誕生日がまるきり同じで、
とっても嬉しくて、自分のなかの宝物のように思っています。
(この話にもまたオチがあるのですが、それはまた別の機会に)。

で、同じような興味でホロスコープを分析している人も沢山いて、
文学者の星座、ホロスコープ、
小説家の星座、ホロスコープなんかもネットでは沢山公開されているので、
一時期、それを調べていました。

調べる中で、
作家は、水星や双子座が、強い人というのが多いらしいのですが、
もう一つ、海王星なんかも影響しているというのは、
初心者ながらわかってきました。

実際、偉大な作家のホロスコープって、
本当すごいアスペクトだったりするんです。……興味深い。


で、ひるがえって、自分のアスペクトをみると、どうだろうって。
そこでも、納得せざるをえないポイントがあったんです。

それは、私のホロスコープだと、
研究者、学者、教育者のサインやハウスにすごく星があるという点。

芸術にも向いてるみたいだけど、
どうも、どちらかというと、研究肌っぽい。

こんな微妙な違いが、星にもでてるんだなって、納得せざるを得なかった。

ある意味、あまり努力せずに自然に落ち着いている場所、社会的な立場、
成功している場所や立場というのは、
星の導きや流れに沿ってる可能性が高いからです。

死ぬほど?本心から?
教育とか、自分には向いてないって全力で思っていたし、
まだ思っているけど、
どうやら星の適正的には、
かなり教育者に向いている星で生まれてしまった。

だからこそ、自然にそこに落ち着いてしまっている。
しかも、文学を学んでも何にもならないし、
食べていくためにはしかたなく、と、
保険として教育系資格を取っていた結果、教員になっている。

でも、単純に、純粋な天職の教員というより、
アナライズや知的探究の面でも星が入ってるので、
研究もやっている(10ハウスに蟹座の水星)。

たぶん、小学校や中学校、高校の先生には、
本当に天職としての教育者、
天職で教員を生きている人が結構いると思う。
尊敬するし、そういう人に出会うたびに、
そんな生き方の素晴らしさをいつも感じる。

でも、それだけになりきれない自分もいる。
で、いつも、後ろめたさを感じていた。
だけど、それも、教育者だけではない星の配置として、ちゃんと出ていた。

そんなこんなで、
自分のネイタルチャートを見ていたら、
40~50%くらい、
いまの自分の状況に、納得できたんです。

偉大な作家のホロスコープみていたら、
その才能の出現に納得せざるを得ないから、
逆に、自分のホロスコープがそこまで作家寄りではないのも、
納得だし、
今こうなってるのも、納得……みたいな。

興味がある方は、村上春樹とか、
好きな作家さんのホロスコープ分析を調べてみると、おもしろいし、
きっと納得しますよ。

もう一つの考え方として、
星の配置として良い作家が大量に出る年代があったらしいので、
大きな天体事象として、
ホロスコープ的な時代背景もあるのかもしれないとも思えた。

新たな希望と展望


かといって、
物語や、何かを書くということを、あきらめたわけではないんです。

そうやって、自分を見つめて、
何かを手放したことで、
また何か見えてきたものもあるんです。

私にとっては、
何かを調べて、
ある人の人生や、人生のテーマ、運命や社会との関わりを知り、
そこから何かメッセージ、意味、意義を抽出することや、
それを言語化したり文章化することは、
小説を創作するのと同じくらいの物語性がある、ということ。

そこに何かある気がするんです。

自分のネイタルの星の配置を最大限活かして、
自分に合った形で、
物語を創っていきたい。
今はそんな風に考えています。

実際に、
いまいくつか気になるテーマや素材が見つかっているので、
今年はコツコツ調べて、計画的にまとめていこうと思っています。

「楽しみながら、自分に合った形で表現をしていこう。」
それが、今年の私のテーマです。

そんなこんなで、
今年もぽつぽつと記事を書いていきます。

どうぞ宜しくお願いします。


















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