原作アカギの鷲巣編をさっき読み終えた感想

アカギの鷲巣編というのは、色々な言われようをしている問題作ですが
曰く
「引き伸ばしだ」
「一勝負に何年かけてんだ」
「アカギが死んだ」
「鷲巣が死んだ」
「鷲巣が地獄で暴れている」
「鷲巣が閻魔をはっ倒した」
「鷲巣が生き返った」
「配牌に何か月かけてんだ」
「鷲巣がまた死んだ」
「引き伸ばしだ」

TVアニメ版で見事に演出された鷲巣編(の途中)まで見ていた私も、そういった世間様の評価に怖気づいて原作には手を付けてませんでした(実際は鷲巣編がアニメ化された部分から、鷲巣編の決着までに23巻もあって買う気にならなかったから)。
まあでも、鷲巣編のラスト読みたいから、一日に単行本一冊を買って寝物語として読んできゃ良いか、と読み始めたのです。

結論としてはすごく面白かったです。
これはまあ、リアルタイムで読んでいた人はご愁傷さまとしか言えませんが、私が読んでいるタイムスパンでは次々と異様展開が起こり、まったく飽きずに読めました。

まず、鷲巣編開始直後と終盤を読み比べると、福本先生の漫画力のパワーアップがすごい。
ほとんど別人。演出のニュアンス、表情の入れ方、迫力の出し方、段違いの成長です(20年、間がありますので)

そして闘牌の段取りも良い。
麻雀漫画はアカギ以外読んだことがありませんが、ジャンル物特有のタコツボ化・袋小路は容易に想像できます。「もうこの殺し方ある~」と嘆く推理作家と同じ様に、麻雀漫画家もすくない手札でいかに勝たせるか、毎回もんどり打っているのでしょう。
そこで福本先生は考えた、まず最強の無頼アカギ、そして変幻自在な透明牌、さらに運がCPU戦な鷲巣、さらに吸血要素
この四者を合体させることによる、麻雀アルマゲドンを作り上げました。
そしてその最終戦争を絞りに絞って、一滴残さず絞りきる!20年かけてすべての要素を使い尽くしました。
凄まじい執念です。
まさに劇中のアカギのように「いつでも(連載を)上がれるのに、絶対に上がらない」という鬼漫画
「行けるとこまでとことん行く」読者にもキャラにも、己にも厳しい鬼漫画

20年という歳月がすごい
この漫画、一晩の戦いに一人の作家の二十年が入っています
その変遷変容変貌が全て時間順に並んでいます。
終盤にかけて福本先生が、完全にその時の気分を紛れ込ませるようになります。アカギが「不動」でなければならないため、その反動で鷲巣はどんどん変化します。言葉遣いも若返り、生気溢れ、自在に羽ばたく。
作者がそれを楽しんでいるのを見るのもまた、楽しいものです。
そういうディティールも良いのですが、やはり一人の作家が二十年考え続けたことを半日程度で読み切れてしまう。福本先生の考えた「アカギ」「鷲巣」「博打」その精髄を手軽に味わえるのは、読者の特権です。

全員麻雀
そのように20年も同じ作品をやってると作家も、すべての役者が愛おしくなります。
結果最後は全員参加の吸血麻雀。白服も黒服も、仰木も安岡も、なんか全員楽しそう。

結末が良い
「鷲巣が死んで、勝負はアカギの勝ちだが、鷲巣は生き返った」(ネタバレです気をつけてください)
という落ちも良い。これに不服という方は様々なバリエーションを考えてみると良いです
「アカギが勝って、大八車に札束を乗せて帰るハッピーエンド」
「鷲巣が勝って土に埋まってるアカギのバッドエンド」
どうですか?比べてみると一目瞭然、本作のエンディングへの着地の素晴らしさは自明ですよね?なんですか大八車って。


そういうわけで鷲巣編は、完結した今こそおすすめですので、生きることに飽いたらぜひ読んでみましょう。
ちなみにアカギとその辺の福本作品のスピンオフは、出版社から権利を買い戻して自費出版という形で電書は流通しているのでお安いですよ。

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