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第79 期名人戦第1局大盤解説会レポ その4

渡辺名人の長考

午後6時30分。対局者の夕食休憩が明けたのと同時に、大盤解説会も再開した。

解説は和服姿の中村九段、聞き手は中村九段の弟子である香川愛生女流四段。棋士会の会長を務め、様々なイベントを企画運営している中村九段と、コスプレイヤーやユーチューバーとしての知名度も高く、イベントへの出演が多い香川女流。師弟のざっくりとした掛け合いに、会場のあちこちから笑いが起きた。

夕食休憩が明けて10分経っても、20分経っても、渡辺名人は次の手を指さない。時折頭に手をやり、盤面を見つめて考えている。

「指さないねえ」中村九段が何度も対局者が映し出されているモニターをのぞき込む。

渡辺名人が封じ手予想の第一候補だった手を指した時、休憩が明けて40分が経っていた。

依然として形勢は渡辺名人が勝勢に近い。ABEMAの生中継の評価値は渡辺名人に大きく傾いている。将棋連盟のモバイル中継にも、渡辺名人が押し切れそうとの控室のコメントが載っている。

この時点では、私は、斎藤八段を応援しつつも、正直なところ逆転には至らないだろうと思っていた。七番勝負全体のことを考えると、斎藤八段としては第1局で簡単に負けるわけにはいかない。粘りを見せて渡辺名人をひやりとさせるところまでは持っていきたいだろう。そんなことを考えていた。

しかし、渡辺名人の休憩明けの長考と、その後も小刻みに時間を使って指す姿に、渡辺名人の迷いを感じ、これまでとは違う何かが顔をのぞかせているような気もしていた。

「にゃんぱす〜」と斎藤八段の粘り

鈴木大介九段が解説者、安食女流が聞き手として登壇した。

鈴木九段は、ABEMAトーナメントのチームごとに作られたツイッターアカウントでの初投稿で「にゃんぱす〜」と某アニメのキャラクターが使う挨拶をつぶやき、将棋ファンのツイッターのタイムラインに衝撃を与えた。

そして、この日の鈴木九段の第一声も、左手を挙げて大きな声で「にゃんぱす〜」だった。ファンの期待を裏切らない鈴木九段に、会場は爆笑と拍手喝采に包まれた。その横で、安食女流が遠慮がちに「にゃ、にゃんぱす……」と小さく手を挙げていたのが、なんともキュートだった。

渡辺名人の玉は穴熊の中で金銀に守られており、鉄壁である。持ち駒は少ないが、細い攻めをつなげるのは渡辺名人が得意とするところである。

片や、斎藤八段の玉は薄い。そして先に残り時間が10分を切り、秒読みが始まった。

すると、斎藤八段は持ち駒の金銀を次々と自陣に埋め、あきらめずに徹底的に粘る姿勢を示した。渡辺名人は竜と馬を作ったが、なかなか決め手を放てない。気づくと、渡辺名人の玉の周辺から金銀が消え、鉄壁だったはずの穴熊が崩れていた。

斎藤八段の粘りで大熱戦が続く中、大盤解説は野月八段と安食女流のペアに戻った。

最終盤での大逆転

150手を超え、棋譜用紙が2枚目に入ってから間もなく、ついにABEMAの評価値が斎藤八段有利に逆転した。参加者からどよめきが起きた。

野月八段は「まずは落ち着きましょう」「将棋の怖いところは、形勢がひっくり返っても勝つとは限らないところです」と冷静な声で言った。

斎藤八段は粘って受ける手と攻める手を織り交ぜ、徐々に有利を拡大していった。残り時間も両者2分で並んだ。モニターを見ると、扇子を口に当て、目線を上に向けたり頭に手をやったりと動きが多い渡辺名人に対し、斎藤八段は落ち着いた様子で静かに考えており、対照的な両者の表情が映し出されていた。

そして、両対局者はほぼ同時に1分将棋に入った。

野月八段は「これは結構な逆転ですよ。あきらめないって大事ですね」と驚きながらも、「将棋はね、難しいんですよ。良くなったと思っても、斎藤さんには試練が続くんです。勝ち切るまでは試練が続くんです」と付け加えた。勝つことの難しさ、将棋の難しさを噛み締めるプロの勝負師の言葉に、私は斎藤八段の肩にかかっている気が遠くなるような重圧とプレッシャーを思い、胸が熱くなった。

私にできることは、斎藤八段が最後まで自分の力を出し切ることができるように祈ることだけだった。

終局

午後10時1分。

斎藤八段が179手目を指したのを見て、渡辺名人が姿勢を正し、着物の襟を整えた。静まりかえっていた大盤解説会場がどよめく中、渡辺名人が投了し、斎藤八段が大逆転勝利を収めた。会場全体から拍手が鳴り響いた。
 
少しの間を置いて、両対局者へのインタビューが始まった。モニターの音量が小さく、野月八段がスピーカーのそばに自分のマイクを置き、少しでも大きく音声が聞こえるようにしようとした配慮が素晴らしいと思いながら、本譜を振り返る斎藤八段と渡辺名人のコメントを聞いていた。

野月八段は「両者の気持ちがこもった将棋でしたね」「渡辺名人、斎藤八段、どちらを応援している方もいらっしゃると思いますが、熱戦が続くと思いますので、決着がつくまで楽しんでいただきたいと思います」と締め、「最後までありがとうございました」と安食女流と並んで深々と一礼した。参加者は、今日一番の大きな拍手で応えた。

こちらこそ、素晴らしい解説と聞き手をありがとうございます。長時間、立ったままでの解説、おつかれさまでした。私は精一杯の感謝の思いを込めて手を叩いた。

今日、現地で大盤解説を聞けて本当に良かったねと、友人たちと言葉を交わし、椿山荘を後にした。

おわりに

整った顔立ちのスマートな「西の王子」斎藤八段が、勝負を諦めずに地べたに這いつくばり、泥水をすすってなりふり構わず粘り、渡辺名人を悩ませて持ち時間を削り、ついに両者1分将棋まで追い込む。形勢が逆転しても険しい道が続く中、最後まで集中力を切らすことなく勝ち切った。その姿に感動した。私も将棋を指すことを頑張ろうと思った。

大盤解説会場のモニターに映っていた斎藤八段は、時折激しく扇子で自分をあおいではいたが、最後までポーカーフェイスを崩さず、姿勢を乱すこともなかった。

しかし、帰途、終局後の斎藤八段の手の甲や指の付け根が真っ赤になっていたと知り、それだけ強い力で座布団に拳を突き立て、渡辺名人に必死に喰らいついていたのだと、再び心を揺り動かされた。

私は、現地大盤解説会は、対局者、解説、聞き手、参加者、スタッフによって作り上げられる、その日その時だけの特別な空間だと思っている。

野月浩貴八段、安食総子女流初段、中村修九段、髙見泰地七段、香川愛生女流四段、鈴木大介九段。大盤解説会に登壇した皆さんが、それぞれのスタイルで楽しそうに解説をしていたのが印象的だった。インターネットの生中継とは違い、目の前の参加者の反応が解説と聞き手の先生方にダイレクトに伝わることも、大盤解説会が盛り上がる重要な要素になっているのではないかと感じた。

また、ツイッターではたびたびお見かけしていて、初めて実際に会って話ができた方もいた。久しぶりの大型イベントで、多くの将棋ファンの友人と再会できた。大盤解説会は、将棋ファン同士が直接つながることができる貴重な場でもあるのだ。

コロナ禍の中、感染防止対策を施し、名人戦第1局の大盤解説会を開催してくれたすべての関係者の方々と、両対局者に心から感謝している。

名人戦七番勝負は始まったばかりだ。長い番勝負を楽しみたいと思う。

一日も早くコロナ禍が終息し、棋士や女流棋士と将棋ファンが安心して交流できる環境が復活することを祈っている。

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#将棋 #名人戦 #大盤解説会 #渡辺明名人 #斎藤慎太郎八段 #椿山荘


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