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第6期叡王戦見届け人体験記 斎藤慎太郎八段―三枚堂達也七段戦

※noteへの投稿及び写真掲載については、日本将棋連盟の許可を得ています
※これは私個人の体験記であり、他の見届け人とは異なる場合があります

叡王戦見届け人募集の告知

2021年4月30日、第6期叡王戦本戦トーナメント1回戦の見届け人募集の告知が、日本将棋連盟のHPに掲載された。

https://www.shogi.or.jp/news/2021/04/6_32.html

豪華な顔ぶれの中に、A級1期目で渡辺明名人に挑戦している斎藤慎太郎八段と、竜王戦3組ランキング戦で優勝し決勝トーナメント進出を決め、告知当日には豊島将之竜王を破り9連勝中と絶好調の三枚堂達也七段の対局があった。1回戦屈指の好カードに、私はたまらなく心惹かれた。

私は1993年度生まれの棋士と女流棋士、通称「93年組」を箱推ししている。
王座経験者の西の王子、詰将棋をこよなく愛する斎藤慎太郎八段。
叡王経験者で、順位戦C級1組からB級2組への2期連続昇級を決めた髙見泰地七段。
朝日杯オープン戦優勝経験者で、2020年度の勝率第4位の実力者、八代弥七段。
上州YAMADAチャレンジ杯優勝経験者の桂の貴公子、三枚堂達也七段。
新人王表彰式のスピーチで、師匠の木村一基九段を涙させた高野智史五段。
加古川青流戦優勝、新人王獲得の実績を持ち、各棋戦で好成績を残している池永天志五段。
棋士と自動運転AI研究者の二足のわらじを履く谷合廣紀四段。
女流王将経験者で、YouTuberやコスプレイヤーなど将棋界の枠を飛び越えて活躍する多才な香川愛生女流四段。
女流タイトル戦挑戦者の常連で、現在もマイナビ女子オープンで西山朋佳女王に挑戦中の伊藤沙恵女流三段。
女流王位経験者で、ABEMAトーナメントの楽しくテンポの良い聞き手でもおなじみの渡部愛女流三段。

実力と人気を兼ね備え、個性豊かで普及にも熱心な魅力的な先生ばかりなのだ。

このカードを見届けることができるなら、私にとっては30万円を支払う価値が十分にある。対局観戦以外の特典も素晴らしい。
私は、たぶん当たらないだろうなと思いつつ、エントリーしないことには何も始まらないと参加を申し込んだ。

見届け人に当選

1週間後。
スマートフォンの振動を感じて画面を見ると、見慣れない電話番号が表示されていた。
「はい、もしもし」
「私、日本将棋連盟の○○と申します」

え?

「斎藤慎太郎八段と三枚堂達也七段の対局の見届け人に当選しましたので、ご連絡しました」
「え!本当ですか!」
思わず声がひっくり返った。心臓がドキドキして顔が熱くなり、手が震え、連絡事項をメモするのがやっとだった。
まさか当たるとは思っていなかったけれど、万が一にもこの幸運を逃すわけにはいかない。
私は即日30万円をカード決済し、普段以上に念を入れて新型コロナ感染予防対策をし、体調を整え、既に翌週に迫っているその日を待った。

アテンドの棋士と女流棋士は、当日のお楽しみということだった。

将棋会館からシャトーアメーバへ

2021年5月12日。
幸いなことに電車のダイヤの乱れもなく、私は無事にJR千駄ヶ谷駅にたどり着いた。本日最大のミッションクリア。あとは流れに身を任せるしかない。

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指定された時間の5分前に将棋会館に着くと、玄関前に男性と女性が立っていた。
「あの、今日の叡王戦で見届け人を務めさせていただく者です」
「お待ちしておりました。本日はどうぞよろしくお願いいたします」
連盟担当者のお二人の丁寧な物腰と温かい笑顔に、私はほっとして、緊張が少しだけ解けた。

「それでは、どうぞお乗りください」
気づけば既にタクシーが待っていた。ひえー、最初からなんというVIP待遇……
担当者に促されるまま、私はタクシーの上座に乗り込み、対局場であるシャトーアメーバに向かった。

数分後、ABEMAトーナメントのチーム紹介動画で何度も見た建物の前に到着。
受付でゲスト専用パスをもらい、エレベーターで対局室のある階に移動する。
白い壁に並ぶスタジオや控室のドアの前を通り過ぎ、忙しそうに準備を進めるスタッフの方々にご挨拶しつつ、一番奥の広々としたロビーに向かう。

ロビーで真っ先に目に飛び込んできたのは、ABEMAウォーターが入った冷蔵庫だった。

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やばい。これ、ABEMAで見たことあるやつだ。
私がまじまじと見ていると、連盟担当者が「せっかくですので記念にどうぞ」と、緑色のABEMAくんペットボトルを取り出して渡してくれた。

対局室で、入室から対局開始後の退室までの段取りの説明を受ける。
誰もいない対局室は、妙にがらんとして見えた。

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対局開始時の見届け

私は対局開始15分前に対局室に入室し、記録係の隣に座った。
直後に斎藤先生が、続いて三枚堂先生が入室し、記録係の隣に斎藤先生が、私の隣に三枚堂先生が座った。
対局室の空気が一変した。

隣に座った三枚堂先生から直に伝わってくる緊張感で身動きできない。息をするのもはばかられる。私は静かに呼吸しながら、振り駒を待った。

ABEMA中継スタッフから「放送開始です」の声がかかり、記録係が白い布を広げて振り駒をした。
「と金が3枚です」
三枚堂先生の先手だ。

両対局者が席を移動して将棋盤の前に座り、扇子を畳の上に置き、腕時計を外し、対局の準備を始めた。斎藤先生のマスクケースは、最近話題になった鹿柄のものだ。

斎藤先生が駒箱を開け、お二人の長い指が優雅に動き、交互に駒を並べる。両者とも、色白の手が少し紅潮していて、手の甲の血管が浮き上がっている。
駒を並べ終わった後、斎藤先生は盤上と畳に落ちていた小さなごみを音を立てずに取り、そっとごみ箱に捨てた。繊細さを感じさせる仕草だった。

入室から決して目を合わせない二人。
時々目を閉じ、集中力を高める斎藤先生。
膝の上に置いた手や盤上を見つめる三枚堂先生。
それぞれに自分の世界に入り込んでいて、何者をも寄せつけないオーラを発していた。

手を伸ばせば触れることのできる距離にいるのに、ものすごく遠いところにいる人を眺めているような、不思議な感覚だった。
対局者の不可侵の領域を乱すようなことを絶対にしてはいけない。
私は背筋を伸ばし、できるだけ体を動かさないように細心の注意を払いながら、対局開始までの長い長い数分間、この場所からしか見えない景色を目に焼きつけていた。

「それでは、三枚堂先生の先手番でお願いします」
「お願いします」
深々と一礼する両対局者に合わせて、私も頭を下げた。
いい将棋になりますようにと、心の中で祈りながら。

斎藤先生が4手目を指したタイミングで、私は音を立てないように気をつけて退室した。
閉じたドアの前でふーっと大きく息を吐き出すと、全身から力が抜けるのを感じた。

アテンドの棋士と女流棋士

タクシーで将棋会館に戻り、3階の応接室へ。

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連盟担当者にドアを開けてもらって中に入ると、安食総子女流初段が応接セットのソファに座っていた。
「あー!こんにちは〜」
名人戦第1局の大盤解説会で聞き手を務めた安食女流は、私の顔を覚えていてくれた。
私は安食女流の柔らかい笑顔にほっとして、一気に緊張がほぐれた。

私が安食女流と連盟担当者とわいわい盛り上がっているところに、藤森哲也五段が入ってきた。
私が将棋沼に落ちるきっかけの一つになった、2017年7月11日の加古川青流戦、都成竜馬四段―藤井聡太四段戦での名解説。勝又清和六段の「都成くんの何が悪かったの?」の問いかけに「相手です」と答えたその人だ。
「はじめまして。藤森です。今日はよろしくお願いします」
「こちらこそ、よろしくお願いします。お会いできて本当に嬉しいです」

私にとってはこれ以上ない人選、最高の組み合わせだ。今日は間違いなく楽しい時間を過ごすことができると確信した。

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※写真撮影時のみマスクを外していただきました。以下同じ

ABEMAの生中継を映すモニターと盤駒が置かれたテーブルを挟んで、上座側に私が、下座側に藤森先生と安食女流が座った。

早速、安食女流に棋譜を読み上げてもらいながら、私が先手を、藤森先生が後手を持ち、一手ずつ並べていく。藤森先生が指し手の狙いや意味、変化を丁寧に解説してくれる。
「三枚堂さんの飛車は、あれ、なんでこんなところに来ちゃってるの?たぶんこういうことかな」「斎藤さんならね、ここはこうやると思いますよ」
藤森流実況解説が目の前で炸裂し、ばんばん次の一手を当てていく。指す将の修行中でもある私は、ひたすら楽しくて幸せだった。

藤森先生は、人気YouTubeチャンネル「将棋放浪記」の撮影裏話も気さくに話してくれて、私と安食女流は笑いが止まらない。ABEMAトーナメントの解説の話、藤井聡太王位・棋聖の▲4一銀の時の及川先生とのダブル解説の話。さすが藤森先生、ネタは尽きない。

話題が変わり、藤森先生に、観る将は将棋のどんなところを楽しんでいるのかと質問された。私が斎藤先生のファンのことを「鹿」というんですよと話すと、「そうなんですか?全然知らない」「どうしてですか?」と、藤森先生と安食女流が興味津々な顔で聞いてくる。ついでに、天彦先生ファンは領民、豊島先生ファンは区民、髙見先生ファンは髙見女子(髙見ガールズ)だと説明する。

「僕ら全然知らないね。観る将のファンの人の方がよっぽど将棋界に詳しいんじゃない?」と藤森先生。「そうなんですね。なんか皆さんすごいですね〜」とメモを取り始め、「あれ、天彦先生ファンがなんでしたっけ」と小首をかしげて私に確かめる安食女流。
私の話をきちんと聞いて、リアクションしてくれる藤森先生と安食女流のコミュニケーション力の高さ。さすがプロだと思った。

将棋めしの注文

11時過ぎに、連盟担当者が昼食の出前メニューファイルの束を持ってきた。
どれでも好きなものを頼んでいいという。

ふじもと、ほそ島や、鳩やぐら、Le Carre、レティエなど、将棋ファンにはおなじみのお店ばかりだ。藤森先生と安食女流も一緒にメニューを見て選ぶ。
私は、悩んだ末に、最近将棋めし出前店の仲間入りをし、棋士にも人気のアンフォラの日替わりパスタセットに、デザートとドリンクをつけてもらうことにした。

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連盟担当者が、私と藤森先生と安食女流の注文を、連盟職員が対局中に棋士の注文を取る時に使っている本物の用紙に書いてくれた。
わー、こんなふうに注文内容を書いているんだ。大盛りとか、餅追加とか。
細かいところまでリアルにこだわった、想像以上の神対応だった。

佐藤康光会長

まもなく対局がお昼休憩に入ろうとする頃、ドアをノックする音が聞こえた。
「失礼します」
入ってきたのは、日本将棋連盟会長、佐藤康光九段だった。

「このたびはお越しいただきありがとうございます」
深々と一礼され、私も慌てて立ち上がって礼を返す。

康光先生からサプライズで為書き入りの直筆揮毫式紙をプレゼントされ、ツーショットで記念撮影をしてもらった。私の「駒を持っていただいたところの写真を撮ってもいいですか?」というお願いにも快く応えてくれた。

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康光先生は三つ揃いのスーツを着て、白銀色の礼装用のネクタイをしていた。今日は午後から棋王就位式だ。連盟を出る直前にわざわざ立ち寄ってくれたのだろう。
私は、多忙な公務の合間にもファンサービスを欠かさない康光先生への尊敬の念を改めて強くした。

昼食

12時過ぎに昼食が届き、13時まで休憩タイムになった。
私は控室で一人で昼食を食べた。

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アンフォラの日替わりパスタセットには、サラダと自家製パンがついている。
今日の日替わりパスタは、ベーコンと玉ねぎのトマトソース。
パスタはまだ温かい。サラダの野菜がシャキシャキしている。パンは、表面はパリッとしていて、中はしっとりふわふわだ。
美味しい。
デザートのエスプレッソ香るティラミスと、ダージリンのアイスティーもぺろりと平らげた。

名人戦棋譜速報で棋士の昼食注文を確認すると、順位戦B級2組で対局中の髙見先生も、私と同じアンフォラの日替わりパスタセットを頼んでいた。
最推しとお揃いのメニューを、同じ時間に将棋会館の中で食べていたこと。
嬉しすぎる偶然だった。

対局室見学

13時。
控室に藤森先生と安食女流が戻ってきた後、連盟担当者の案内で4階に移動した。
ちょうど順位戦B級2組の開幕日と重なり、4階の対局室は満員御礼だった。

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「対局中ですので中には入れませんが、対局室の前までご案内します」
ええっ……本当にいいんですか……
私は声にできない思いを心の中で叫びながら、対局室前の廊下を忍び足で歩き、連盟担当者について行った。
連盟担当者が小声で「こちらから順番に雲鶴、棋峰、高雄の間になります。今日は襖を開け放して使っています」「こちらが特別対局室です」と、各部屋の入口に掲げられた木札を手で示して教えてくれた。

新型コロナ感染予防対策の一環で換気を徹底しているため、各対局室の入口は開けられている。
盤上を見つめ、扇子を口のあたりに当て、体を前後に動かして読みを入れている杉本昌隆八段の姿がちらりと見えた。

廊下まであふれ出ている様々な棋士の気迫に圧倒され、私は逃げるように今日の対局一覧ボードの前に戻った。

指導対局と記念撮影

続いて、4階の桂の間に案内された。
通常は棋士の昼食会場や休憩場所、タイトル戦などの注目対局での継ぎ盤検討に使われている部屋だ。

「こちらで藤森先生と安食女流と3人で記念撮影をしましょう」
連盟担当者が長机と座布団を片付けてスペースを作り、足付きの分厚い将棋盤、対局で棋士が実際に使っている駒、駒台、座布団、脇息をセットした。その横に記録係の席に見立てた長机が置かれ、対局開始直前の対局室の雰囲気が整った。

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「そういえば、この盤もなかなかすごいものなんですよ」
連盟担当者が分厚い将棋盤を横に倒し、裏面を見せてくれた。

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いや、これはすごいというレベルを超えている。
豊島先生が当時の羽生棋聖をフルセットの末に破り、悲願のタイトル初戴冠を果たした、第89期ヒューリック杯棋聖戦五番勝負第2局で実際に使われた盤だ。両対局者の直筆揮毫が入っている。どの角度から見ても柾目が美しい。
将棋盤の足がまたすごい。二重になっているものを、私は初めて見た。
震えた。

盤を挟んで藤森先生と私が向かい合って座り、記録係のポジションに安食女流が座った。
「お願いします」
一礼し、藤森先生が駒箱を開け、王将を取って盤に置く。
高く澄んだ美しい駒音。さすがこの盤だけのことはある。
私も藤森先生に合わせて、大橋流で駒を並べていく。

駒を並べ終わったところで、再び「お願いします」
藤森先生に促され、私が先手になり、角道を開けた。
数手指したところで記念撮影をするのだろうなと思いながら、角道を止めて飛車を6筋に振った。ノーマル四間飛車だ。
ところが、一向に連盟担当者から声がかからない。藤森先生の手も止まらない。
え、もしかしてこのまま指すんですか?藤森先生相手に?平手で?

藤森先生は居飛車でじっくりと駒組みを進める。
私も美濃囲い、高美濃囲い、銀冠へと駒組みを進める。
私の銀冠が完成したところで、藤森先生が仕掛けてきた。
私は7筋に飛車を振り直し、▲8八角〜▲6七銀として飛車交換を強要する形に持ち込み、カウンターを狙う。

「おおー!すごいですね。ちゃんと勉強してますね」
「さあ、ここで指したい手がありますよ。何かわかりますか?」
「この角がね、絶好の場所にいるんですよね〜」
「ここで銀の下に歩を打つ手筋は、ぜひ覚えてほしいですね」

リアル将棋放浪記だ。
藤森先生にアドバイスをもらいながら、私は詰みまで指して勝たせてもらった。
記録係ポジションで微笑む安食女流に見守られて。
そしてそのまま3人で記念撮影。

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連盟担当者に「まさか最後まで指すとは思いませんでした」と言うと、「私も数手指したところで記念撮影をして終わりにするつもりだったのですが、指し手がしっかりしていたので、このまま指していただいても大丈夫かなと思いまして」という答えが返ってきた。

驚きやら疲れやら嬉しさやらいろいろな感情が入り混じり、私は言葉が出てこなかった。

将棋会館周辺の散策と記念撮影

連盟担当者の案内で、私と藤森先生と安食女流は、将棋会館から鳩森八幡神社に向かった。
穏やかな天気で、風が気持ちいい。
本殿の前で安食女流と並び、お賽銭を入れて、一緒に二礼二拍手一礼をする。

続いて将棋堂に案内された。
藤森先生が絵馬を見て「女流棋士になりたいって書いてあるよ」「叶うといいね」と明るく笑う。
神社の関係者が将棋堂の扉の鍵を開けて、中を見せてくれた。

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「この扉は1月5日の指し初め式の時にしか開かないんですが、今日は特別に開けてもらいました」
ええ……日本将棋連盟の力すごすぎる。
安食女流が「私も写真を撮っていいですか?」とスマートフォンを取り出し、私と一緒に「わ〜、すごいですね」「将棋盤にちゃんと足ついてたんですね」ときゃあきゃあしながら写真を撮った。
将棋堂の前で、3人で並んで記念撮影をした。

神社の境内を出て、羽海野チカ先生の「3月のライオン」の登場人物、モモちゃんと桐山零くんのデザインマンホールを巡る。
「3月のライオン、私大好きです」
「僕は映画の監修をさせてもらったので、思い出深いです。映画の撮影は半年近くかかりましたし。神木隆之介さんは2か月以上かけて将棋をしっかり勉強して完璧に演じていて、素晴らしいと思いました」
「藤森先生は、最近だと、NHKのうつ病九段のドラマの監修もされていましたよね」
「テレビドラマは収録期間が短いので、主役の安田顕さんとは2回しかお会いしなかったのですが、さすがの演技力でした」
「他の出演者の方にもお会いしたんですか?」
「僕は内田有紀さんに会えたのが一番嬉しかったです」

藤森先生の軽快なトークに、私と安食女流は笑わされっぱなしだった。

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継ぎ盤での検討とおやつタイム

控室に戻ると、局面はだいぶ進んでいた。
午前中と同じく、私が三枚堂先生を、藤森先生が斎藤先生を持ち、継ぎ盤で検討する。
飛車と角が飛び交う派手な乱戦。互いに一歩も譲らぬ中盤戦を経て、斎藤先生が抜け出したようだ。
「斎藤さんの焦点の歩が、見えにくいけどいい手でしたね」
斎藤先生の玉形が固く、三枚堂先生に反撃のターンが回ってくるチャンスはなかなか来なさそうだ。

連盟担当者が、将棋めしおやつを運んできてくれた。
レティエの将棋駒形クッキーと、蓋にかわいいイラストが描かれたプリンだ。
「よくできてますね」「かわいい」「美味しいですね〜」
3人で楽しくいただいた。

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そうこうしているうちに、対局は終盤戦に突入した。
終局が近づいているということで、藤森先生と安食女流が、私の目の前で色紙に揮毫してくれた。藤森先生の関防印が「哲」なのがいい味を出していた。

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終局

モニターに映る両対局者の指し手のスピードが速くなっていく。
「これは三枚堂さんが首を差し出しましたね」「もう終局しますよ」
藤森先生が言った直後に、三枚堂先生が投了を告げた。

連盟担当者が急いでタクシーの手配に向かう。
「今日は本当に楽しかったです。長い時間ありがとうございました」
私は藤森先生と安食女流に感謝の気持ちを伝えた。

「こちらこそ、いろいろなお話を聞けて楽しかったです。あっという間でした」
「私も楽しかったです」
藤森先生も安食女流も、丁寧にお礼の言葉を返してくれた。

荷物をまとめ、タクシーでシャトーアメーバに急ぐ。
終局から約15分後に、私と連盟担当者はシャトーアメーバに到着した。

感想戦の見届け

対局室に入ると、対局開始時とは空気ががらっと変わっていた。
駒を動かしながら、時折目を合わせて穏やかに会話している斎藤先生と三枚堂先生。
二人とも、私と同じ世界に戻ってきていた。

両対局者との距離感もまったく違っていた。
近い。
近すぎる。
目の前に座っている斎藤先生との距離感は、体感1m未満。
私は対局開始時とは別の意味で固まっていた。

斎藤先生の指先が細かく動いて、読みを入れているのが見えた。
手の甲の血管はもう浮き出ていない。
脇息に左肘をついて軽くもたれる斎藤先生の、背中と腕と脇息で形作られた完璧な正三角形。

両対局者の笑顔と笑い声も出る和やかな雰囲気の中、足に押しつけられて赤くなったままの三枚堂先生の左手が悔しそうだった。

二人の会話が途切れ、感想戦も終わりかなと思った次の瞬間。

突然、三枚堂先生が私の目をまっすぐ見て「せっかくだから、何か聞きたいことはありますか?」と声をかけてきた。
「ええっ……」
予想外の事態に驚き戸惑う私を見て、三枚堂先生が「せっかくなので」と笑顔で促してくれた。

私は、三枚堂先生とは初対面だった。
自分が負けたのに、見届け人に気を遣ってわざわざ話を振ってくれたのだ。
せっかくの三枚堂先生の気遣いに応えなければ申し訳ない。
私は、藤森先生と安食女流と継ぎ盤で検討した内容を思い出しながら、一生懸命頑張って局面についての質問をした。

斎藤先生が、優しく微笑みながら私の顔を見て、わかりやすく説明してくれた。
三枚堂先生も同じように答えてくれた。
私のつたない言葉から、質問の意図を的確に汲み取り、私の反応を見ながら丁寧に説明してくれる斎藤先生と三枚堂先生の頭の回転の速さとコミュニケーション力の高さに、私はただ感動していた。

「ありがとうございました」
私がお礼を言うと、斎藤先生が駒を片付け、全員で一礼し、感想戦が終わった。

中継終了後、私は改めて斎藤先生と三枚堂先生にお礼を言い、斎藤先生には「名人戦頑張ってください」と、三枚堂先生には「竜王戦頑張ってください」と応援の気持ちを伝えた。

斎藤先生と三枚堂先生が退室するのを待って、私も席を立ち、連盟担当者に預けておいたカメラを受け取った。
対局開始時も、感想戦中も、中継のじゃまにならないようにしながらスタジオ内を動き回り、私のカメラでいろいろな角度から写真を撮ってくれていたのだ。

私は、コロナ禍の中、しっかりと感染予防対策を取りつつ、最大限の心配りをしてくれた連盟担当者への感謝の思いでいっぱいだった。

おわりに

シャトーアメーバに別れを告げ、連盟担当者とタクシーでJR千駄ヶ谷駅へ。

駅前の広場で、連盟担当者から、両対局者、アテンドの先生方、康光先生の直筆揮毫式紙、豊島叡王の叡王就位式記念扇子、今日の対局の棋譜が入った紙袋を手渡された。
「おかげさまでとても楽しかったです。本当にお世話になりました。ありがとうございました」
「とんでもありません。今後ともどうぞよろしくお願いします」

改札口を通って振り返ると、連盟担当者のお二人が立ったまま見送っていてくれた。
私は会釈して、駅のホームに向かった。

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斎藤先生、三枚堂先生、藤森先生、安食女流、康光先生、連盟担当者様、その他関係者の皆様、夢のような素敵な時間をありがとうございました。
一生の思い出になりました。
心より感謝申し上げます。

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