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第十三話 評論家たち 2 

 地元の北海道新聞文化欄に東京で開催される春、秋の公募展評が掲載されている時代があった。二十年以上前のことだ。(現在のことは不明。)
日本の中央で開かれる絵画や彫刻の団体は憧れであったので、時評として楽しみだったが、限られた字数の講評を新聞社が評論家へ依頼していたのだろう。大御所の会員に気を遣っての当たらず障らずの文章が多かった。

絵を描く者は批評をしてもらうのが好きな人種のようだ。どういう風に見られているのか、自分の位置を知りたがっている。
春陽会は全国に研究会が設けられて年に一度は北海道作家展を開いた。
北海道の研究会の起ち上げには故谷口一芳氏が尽力し、引き継がれた八木伸子氏も後進の指導にあたられた。その後を私が引き継いだ。「あとを頼むね」とバトンを渡されたが、春陽会を退会した私は約束は守ることができなかった。
北海道作家展を開いていた場所が札幌時計台ギャラリーだ。公募展に出品するような100号以上の作品を展示できる壁とスペースがあった。

会期中に春陽会会員の講師を招いて講評会を開いた。
講評から絵描きが何かを吸収していれば、来年は変わるだろう。
しかしながら毎年同じ言葉をかけられているのに成長しない理由は、構成や色などの表面的なアドバイスを求めていたからだろうか。学ぶべきは、その場しのぎではなくて創作の心構えだ。
現状がひっくり返るような大きな出来事や環境の変化がない限り、人はかわらない。絵も変わらない。

札幌時計台ギャラリーでは21ACTという冊子が毎月発行されて、展覧会後、講評が掲載された。札幌時計台文化会館のビルのオーナーである作家の荒巻義雄さんも芸術に関わる文章を寄せていたが、2016年閉廊となり1969年から続いた長い歴史を終えた。
春陽会道作家展も1990年から27年間お世話になった。
私が初入選から会友になって、会員になり指導する立場になったその時々の節目を札幌時計台ギャラリーで迎えたことを懐かしく思い出す。

北海タイムス(後の札幌タイムスにおいても美術欄を担当された)の五十嵐恒さんにも懇意にしていただき、個展や春陽会道作家展の取材、新聞への掲載を頂いた。北海タイムス社を退職された後も五十嵐さんはカメラとノートを手に展覧会を精力的に取材されていた。
著書「北海道を彩るアーティスト」(2009年発刊)、北海道内の美術家年鑑のような一冊に名前を加えていただき大変嬉しかった。

梁井朗さんが2000年に始めたサイト「北海道美術ネット」は「北海道美術ネット別館」に移行し、北海道内のアートシーンを紹介し続けてほぼ毎日更新され、時々の文化批評も投稿されているブログ。どれほどの展覧会と人に接し、時間を割き、距離を移動したか想像に難くない。個展を紹介して頂いたり感想を頂いたり、私が三十代の頃からお世話になっていた。

このようなご縁は、師事した八木保次先生、伸子先生ご夫妻がいらっしゃったからこその繋がりで、私一人の力では作ることができない人の情である。

二、三十年前は新聞社というメディアを頼りにした。
個展などのDMを北海道新聞の文化部、社会部などへせっせと送り、直接担当者へ挨拶にも伺がったものだ。

現在はSNSで創作活動を知ってもらうことが可能であり、自分の責任で情報を発信するのが仕事の一部。どの団体にも所属せずにフリーになった自分に相応しい宣伝手段だ。アートシーンも刻々と変化している。

他人にどう見られているかを気にする絵描きは多いが、批評された内容や、勝手に造られた作家像のイメージに左右されてはいけない。言葉に縛られるのを退けなくてはならない。
悩んで苦労して創作している自分に、一番近く長く深く寄り添っているのは自分自身なのだから。


谷口一芳氏(1919-2013)
春陽展に出品しないかとのお声をかけて頂いた谷口氏に深く感謝申し上げます。




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