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第十七話 絵の教室

絵というのは、創作というものは、一心不乱に追求すべきものであるが、
私は絵の専業もできないし、寄り道が多すぎる。
今現在も、二足の草鞋を履いている。
アーティストと名乗るには誠に心細い。

2010年の個展ののちは、しばらく、制作は春陽展の出品のみで、
保険の営業で糧を得た。
第十六話でも書いたように飛び込み営業が手法だから、いろいろな企業を
訪問した。

その中で出会ったのが社交ダンスを主にしたダンススタジオだ。
保険の営業で訪ねたはずが、ミイラがミイラ取りにあったように
ダンスを始めることになってしまった。

体力をつけるためにも何かをはじめたくなった。
グループレッスンに若い友達を誘った。
まずは歩き方、姿勢、シューズのヒールの高さに慣れること。
新しいことを始めるのは勇気がいるけれども、始めれば変化が起き、
住む世界が異なった知人ができ、反応が生まれるものだ。

到底、身体の表現の域にまで達しなかったけれども、ダンスもアートであるからには、上手く踊ろうとすると、途端に嫌な空気を身体が発する。ダンスも絵も技術ではない。
スタジオの代表Tのダンスの指導とアートに対する考え方に共感した。

そして、新しく内装されたスタジオはレッスンがまばらで、時間に空きがあるらしく「絵の教室を初めてみないか」との提案を代表Tからもらった。

絵を教えた経験はなく、生徒を集める自信もなかったので躊躇した。
教室を開いて収入になるとも思えなかったが、持ち前の行動してしまうサガに抵抗し難く、やってみることにした。
2013年の5月ことだ。

板張りのダンススタジオは西側に大きく開いた窓から光が差し込む明るい部屋だった。
数人がイーゼルを立て、絵の道具を拡げて描くにはちょうど良い広さだった。
ダンサーにモデルをお願いしたり、近所の花屋で花束を買ってきたり、静物を並べてモチーフにした。クロッキーもした。動いているモデルを描くムービングも試した。
私も一緒に描いた。気に入った音楽をかけて気分よく集中できるように工夫した。
春陽会の仲間や、以前所属していた水彩画の会の知人に声をかけた。
みんな協力してくれて描きにきてくれた。ありがたかった。

私のは指導というより絵の感想を述べたに過ぎない。
以前師事した八木先生ご夫妻の絵画指導の金言を脳が覚えていて、自分の身体に染み込んだ言葉を述べたに過ぎない。
果たして、描きたい人に良い時間を提供できていただろうか。

ダンススタジオの紆余曲折に付き合い、移転したスタジオでも絵の教室を続けた。また、スタジオがなくなった後は公共のフリースペースを借りてデッサン会を開いた。足掛け4年ほどだろうか。
今はやめてしまったが、経験としてとても面白かった。

いつでもどこでも始めようと思えば絵の教室やデッサン会はできる。
そういうノマド的な脚力は身についたと思う。



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